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なんだかんだ正直者

こちらの記事を読んで共感するものがあったので書いてみる。
言ってることが多少ズレてるかもしれないので大目に見ていただきたい。


この記事を読んで重なった記憶がある。
大学のキャリアセンターでどうにか就活していた頃の話だ。
面接指導で、「多少の嘘は必要です」と言われたのだ。
これが結構驚きだった。
採用を目指している仕事だし、問答のテンプレートが多いこの時代、嘘を勧めるのも分かる。
だが私は、思ったより正直だった。

嘘はバレるしボロが出るものだ。
自分の歴史だって鮮明じゃないのに、元々無い歴史なんて鮮明どころじゃない。
その架空の部分を掘り下げられたら即興で繋いでいくしかない。
即興なのですぐ矛盾が出てくる。おしまいだ。

隙のない嘘を並べられたらどんなにいいだろうか。
物事の入口で足踏みしていた経歴なんて穴だらけ、嘘で補いたくなる。でもそんな緩い基礎は突っ込めばただちに崩壊する。

嘘をついていいことがあるとも思いたくない。
小さい頃に息をするように嘘をついて散々叱られた。
子ども時代のこんな教訓でなくたって、嘘が信用を失うなんて想像に難しくない。
その引け目でさらに嘘がバレる。

自分が大人に近づくにつれ、嘘がバレても指摘されることは少ない。
代わりに自分の嘘がバレているだろうと思いながら過ごす。

そんなところで過ごして生きていきたくない。

自分の歴史はもう変えようがない。
変えようがなくたっていい。
就活でこういう苦労をするなんて昔の自分には理解できなかった。それでいい。
面接を、凡人が1人ここにいるのを知ってもらう場にしたい。


他にもこの記事の最後に、追い込まれていれば嘘もつけるけど不自由なければ正直な人生を送りたい(要約)、とあったのもとても頷けた。
私も家を追い出されて貯金も儘ならなければ立ち止まっていなかったかもしれない。
そうなっていないことをダメと思わずに感謝して、やれることをやろうと思う。

他が嘘を武器にしていようが、私も使うわけじゃない。
正直に生きるのが一番楽。



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