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夜想曲(短編) 1 ファンタジー小説部門 幻想文学的短編 

あらすじ

『catastrophe、catastrophe。終点に到着、最果ての地に到着。お出口は勝手にお探しください。お忘れ物などない貴方達は美しい。それではよい旅を。グッドバイ』

 空飛ぶ夜汽車に乗った少年が辿り着いたのは、朝のこない最果ての地だった。自分はどこからきた何者なのかわからないまま、少年はこの地を彷徨う。かつて少年のような迷い人であったという妖怪の集団、謎の生物ぷぷら、大人たちが踊り続ける食堂、幸福の街を目指す人形たち。様々な不思議な出会いと別れを繰り返す少年の幻想的物語。



  『次は終点、catastrophe、catastrophe』

   一

 少年が一体どうして夜汽車に乗っているのか、誰も知らない。彼自身さえ。窓から差し込んだ仄かな月明かりを、天井に張り付いた奇妙な色の蜘蛛が捕食している。少年の他に何者かが数人、皆独りでいる。誰も掴まっていない吊革が静かに揺れているだけの、清く冷たい箱の中。

 彼らは弁柄色の布が貼られた椅子に座って、夏の夜を走っている。ゴトゴトした小さな衝撃を感じるし、皆無言ではあるが、居心地はそれほど悪くない。

 古びた黒茶色の壁に目を向けるか、橙色に点滅する灯りに意識を向けるか、汽車の走行音に耳を澄ませるか、そうしていれば何も感じることはない。しかし、少年は考える。一体、ぼくは何者なのだろう。どこから来たのだろう……。
 
『catastrophe、catastrophe。終点に到着、最果ての地に到着。お出口は勝手にお探しください。お忘れ物などない貴方達は美しい。それではよい旅を。グッドバイ』

 少年は夜汽車の重い扉を自分で開けて降りた。他の人がどうやって降りたのかはわからなかった。皆降りて、汽車は走り去った。汽車が行く方へ線路ができて、通り過ぎると光って消えた。彼らが来た道などというのは、初めから無かったかのようになった。湿った生暖かい風が少年の体を撫で、この地に降り立ったことを歓迎した。

 藍色の星空がどこまでも続いている。少年に宇宙に関する知識はないが、何か星座のようなものが見えるような気がする。はるか昔、初めて星を繋げた人の気持ちを想像してみる。それから、視線を宇宙から逸らして風が吹く方へ歩くと、煉瓦が積み上がった立派な門があって、人々が並んでいるのが見え始める。最後尾に加わって、暫く待った。

 門のそばにはイチイの木を模したオブジェがあって、その枝には鳥籠が引っ掛けられていた。小さな金糸雀を模したガラス細工が入っている。黒い布で目を隠された彼は哀しそうに鳴いていた。

 少年の番がくる。つい先程まで鳴いていた金糸雀は、どうしてか黙って動かなくなってしまった。少年の目の前に、純白の外套を纏ってフードを深く被った、小さくて不可思議な、人間であるかどうかもわからない無愛想な生き物が現れた。

「瞳、見セテ」

 彼は一言ぽそりと喋った。少年が顔を近づけて目を見せると、白外套は足元の大きなトランクを開けて、小さな手で一生懸命に、宝石のような人形用の目が瓶に入っているのを幾つか取り出した。それから不思議そうに首を傾げた。

「オカシイナ、人生ノ引キ継ギニ失敗シタ?イヤ違う。ナイ。キミノ瞳、ナイ。キミ、本当ハ客人ジャナイカモ。アッチイケ」

 ぼくは迷子なんだ

「デモ、何処カラ来タカナラ、ワカルデショ?」

 わからない。何も

「ソレダ!キミガキミノコト、何一ツ分カラナイデイルカラ、キミガ本当ニ存在シテイルノカ、誰ニモ分カラナクナッタ」

 どうすればいい?

「マッタク、仕方ナイナ。確カニ、サッキノ汽車ハ片道切符ダ。帰レナイ。タマニ来ル、キミミタイナ迷イ人。キミ、新シイ人生デモイイ?」

 いいよ

「ワカッタ。コレ、アゲル。入ッテイイヨ」

 ありがとう

 白外套は翡翠色の目が入った瓶をくれた。細い口にコルクの栓がはまっていて、割らないと取り出せないようだった。少年は瓶を鞄の中にしまって、門をくぐった。灯の柔らかな光の下、石畳の道を進んで行く。大きな金魚が光りながら泳いでいる池があって、それを眺めている細身の青年がいる。

 近くにいくと青年は振り返った。分厚い前髪で顔の上半分が覆われてしまっている。顔の見えない彼は少年に話しかけてくる。

「やあ、こんばんは。今夜はなんだか夜じゃないみたいだね」

 ええ、夜よりも深い何かですね

「ぼくはここで、門を通ってきた人に挨拶をしているのさ。歩き続けても誰もいないだなんて、不安になるだろう?だからぼくがここにいるんだよ。大丈夫、もう少し先に行くと結構賑やかだよ。最果ての地だっていうのにね」

 今は何をしていたのですか?

