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早期退職 第22話 退職後に思ったこと② -人からどう思われるか考えるのはやめた-

 会社員時代の先輩に優秀で周りからも人望のある人気者の人がいた。これだけ非の打ち所がない先輩であったので、家庭でもさぞかし立派なお父さんなのだろうと思っていた。ある時、知ったのだが、その先輩はなんと家では家庭内別居状態だったそうである。また、子供ともほとんど会話がなかったらしい。私はその話を聞いたとき愕然とした。そして、そんなはずは無いだろうと思ったが現実だった。
 
 人は、ほんとに外見だけではわからないと思った。そういえば、その先輩に限らず、やはり外では普通に見えている人でも奥さんと何年も会話がないとか、あるいは子供とほとんど会話がないとかという話を聞くことが少なくない。それからは、他人を評価するときには一面だけを切り取って見ないようにしている。
 
 人からどう思われるかとか、人のことを気にするのは、もうやめた。疲れるだけ。なぜなら、他者と自分とは違うから。
他者にとっては居心地良い人生であっても自分にとっては決してそうではないことがある。その逆もある。会社や、学校にいた時つまり、組織に属していたときには周りを気にすることは必要だったかもしれない。逆に、自分のことだけしか考えてないような人間は組織の中で生きていけない。組織に属しているとやはり周囲の空気を気にしなければならないと思う。
 これまで、そのような世界で長年生きてきたのだからある意味仕方がなかったことかもしれないが、組織から離れた今はもう関係ない。これからは、自分の人生を生きる。
 
 人生の前半戦(学生、会社員)は、他人からの評価が中心。人生の後半戦は、自分からの評価が中心でいいと思う。人生の前半は、集団の中で生きることが多い。人生の後半戦は、個人中心で生きることであると思う。前半の人生は、集団の中に属し、集団のルールを守り、そこにいる人たちとの関係を気にしながら生きていくこととなる。
 一方、後半戦は、個人中心で生きていくことでいいのではないかと思う。そこは、よくも悪くも全てが自己責任の世界である。会社員時代のように会社は守ってくれない。
 
 サラリーマンは、ある意味辛い人生である。社長でさえ、退職後はただのおじいさんとなる。退職後は、その地位や収入を失うこととなる。ゼロからのスタートである。
 その時に、果たして体力、知力、気力が残っているのであろうか。昔のように、退職後五年から十年で亡くなるのならいいが、人によっては百歳まで生きる時代である。だから、早めに人生の舵を切るのも一つの考え方だと思う。定年まで勤め上げたという達成感の代わりに、失うものがないだろうか?どちらを取るかは、その人次第であるが。
 
 何をやるにしても遅いということはないと言うが、その通りだと思う。しかし、四十代から何かやるのと八十代から何かやるのとではできることの数が違う。八十代では、激減している。健康寿命も通り過ぎてしまい、寿命も残りあとわずかだ。
 
 前半戦はいろいろあったが、もう、人生のステージは切り変わった。気持ちを切り替えなければならない。あとは、今のステージでなるべく悔いの残らない人生を送ろうと思う。家族と信頼できる仲の良い友人と楽しく生きていければそれでいい。
 
 他人に見てもらって、評価してもらって満足している。そんな人生とはお別れである。


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