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【エッセイ】ミーハーなんだよなぁ

「ミーハーなんだよなぁ」

3月下旬。寂れたアパートの一室で、そう独りごちる。

エッセイを書く練習としてつい先日、このアカウントを作った。大事な1本目。何から書き出せば良いのか分からず、とりあえず家にあったエッセイ本をパラパラめくる。

オードリー若林さんの『ナナメの夕暮れ』。

恥ずかしくてスタバで「グランデ」を頼めなかった著者が、四十を前にして心境の変化を見せる。体力の衰えを自覚し、没頭できる趣味や気の合う仲間との出会いを経て、世の中をナナメに見てきた著者がいかにして世界を肯定できるようになったか。

(裏表紙の内容紹介より)

久しぶりに読んだが、相変わらず面白い。若林さんらしい、斬新な視点から繰り出される発想の数々がとても刺激的だった。それに加えて、芸人さんらしい的確なツッコミとテンポのいい合いの手が心地良い。

僕がエッセイを書きたいと思うようになったのも、若林さんのエッセイと出会ったことがきっかけだった。レギュラー番組を数十本抱える売れっ子芸人が、世間に馴染めず、私たち一般ピーポーと同じように日々モヤモヤや怒りを感じている。ありきたりな言葉だが、私のことが書いてあるのかと思った。次第に、著者に対して憧れを抱くのと同時に、「僕も人の心に働きかける文章を生み出したい」、「僕も自分の考えを文字にしたい」と思うようになった。


ここでふと、「僕ってミーハーなんだよなぁ」という感想が出た。ひとり暮らしなのではっきりと声に出してそう言った。若林さんのエッセイに影響されてこのアカウントを作ったこと、それだけでは無い。書き始めてから数分、今度は江國香織さんの『ぬるい眠り』を手に取っていた。この方の小説もまた面白い。面白いのだが、なぜか江國香織スタイルの情景描写表現を使いたくなってウズウズしてしまう。

そう、僕は大変影響されやすい人間なのだ。若林さんのエッセイ本を読んで斬新な切り口を探したくなるし、江國香織さんの小説を表面だけ抜き取ってこねくり倒した表現を書きたくなってしまう。終いには登場人物と瓜二つの口調で話し出して、若林さんよろしく葉巻片手にモヒートに口付けし、キューバンジャズを聴き出すかもしれない。もちろんリスペクトの気持ちを込めて。


ところで、ミーハーはどこからがミーハーでどこからが非ミーハーなのか?ミーハーの境目はどこにあるのか?

若林さんと江國香織さんに影響されやすい僕は誰がどう見てもミーハーなのだが、創作の始まりは「まねぶ」ことから始まるとよく耳にする。日本語ラップに代表されるCreepy Nutsも若林さんと山里亮太さんの漫才ユニット「たりないふたり」から着想を得て、いち視聴者だった2人が楽曲「たりないふたり」を制作するに至ったと聞く。

自分自身を正当化するわけでは無いが、ミーハーであっても良いのではないかと思う。上部だけのトレースはもはや何の意味も持たない2次創作だが、ミーハーからオタクを経て編み出した作品は、それはもう一次創作なんじゃないか?語弊があるが、同人誌を批判しているわけでは無い。むしろリスペクトしている。

真似から始まり、独自路線を開拓し、オリジナルスタイルで文芸の世界に勝負を挑めば、それはもはや全くの新しいエッセイとして取り扱っていいんじゃないか。


記念すべきエッセイ1本目は、人様の作品に力を借りる形となったが、なんとか着地点を見つけることができた。

今回は1,200文字。エッセイコンテストは2,000〜4,000文字が一般的だそうだ。より濃く、より長いエッセイを描けるよう精進したい。




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