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30歳月収8万円で見えた世界① 堕ちる

お昼過ぎにのこのこ起き上がっては、精神の調子がよければカフェに向かいとりあえずMacを開く。街ゆくサラリーマンの表情、隣に座った人のパソコンの打ち込み速度を目の当たりにすると、時間の流れが明らかに違うんだな、と呆然とする。

ああ、今日はやってもやらなくてもいい仕事が一件。それだけ。

隣の人も向かいの人も、重要な連絡をメールで送ろうとして凄い勢いでタイピングしてるのだろう。その一方で私は心の整理という誰のためでもないタスクとして昨日始めたばかりのNOTEをなんとなく書いている・・・。


2023年、30歳目前。晴れて念願の海外ノマドワーカーとなり、全て捨ててタイに飛び立った。
だが、その日々は長く続かなかった。
月収が一桁万円になってしまったのだ。

言い訳をすると、イギリスの芸術大学で短期間のアートクラスをとりながら数ヶ月滞在してた私は、世界中を旅しながら日本の仕事を続けるライフスタイル自体に疲弊し切っていた。日々の刺激や学びと引き換えに襲う常なる緊張感は私のキャパを超えた。と同時にイギリスの大学院で絵を学びたいという気持ちが強くなり、そのタイミングで、自分の方向性に合わない案件を断り、ポートフォリオ準備のため年末日本に帰ってきたのだ。

ここからが思わぬ苦しみとなる。

・・・・・・・

新しい仕事が見つからない。
今まで営業活動もせずにフリーランスとして1年以上食べてきたのに、いざ営業活動をいても仕事が一向に決まらないのだ。
カフェのバイトの面接も数個受けたが受からないのには学生の頃の自分も唖然とするだろう。
5ヶ月以上メールに張り付く日々が続き、心はさらに疲弊して行った。
しかし以前意を決して断った仕事よりも割がいいか、やりたい仕事でないと意味がない。
そんな条件にうるさい頑固な自分と、市場からの評価のギャップに苦しみ、自己肯定感は人生最低レベル
に達した。

気づけば、時間は有り余っているのに、一番やりたい絵を上手く描くことができない、無気力でずっと座って食べるか寝るを繰り返すという最悪なルーティンが始まっていた・・・。

到底一人暮らしはできるお金がないので、実家に戻った。


同世代と比べて、などはどうでもいい。もう、SNSも見なくなっていたし、友達への返信も億劫でできなくなっていた。

20代中盤の会社員時代は、仕事はいやいややりつつも、若い女として、夢見る人間として、稼ぐバリキャリとして、あらゆる点で輝いていたと思う。
お洒落カフェの並ぶエリアで一人暮らしをし、朝はランニングののちカフェでジャーナリングや読書をして、仕事に向かった。外見も中身も磨くことを怠らず、そんな自分だからもちろん夢はスイスイと叶い、それが当たり前のはずだった・・・。

今はもう、実家での日々がまるで老人ホームだった。死ぬのを待っているし、もう凄いことが人生に起きる予感なんて無くなった気がした。

しかし心が絶望で支配されるなか、頭では日常の小さなことに感謝すべきなのはわかっていた。
あらゆる自己啓発書を読んだ経験から、今すべきことを必死で自分に課す事にした。

何日も掛けて、重い腰を上げた。


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