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モノへの価値観の違い

わたしと両親のことです。

わたしは、モノの出番が少なくなったら処分します。でも両親は、ボロボロになって使えなくなったら処分します。

そう、ボロボロになっても使えるうちは残すということ。ここまでだと処分の頻度が少ないので、新陳代謝がまともにできません。

そういうモノは普通に見栄えが悪いし、
それに臭い。それでも両親は気にしません。
なぜなら、これが当たり前だから。

自分の部屋は頻繁に行う断捨離のおかげで清潔感を手に入れましたが、リビングはカオスです。テレビで見るゴミ屋敷ほどではないけど、そこまで至らないうちは普通と思ってるんでしょう。
でも、わたしから見れば異常です。
(以前はわたし自身も普通と思ってました)

さらに、両親別々の個人部屋がありますが、こちらはよりカオスです。
色褪せ、ホコリをかぶった古いモノが多く、ベッドのシーツも枕も溜まった寝汗で変色。
当然ですが、両部屋ともに臭いです。

まぁ要するに、自分が良ければそれで良いということです。

そんな両親の元で育ったのだから、わたしも同じように部屋をカオス化させた。
そりゃそうなるなと納得しました。

これはモノを大事に扱ってるのではなく、執着です。周りを困らせる「こだわり」です。
(両親もわたしと同じ障害?・・母親は当事者と診断されています)

両親とは合わなすぎることがわかった。
でも残念とは一切思わず、わたしは自分軸を持っている。これを再認識できただけで十分です。

モノの扱い方は、心の状態をそのまま表している。これからも必要なモノを大切にして、出番が終われば潔くお別れする。
こうしてわたし自身、自分の心を守り続けていきます。

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