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無理と無茶は似て非なるもの

無理とは?実現するのが難しいものの、努力次第では可能になること。
無茶とは?努力の有無関係なしに実現不可能なこと。

とにかく実現できるか否かの問題ということ。

お金持ちになりたい・好きな仕事をしたい・結婚したいなど、いまを生きるそれぞれの人があらゆる望みを持っています。
でも、そのような望みは手軽には実現できないもの。だったら多少の無理は必要不可欠ではないかと思う一方、その限度を超えると、進むはずの物事は空回り状態に陥ります。

そう、それが無茶というもの。

無理をすると望みは実現できる?どうやって?・・
目的を定め、計画を立て、努力を継続できる環境づくりをすることです。

わたしの場合、歳を重ねても心身ともに健康で充実した人生を送りたいという目的を定めた上で、思考が狭い身近な人間を遠ざけ、ひとりで集中できる環境を整備。金銭面についてはケチケチせず、必要な分に投資。
残りは資産形成に充てて、難局に備えた資金を揃えること。
(ここで言う投資は、筋トレなど健康管理にかける自己投資のこと)

そんなわたしに対して、一緒に住む親は無茶していると見ています。
そう、無駄な努力をしていると。しかしそれは、視野が狭い古い人間による判断に過ぎず、いまの自分にはどうでも良いことです。
(以前だったら真に受けてた)

つまり何が言いたいのか?
無理と無茶の違いを端的にまとめると、努力の仕方が正しいか否かです。

キラキラしたリア充ライフを実現させるには、やはり多少の無理は必要。
もちろん限界はあるので、ちゃんと心の声を聴いて無茶をせぬよう、
常に自分自身をコントロールします。




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