「別に。誰も来ない時はいつも、何もしないということをしているのさ。強いて言うなら、今日も虹が採れなかったことに少しだけ落ち込んでいる。あの子にあげようと思っているのに」

 あの子って誰ですか?

「あの子はあの子だよ。君の前に挨拶をした子。あれ?名前はなんだっけな。どんな声だったかな。ぼくはね、随分昔に此処へきて、それからずっと挨拶の仕事を続けてきた。誰に頼まれるわけでもなくね。だからそれなりに色々人に会っているはずなんだけれど、段々思い出せなくなるものだね。まあいいや。明日からは君のために虹がかかるのを待つよ。いいかい?」

 いいですよ

「ありがとう。そうだ、君、この地には時々流星が落っこちるんだ。本当に時々だけど。真っ赤な星だよ。もし何も目的がないなら、探してみたらどうだい?」

 わかりました

「よし、見つけたら教えてくれよ、約束。ぼくは虹を、君は星を見つけたらまた会おう。いいだろう?じゃ、またね」

 さよなら

 少年は青年に別れを告げて先へ進んだ。歩きながら考える。青年はそうやって何人もの旅人を見送ってきたのだろう。毎回、忘れてしまうほどに永い時間、誰かのために虹を探しているのだろう。本当に虹なんて存在するのだろうか。星だってそうだ。

 約束は破られることも果たされることもないのではないか。それで彼が醒めない夢を見られるなら、悪くはないのかもしれない。幸いというのは、きっと人それぞれだ。

 けれども、またねという言葉に、またねとは返せなかった。もう会わないかもしれないからではない。青年に、その気がなさそうだったからだ。またねと言ったくせにだ。

 石畳の道を逸れたところの暗い森に石階段が続いている。花の香りがして、少年は早足になった。長い階段を登り切ると、連続する朱色の鳥居が現れた。竹林の中心を貫いている。ついに少年は走った。

 たどり着いたのは、枝垂れ桜が満開に咲く最果ての地のさらに場末で、無人の夜市が開かれていた。ただ簡易的に建てられた店が並ぶだけで、そこには商品の一つも置かれてはいない。季節外れの薄紅色と共に、街燈が等間隔に並び、白っぽく光っている。そこには小さな蟲が群がっている。

 どこからか、ケシケシ笑う声が聞こえる。声の元を探しながら歩いていくと、足元に何かが当たった。

「痛い!何するんだ!ケシケシ」
「ケシケシ。蹴られやがったぜケシケシ」
「ケシケシ、ケシケシ」

 丸っこい目玉のついた三つ子のランタンが並んでいて、少年が蹴ったせいで転がった右端のランタンを、他のランタンが馬鹿にした。少年は倒れたランタンを丁寧に起こして、謝罪した。彼らは一斉に少年を嗤った。 

「起こしてくれてありがとよ!夜道には気をつけな!ケシケシ」
「ケシケシ、でもここでは謝ったら負けだぜケシケシ」
「ケシケシ、ケシケシ」

 ここには誰も来ないのですか?

「今からお客さんがくるぜ!ケシケシ」
「ケシケシ、悲観主義者の宴だぜケシケシ」
「ケシケシ、ケシケシ。ほらきた」
 
 彼らが体を向けた方から祭囃子と大量の足音が聞こえて来る。ないしょ話が群れた時のような荒い音が重なって、百鬼夜行の行列が姿を表した。途端に賑やかになる。大小様々な魑魅魍魎が列を崩して、腰を下ろした。

 彼らが花見を始めたら、我楽多市と書かれた旗が揺らめき出して、辺りは酒や飯やレコードやお面や、兎に角商品で溢れ返った。それが何処から現れたのかわからない。店主は皆透明だ。

 妖怪たちは陽気に歌ったり踊ったりして、鈴の音がしゃらんと鳴る。太鼓がトコトコ、笛がピーピー鳴る。大きな妖怪たちの足元を器用にくぐりながら、烏のような姿の小さい妖怪が数匹、せっせと盃を配っている。

 優しそうな、仙人風の妖怪が少年を手招いた。少年はそちらへと行って隣に座ることにした。背を丸めた仙人は想像以上に小柄で、地面につきそうなほどに長く白い髭が印象的だった。彼は少年を見上げて狐面と瓶ラムネを渡してきた。狐面は少年の顔にピッタリとはまるほどの大きさだった。

「お前さん、人間の匂いがするの。悪いことは言わん。森に入る時はこれをつけて密やかにしておれ。これをつけている間、大抵の生き物からはただの狐っ子に見えるようになる。ここにいる不眠症の荒くれ者どもは、誰もお前を喰ったりはせんが、ぷぷらどもはわからんからな」

 ぷぷら?

