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【エッセイ】人工の島、人造の魂(6)

    ★

 一年生の担任は、神野しんの先生という女の人でした。
 入学したての私が言うのもなんですが、ちっちゃくて、まるまるしていました。
 太い黒ぶちめがねをかけていて、ヘルメットみたいな髪型の毛先が、くるんと跳ねています。
 いつも上は原色のポロシャツを着て、下は黒いジャージをはいていました。
 人工の町で丸いヘッドライトの軽自動車を見かける度、
「あ、神野先生が走ってる」
 と、私は笑っていました。

 神野先生は、怖い先生でした。
 クラスのみんなが、いつまでもお喋りをやめず、わあわあ騒いでいると、手に持った黒表紙で、
 バチン
 と教卓を叩きつけ、一発で静かにさせます。
「ええかげん黙らんかい、コラァ!」
 今思えば、神野先生はずいぶん若かったのかもしれません。
 だけど小学一年生の目には、二十五歳以上の女の人はみんな「おばさん」に見えるのでした。

 小学校には「伝統太鼓」というものがありました。
 革を張った大太鼓、小太鼓、細い曲がりくねった丸太みたいなのを持ち出してくると、みんなで青いはっぴを着て、はちまきを締め、ドンカラドンカラ叩くのです。
 運動会とか音楽会、全校集会とかで、それをいちいち披露するのでした。
 ドンカラドンカラ
 ハッ!
 ドンドンカラカラ
 ドンカラカラ
 ハイッ!

 実際に太鼓を叩けるのは、高学年の生徒の特権なので、私たち一年生には、触れることさえ許されません。
 はっぴすら着られず、はちまきを締めていいだけでした。
 五六年生たちが大真面目に演奏する後ろで、手拍子しながら左右に足踏みしてリズムを取ります。
 ハッ!
 というかけ声だけを一緒に揃えました。
 体育の時間に、わざわざそんな声出しの練習をするのです。
 私は、思わず吹き出してしまいました。
 いつでもジャージでいる神野先生は、体育も教えていました。笑っている私のところへ、チョロQターボみたいにたちまち飛んできました。
「どないしたっ?」
「やりたくない」
 と、私は正直に答えました。
「はあっ? なんで?」
「だって、アホみたいだから。みんなであんなかっこして、まじめな顔でいっしょにタイコたたいてて、アホみたい」
 私はにこにこしていました。
 そんなこちらの両肩を、神野先生は思いきり鷲掴みにしました。細い眉毛を吊り上げ、目の前に顔を固定してきました。
「あのねっ、この太鼓は、この島の伝統なの。だから、みんなやらなくちゃいけないの。まじめにやらなくっちゃいけないの。だってそれが、先輩たちの守ってきた伝統だから」
 そんなことを言われても、この島はまだ生まれてから十年も経っていないはずです。
 先生のことがあんまり怖くなって、私は泣き出してしまいました。捨て猫みたいに情けない声を上げながら。
 クラスのみんなは、そんな私のことを遠巻きに眺めていました。見てはいけないものを見るような横目で。
 そのまま太鼓のリズムに合わせ、軽く握った両手を左右に揺らしていましたが、ここぞというタイミングが来ると、みんなして片肘を上げ、片膝を前へ突き出しながら、
 ハイッ!
 と声を揃えるのでした。

「ポピア殿は、おさむらいなんだよね」
 夕日の落ちる放課後でした。私は膝を抱えながら、体育座りをしていました。
 ただっ広いグラウンドには、他には誰もいません。ただ私たちの影だけが、長く長く伸びていました。
「さよう、それがしは由緒正しき武士じゃ」
「それじゃあ、デントウっていうのが何だかわかるの」
「でんとう? 伝統  ?/trdition ?/tradizione ?/Überlieferung」
 ピーピーガチャガチャ、と計算機じみた雑音がして、やがてピコーン!と正解みたいな電子音が鳴りました。
「それは、人の作ったものじゃ。なぜなら、人は過去へ戻ることはできないからじゃ。と言うよりも、過去という考え自体が、人間の作り出したものだからじゃ。過去からずっと続いている、ということに値打ちを見出す心自体が、水鏡に映ったおのれに恋をする名古屋なごや山三郎さんさぶろうのようなものじゃ」
「ふうん」
 と、私は何となくうなずいていました。
 それから、ほろりと泣けてきました。こんなにちっぽけな私に対して、一生けんめいたくさんの話をしてくれるポピアのことが、何だかありがたくて仕方がなかったのです。
「現実の不確実さに耐えるための、人の心の詐術の一つじゃ。この宇宙の中で、人間の心は氷に閉ざされた牢獄のようなものじゃ。時間的にも、空間的にもじゃ。それに耐えるため、人はつながりを必要としておる。過去という時間概念を空間的に局限し、自我をそこに接続しようと試みる。その総体を伝統と呼ぶようじゃ」
「そうなんだね」
 私はどうも、泣いてばかりなのでした。
「そうじゃの。要するに、伝統というのは、宇宙船に積み込まれた黄金のレコードみたいなものじゃ」
「宇宙船?」
 私は面白くなり、手の甲で涙を拭きながらちょっと笑いました。
「そう。伝統というのは、人造の魂そのものじゃ」

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