廻る家 7

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 数日後、約束通り結美さんは、結美A、結美Bと共にクッキーを焼いてくれたのだが、海斗君は嬉しさよりも、三人の結美さんに囲まれて感想を言うのを待たれることに対する緊張感の方を強く抱いた。

 クッキーはお世辞抜きで美味しかったので、たくさん頬張ってみせると、結美さんたちは一斉に笑い出し、そんなに急いで食べなくても誰も取らないわよ、海斗君のためのクッキーなんだから、と一字一句違わず言った。

 海斗君は、自分が結美さんを喜ばせるために幼稚な姿を見せることを選択しているのか、結美さんによって幼稚な姿を引き出されてしまっているのか区別がつかなかったが、どちらにせよ、結美さんの笑顔を見ると安心するのだった。

 時々暗い表情をみせるお母さんのご機嫌を伺う子供のような、つまりは結美さんに甘えながら、結美さんを甘やかしている気分だった。もし誠也が今の自分を見たら、僕の知ってる君はそんなんとちゃうわ、と思うのだろうと考えた。

 本当の自分とは、何なのだろう。海斗Aや海斗Bも、そんなことを考えるだろうか。彼らの方がやがて海斗らしくなって、自分はそれを真似する海斗Cになる、そんな世界も、あり得るのかもしれない。

 しばらく結美さん達とたわいもない話をして、ゆったりと過ごした。結美さんと結美さんの分身たちの話の何割が嘘なのか、海斗君への優しさも、上辺だけのものなのか、わからないままだった。しかし、それで構わなかった。嘘つきなところも、魅力的だった。

 自分を可愛がってくれる結美さんの数は多ければ多いほど良いし、結美さんが十人、二十人と増えていけば世界と自分の心が平和になるだろうとさえ思った。

 簡単に言えば、海斗君は彩月先輩や結美さんのような、クセのある美人に惹かれてしまう気質で、それは治るものではなかったし、そもそも治すものでもなかった。ただ、分身とはいえ、記憶までは共有していないのだから、やはり自分が一番好きな結美さんは、自分を一番可愛がってくれる本物の結美さんだという結論に達した。

 海斗君は後に誠也と共同で、『洸平』を執筆した。洸平は海斗君を元にして生み出された主人公の名である。

 機械人形に自分の真似をさせて、自分の代わりに社会の中で過ごさせようと計画した洸平は、計画を実現させ、自分の分身である洸平Aに仕事や交友関係の維持を押し付けて遊び呆けていた。

 いざ社会に戻ろうとすると、いつのまにか自分が手に入れるはずだった未来を洸平Aに乗っ取られており、自分の方が洸平Aの真似をしなければ生きていけなくなってしまっていた。周囲の人間たちは、洸平を洸平Aと呼び、洸平Aの方を洸平と呼ぶ。洸平はそれを嘆き、洸平Aは何食わぬ顔で自分こそが本物の洸平だと言い張り生きていく、という内容の話が描かれている。

 容姿、頭脳、交友関係など、ありとあらゆる自分らしさを奪われ、誰も本当の自分に見向きもしてくれなくなった洸平は、洸平Aを破壊しようと決意するが、洸平Aの人間らしさを目の当たりにすると、罪悪感で胸がいっぱいになって壊すことができなかった。

 洸平は洸平Aに家を譲り、生活費を送ることも約束し、引き換えに、あらゆる契約などの管理を共同で行うことを約束させた。その後、静かに地元を離れる。たどり着いた土地で、幸いにも一人の見知らぬ青年が手を差し伸べてくれて新たに人生をやり直す、という結末が待っている。

 もちろんその青年は誠也を元にした登場人物だった。洸平は今までの人生を取り戻すことはできなかったが、新たな友人と出会い、新しい洸平としての一歩を踏み出した。それを幸福な結末と捉えるか、不幸な結末と捉えるか、読者の間で意見が分かれることになった。

 『洸平』の出版をきっかけに、海斗君は、健介さんとの約束を果たすことになる。海斗君は、海斗B、誠也、健介さんと焼肉屋に行って、『洸平』について、また、その他の本についても語り合ったのだ。海斗君はその時、この家に住むようになってからの主な出来事を順番に思い返し、こんな生活も、自分なりの青春ではないだろうかと思った。

 そんなふうに様々な出来事があって、いや、様々な出来事があっても、と言うべきか、兎に角、海斗君はこの部屋に住み続け、全てが日常になり、今に至る。

 海斗君は、見学人に紛れる彩月先輩を見下ろしながら、代わり映えのしない日々に対する退屈さを感じる。彩月先輩はいつ見ても美しいのだが、もう見慣れてしまったし、この家も、住んでしまえば他の家とそう変わらない。

 まだ微かに感じる青春っぽさだけが、海斗君の心を少しだけ潤していた。海斗君は、小さなため息をついて窓から離れ、年末、一時的に実家に帰るための荷造りを始める。

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