「そうじゃ。やつらもその辺の森でよく集会をしておる。しかも宴ではなく、見世物で楽しんどる。使用される人形たちは躾けた人間、しかも童だとかそうではないとか。やつらには大人を惑わせるほどの力はないが、きっと童などあっという間に食ったりなどしてしまうから、気をつけなさい」

 ありがとうございます

「いいんよ。爺のほんの気まぐれじゃ。わしは礼を言われるほど清くはないしの」

 ここは神社ではないのですか

「さあの。昔はそうだったのかもしれん。今は違う。なんも祀るもんなんかない、信じられるもんなんかない、寂しい土地やの。わしら妖どもも皆、大勢でいても心は独りぼっちやの。だから歌って踊っとる」

 爺と少年は、風が吹いて薄い花弁が舞い降りていく様子を、そっと眺めた。爺の空になった盃に一枚、優しく落ちそうになったのを、風が邪魔した。

 少年は、孤独が集まってもそれは大きな孤独にしかならないのだろうと思った。背後では熱狂的などんちゃん騒ぎが本格的に盛り上がり始めたようで、それでも少年と爺は、己の小さな孤独に想いを馳せた。

 そうしていると、長い銀髪が美しい、人間の青年のような姿をした鬼が来て、少年に線香花火を渡してきた。彼の皮膚はくすんだ水色をしていて、背丈は少年の倍くらいはあるだろう。真っ黒な鋭い爪で器用に花火をつまんでいる。反対の手には手燭を握っている。

「君もどうだい?私はあまり騒ぐのが好きではなくてね。ちょうどあっちで手持ち花火でもと思ったんだが」

 ええ、是非

「そうかい。爺はどうします?」

「わしは花火より酒じゃの」

「爺らしいですね、良い酒を存分にお楽しみください。それでは私たちはランタンの坊やたちに火を分けてもらいに行こうか。おいで」

 少年は狐面を鞄にしまって、立ち上がった。入れ替わるように、小さな狸が数匹やってきて、爺の隣に腰を下ろした。

 少年は鬼と共に三つ子のランタンのところへ行った。ランタンは相変わらずケシケシと笑いながら、何か下品な話をしているようだった。鬼がランタンたちに話しかける。

「君たち、少し火を分けてくれないか?」
「ケシケシ、汚い鬼が来たぞ!ケシケシ」
「だれが分けてやるもんか。ケシケシ」
「ケシケシ。ケシケシ」
「そうかい、残念だな」

 鬼はぼくの手からラムネを取って、ランタンにかけるような仕草をした。ランタンたちは慌ててカタカタ震えた。

「やめろ!やめろ!」
「分けてやるからさっさと持っていけばいい!」
「……」
「そうかい、ありがとう」

 ランタンはケシケシ笑うのをやめて、鬼の言うことを聞いた。けれども、彼を汚いと言ったことについては、謝らなかった。少年は安心した。彼らが素直に謝ったりなんかしたら、嫌な奴のままでいて欲しかったのにと思ってしまいそうだった。

 鬼は少年にラムネの瓶を返した。まだ開けていないそれの中身がランタンに降り注ぐことなどあり得ないことを知っていた少年は、彼が怖いのか優しいのかわからなくなった。

 宴の席の喧騒から少し離れた場所に水溜まりがあって、そこで少年と鬼は線香花火に火を近づけた。真っ赤な火は光の花になった。ぱちぱちと弾けて、中心の燃え盛る地球のような部分が反転した宇宙に墜落した。覗き込む少年らの顔は、映らなかった。静かに見送ってから、鬼は口を開いた。

「ランタンが言ったことはきっと正しい。私は何か、自分についた穢れのようなものに情を向けてしまっている。私は私自身に哀れみの目を向けることができてしまうほどに醜い存在なんだ。だからこそ、私以外の全てが美しいものに見える。例えばあの星。とても美しいが、私のために美しくあったことなど一度もない。それこそが最もあれを美しくしている」

