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会話しないのは、自分から目をそらすため

だったと、過去の自分を振り返ったときに気づきました。

会話というのは、自分の思考を知る手段でもあります。でも、その思考が良くないものであれば、知るのがイヤになります。

その良くない思考とは・・人に迷惑をかける思考のこと。
例えば、自分の正しさにこだわるとか、他人と比較しては一喜一憂するなど。

どちらも共通しているのは、物事に白黒つけたがること。自分の未熟さをひとつ知るだけでも大きなダメージを受けます。

いまの職場で起きたことですが、ある人が会話の際、自分の気持ちを理解されない態度を相手から取られたとき、陰で俯いて泣きそうな顔をしました。話が通じない場面は誰にでも起こることですが、白黒思考の場合、話が通じないことは人格否定と受け取る。
そう、これは以前のわたしそのもの。

つまり、「人格否定されるほどダメな自分」という幻想に囚われている状態。
この状態を見ないよう日頃から会話を避けていましたが、結局その場しのぎでしかなく、より自分を見えなくしました。

だから思考を緩める方法を探すこともせず、囚われたまま人間関係を改善できず、時間だけが過ぎていった。

何というか、失敗から学べないというか。
何事においても、主観的な見方で現状を自虐的または批判的に受け取る。
そんな以前の自分は、人として好かれるわけないなと納得できます。

そもそもわたしが白黒つけることにこだわったのは、自分と同じ白黒思考の両親に育てられたため。良くも悪くも純粋で正直な思考パターンを受け継いだことにより、外の人間関係に支障をきたした。

そういう固執した思考が物事の判断軸である価値観となり、視野・選択を広げられず、「衝動性」や「こだわり」を繰り返す。
こうして、目に見えない障害者の特徴をよく表していたのです。

わたしは人間の心理に以前から関心を持ってましたが、いまの環境に移ってからそのことの理解度が上がりました。なぜなら、客観的思考を持つ人たちに囲まれているから。
(感情に振り回されず冷静でいること)

そんな素敵な人たちとの会話をしばらく頑張ってみた・・結果、自分の中身がハッキリと見えるようになった。
このときなってようやく、本格的に思考改善に取り掛かります。(内省という自己分析を)

おかげでいまは、人と会話する楽しさを味わってます。そして、関わる相手を楽しませてもいます。(そういう褒め言葉をもらうことが増えたので)

結局のところ、自分を満たすには会話が一番じゃないかということです。


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