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【連載】かくれ念仏/No.9~鹿児島の真宗民語その1~

鹿児島の真宗民語

鹿児島の開教使がもっとも痛感した障害は言語の壁であったという。
現代においても薩隅方言がむずかしいというのはよく聞く話。
訳の分からない言葉を浴び続ける日々に辟易しただろうことは想像だに難くない。それはさながら国外開教である。

しかし、鹿児島には、真宗との邂逅によってうまれた独特の真宗民語(門徒ことば)もある。

土徳の籠るそれらの言葉は、〝真宗〟と〝鹿児島〟という、形而上下に二つの帰属要素を持つものであるが、そこに共通して貫かれているものは〝浄土〟への憧憬であり、願生心のうみだした新語である。

であるならば、真宗民語というものは、形而を問わない〝仏国領〟の言語ではあるまいか。

念仏もこれに同じい。

「我が口ながらに出ずれども、我がものにあらず念仏は」。

称名は地声にして鸞音の諷。念仏は、彼の浄土から放たれる招喚の音声であり、此の命の至奥から発せられる呼応の肉声である。

さて、有名な真宗民語や、真宗にまつわる歴史的な背景を帯びた用語として、「いなだく」、「王法公界おうぼうくがい」、「あわたり」、「お手廻し」、「真向い様」、「加賀泣き」…などが知られている。

これらは主に中部や北陸、北陸に伝わる真宗民語であり、書籍や法話にてよく紹介されたりする。

一方、鹿児島や南九州の真宗民語や関連用語は鹿児島の中でも消えかけつつある。次回から数回にわたって書き留めておきたい。

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