 少年はラムネの瓶を開けて、飲みながら話を聞いた。瓶の中のビー玉から目を離して見上げた星は、いつもより色づいて見えた。鬼は穏やかに話し続ける。

「君に声をかけてみたのも、同じ理由なんだ。君はもうすぐ去るのだろう?ほんの刹那的な出会いは美しい。私が何者であるかに関わらず、君はその純粋な瞳のままここを去る。私が寂しいことと君が独りなことは全く関係がない。その事実が堪らなく好きなんだ。そしてそれはとても切ない気持ちでもあり、私をより私らしくする気持ちだ。爺曰く、妖になる前の私たちは迷い人であったらしい。だからかどうかは知らないが、私にも、私であったはずの何者かが築いてきた過去があったように思えてね。孤独の中にだけ、心に負った傷の隙間を覗いたときにだけ、己の真の姿が映るような気がするんだ。私が他の妖との馴れ合いを好まないのは、傷を舐め合って治してしまえばもう二度と同じ傷口は生まれないからだ。私は独りよがりで臆病で、我儘な奴なんだよ」

 失った過去は探しても見つかることはない。彼の心の内には、ぽっかりと穴が空いている。けれども、穴が空いているということさえ忘れなければ、今の彼は彼のまま、他の何者にもならずに済むだろう。

 少年は彼を美しいと思った。己の醜さを静かに慈しむ姿を美しいと思った。そしてそれは言わないでおくことにした。きっと望まない美しさなど、彼にとっては邪魔なだけだと、そう思った。

 少年たちは、残りの数本の線香花火が堕ちるのを見送った。数回の瞬きのうちに、美しいまま散っていく。形に残るのはただの埖、記憶に残るのは熱を帯びた小さな花。ほんの数十秒、時が止まったように感じた。刹那的な永遠の中に吸い込まれたようだった。

 鬼は最後の花火が堕ちたところで、背後の木の下に置かれていた胡弓を手に取り、奏で始めた。少年はラムネを飲みながら、耳を澄ませた。炭酸が喉を通っていくのと、近くで鳴る弦と弓が擦れる音が混ざり合って、ほんの少し、耳の奥と胸のあたりが痛かった。騒がしかった宴は静かになって、妖怪たちが集まってきた。鬼は構わず演奏を続けた。

 皆真剣に、けれども涙は流さずに聴いた。清らかな風と夏の湿気も、気を利かせているかのように心地よかった。誰も互いに関心を持たず、ただ音を聴いている、妖たちの優しさ故の冷たさは、鬼の奏でた音によく似ていた。

 演奏が終わって、妖たちは元いた枝垂れ桜の方へと戻って馬鹿騒ぎを再開した。鬼は少年の頭を軽く撫でてから、何処かへ行ってしまった。少年は空になったラムネの瓶を鞄にしまって立ち上がった。宴の場に戻らずにいた爺は辺りを見渡した。

「もう行くのかい?」

 はい

「そういえばお前さんは何処からきたのかね?」

 そっちの鳥居です

「鳥居?鳥居ならあっちにしかないはずやがの」

 少年は自分が来た道を振り返った。そこは一番大きな桜で塞がれていた。爺が杖で指す方を見た。確かにそこには石でできた立派な鳥居があった。首を傾げながら爺の方へ向き直った。

「この地では不思議なことがよく起こる。そんなに心配せんでええ。暗いから、手持ち提灯でも買って行きなさい」

 ぼく、帰れますか

「きっと誰かがお前さんのことを探しておるかもしれんの。わしには分からんがな」

 ずっとここにいるのに?

「ずっとここにおるからこそ、分からんことだらけやの。なーんも、分からんくなってしもうた。ただ、隠された子は皆最果てに来ることは知っとる。わしらも昔は、迷い人やった。いつしかその頃のことをほとんど忘れて、この地が棲家になって、ただいまも、おかえりも、当たり前のように使うようになった。己の過去に対して、寂しさも懐かしさも何も感じないことが、一番寂しいのかもしれんのう」

 爺は盛り上がっている賑やかな宴会の様子を眺めて、目を細めた。もしも彼らが皆、全く寂しくなどなければ、こんなに華やかな祭りは開催されなかっただろう。

「しかしお前さんは本当に帰りたいのかね?何処に帰りたいのかね?」

 わかりません

「そうかい。わしにはどうにもしてやれんからの。兎に角、達者での」

 爺も、お元気で

 爺は皺くちゃな手をひらひらと振ってくれた。少年も手を振り返してから、狐面を被った。それから、一番端にある店に行った。色とりどりの提灯が並んでいて、そのうちの一つ、真っ赤なそれを選んだ。髪の毛三本と引き換えだよ、そう何者かの声がした。

 少年は髪を抜いた。それは宙に浮いて、商品の横にあった賽銭箱に素早く収まった。透明な店主がいるであろう屋台の中の空間にお礼を言って、石鳥居に向かって歩いた。はずだった。


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