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異なる学問をつなぐ臨床教育学の可能性-すべては子どものために-

カウンセリングや臨床心理学というと河合隼雄氏を思い浮かべる方も多いのではないかと思います。
今更いうまでもなく、日本の臨床心理学のパイオニア的存在です。

私は、河合先生の晩年に某大学で行われた講演会を聴きに行ったことがありますが、驚いたことに講演会のパンフレットの専門を記す中に臨床心理学と合わせて、臨床教育学と書かれていたのです。

これは、子どもに寄り添うカウンセリングを行うためにはその子だけを見ていても十分ではないという河合先生の思いの表れだったと私は受けとめました。

臨床教育学の定義は以下の通りです。

「病理的なクライエントの直接的な治療よりも、むしろクライエントの『問題』を媒介したクライエントの成長と教育関係者自身の既成の教育観の普段の変革と再構築を重視する実践的教育学」

和田修二「序章 臨床教育学専攻を設置した経緯と期待-京都大学大学院教育学研究科の場合」
和田修二・皇紀夫編著『臨床教育学』、アカデミア出版、10頁
(佐々木正明(2013)『入門臨床教育学入門』学事出版、10頁より重引)

つまり、現代の「教育上の喫緊の問題に対応するには、これまでの臨床心理学と教育学では不十分である」(佐々木正明(2013)『入門臨床教育学入門』学事出版、10頁)との認識から生まれた学問分野であり、1988年に日本で初めて京都大学に講座が開設されました。

もっと砕いていうなら、昨今の教育上の課題は一つの学問・研究領域では対応できなくなっている。
子どもの成長のために、学問の領域を超えた実践を進めようというものです。


「義務教育の学校ですべての子どもが画一的な授業を受けること自体不自然なことだし,そこで落ちこぼれる子どもがいたとしても不思議ではない。学校に行きたがらない子どもがいるとすれば,その意味をもっと真剣に考えるべきだろう。そういう視点を抜きに子どもの病理とか,親の養育態度を問題にするのはおかしい。常に全体を視野に入れた理解の仕方が必要ではないのか」

これを書いたのは、札幌学院大学大学院臨床心理学研究科長(当時)の滝沢広忠氏です(2008年『札幌学院大学心理臨床センター紀要』第8号巻頭言)。
臨床心理学の専門家が、「子どもの病理とか,親の養育態度を問題にする」だけでなく、「常に全体を視野に入れた理解の仕方が必要」と指摘します。
この意味は深いと思います。

研究者の中には、自分の研究の視点が最も正しいと考える人もいます。
私が教職員大学で学んだ経験からすると、異なるゼミの教授に助言をもらうのも気を遣うほど、それぞれの領域の間には高い壁と深い溝がありました。

それを簡単にパンフレットに併記する河合先生は、実に懐の深い方だと感銘を受けました。

他にも、『不登校現象の社会学』を著された森田洋司氏も、教育社会学を専門としながら日本を代表する教育心理学の学会で講義をされるなど異なる領域をつなげようと尽力されました。
(私は、その講義を聞きに行きましたが、さすがの森田先生も興奮気味でした)


今、2022年の小中高校生の自殺は514名で過去最多となっています(厚労省と警察庁による調査)。
また、2021年度の不登校は30万人に達し、これも過去最多です。
中学校の不登校に至っては、ついに全体の5%に達してしまいました。
40人のクラスだと2人は不登校だという計算になります。
(この部分については、以下を参照した。内田良(2023)『教育現場を「臨床」する』慶應義塾大学出版会、p8)

「今日の子どもは、自身の苦悩を他者に向けることはない。学校から離脱する、この世から離脱することを、子どもたちは選択している。苦悩の矛先は、外の大人ではなく、自分自身に向けられていくのだ。」

内田良(2023)『教育現場を「臨床」する』慶應義塾大学出版会、9頁

内田氏の指摘通り、子どもたちは学校や社会だけでなく、自分の人生からも離脱するほどに苦しんでいます。

学者でも研究者でもない私が言うのもおこがましいのですが、あらゆる領域の英知を併せて、子どもの命に向き合わなければならないときがきていると思います。

カウンセリングによって個々の苦しみを癒すと同時に、異なる研究領域をつなぎ、社会全体のあり方を視野に入れる臨床教育学の理念と実践は今後さらに重要性を増してくるでしょう。



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