見出し画像

私が英語を話せるようになるまでの話 ~大学編~

英語を話せるようになりたいと思ったことはありますか?私は英語を話せるようになりたいと夢見ていた日本人の一人でした。海外旅行をしたこともなく、家族親戚に外国にゆかりのある人は一人もいません。でも子供の時のふとしたきっかけで、外国に憧れ、いつか海外に行ってみたい、海外で英語を話してみたい、生活してみたい、と夢見るようになりました。中学に入ってからは、英語の授業が楽しくて、ひたすら勉強しました。頑張って勉強していれば、いつか必ず外国で英語を話せる日が来るんだと信じていました。高校でも(ほぼ)毎日単語帳とにらめっこし、難しい文法を必死で覚えました。英検5級から2級までは独学で合格しました。そして留学制度のある外国語大学を受験し、合格しました。

やった!やっと、ついに、これで私も英語を話せるようになるんだ!


私は何も知らなかったのです。英語を話すとはどういうことなのか、そこには何が待ち受けているのかを。ただ学校で英語を勉強していれば英語が話せるようになると信じ込んでいた、世間知らずのバリバリの日本人が、のちに同時通訳者になるまで、どのような挫折や失敗を経験し、どのような勉強をしてきたかを、みなさんにお話ししようと思います。「英語なんて無理」とあきらめている方も、これを読めば「私も英語できるようになるんじゃないか」と思うようになるかもしれません。もしくは、英語の習得に苦しんでいる方が、自信を持って勉強を続けてられるきっかけになればと思っています。私が実践してきた英語の勉強方法もご紹介しますので、ぜひ参考にしてください。

まずは、念願の入学を果たした外国語大学がどんな世界だったのか、というところからお話ししたいと思います。


帰国子女との出会い


外国語大学と聞いて、どんな世界を想像しますか?爽やかなキャンパス、そこには日本人だけではなく世界中から留学生が集い、学生同士の会話では英語が飛び交い、国籍や文化の異なる人たちの国際交流が盛んに行われている・・・そう、まさに、これこそ私の思い描いていた理想の地!やっと海外への一歩を踏み出せる!ここで英語が話せるようになりたい!!私はそんな大きな希望と期待を胸に、始業の日を迎えました。入学手続き直後に受けたクラス分けのためのTOEFL(筆記試験)のスコアにより、特待生クラスに合格していたので、まず初日にはその特待生クラスのオリエンテーションがありました(Orientation・・・、ここですでに教科書にあまり出てこない、得体の知れない英語にビビる)。いったい、どんな先生やクラスメイトがいるんだろう?ワクワクして教室に入りました。

「ねえ、海外経験は?」

空いている席に座ると、後ろにすでに座っていた女子に肩をたたかれ、こう聞かれました。

「ありません」

「え?」

「海外に行ったことはありません。はじめまして。」

私はそう答え、お互いに自己紹介しました。すると彼女は

「私はメルボルンに住んでたの。この子(隣の子を指さして)は今日初めて会ったんだけどシドニーに住んでたんだって。私たちAussie(ネイティブ発音)なの。」

・・・お、オーズィー??OZ??(スペルがわからない)

「ほかにAussie(ネイティブ発音)の子知らない?」

「・・・知りません。すみません。」

なんだろうこの違和感。何か思っていたのと違う。教室を見渡してみると、あちこちで生き生きとした私の同い年くらいの、見た目日本人の子たちが楽しそうに会話していました。その会話をよく聞いてみると

「Hi there!(ネイティブ発音) 入学式以来だね!」
「What's up? (ネイティブ発音)どこに住むか決まった?」
「Oops! Sorry!(ネイティブ発音)」

・・・え、英語しゃべってる!!フツーにしゃべってる!!しかもリアクションがガイジン!!

てか喋れんの??もう??

え?外大って英語学びに来るところですよね?なんで英語喋れるのに外大にいるの?逆留学生的なやつですか??(パニックで思考回路崩壊)

違和感の正体、それは、すでに英語を喋れる日本人がたくさんいるということでした。彼らはいわゆる「帰国子女」なのです。私はすっかり勘違いをしていました。外大には英語が話せない人が入学して、講義や海外留学生との交流を通じて、次第に英語が話せるようになっていくと勝手に想像していました。でも現実には、幼少期や青年期にご家庭の事情等で海外に居住していたり、高校までに海外留学を経験したりして、すでに英語が話せるようになった日本人、「帰国子女」が教室にわんさかといたのです。

出遅れた・・・。私は彼らと自分との圧倒的な英語力の差、スタートラインの違いを見せつけられました。私以外のほぼ全員が英語を話せるため、それがこの特待生クラスの大前提となっていました。だから当然「初心者でも大丈夫!一からはじめよう英会話」のような授業がカリキュラムに盛り込まれているはずもありません。だってみんなもう英語が話せるのですから。

英語を話せない私は、入学初日ですでにスタートが遅れた、周回遅れの劣等生なのだと気づきました。そんな人間がこの特待生クラスにいるなんて、先生やほかの生徒にとっては想定外だったかもしれません。担当する二人の先生はもちろん外国人でした。先生方がオリエンテーションの教室に登場し、それぞれ英語で自己紹介やクラスの説明をされました。言い忘れましたが、私は英語が話せないだけではなく、聞き取りもできなかったので(お察しの通りですよね)、当然先生方が何を言っているのかさっぱりわかりません。先生が時々ジョーク(と思わしき発言)を交えて軽快に話され、ジョーク(と思わしき発言)が聞こえると、ほかの生徒は一斉に笑っていました。説明もわからず、ジョークもわからず、オリエンテーションの間中、私はただ座っているだけでした。英語がわからないことがばれると恥ずかしいので、みんなが笑った時に私も一緒にアハハと笑いました。情けなくて終始泣きそうでした。

オリエンテーション後、何を準備したらいいかわからないので、Aussie族ではない別の女子に思い切って聞いてみました。彼女も帰国子女で、とても親切にオリエンテーションの内容を教えてくれました。彼女や彼女の周りにいた人たちは、私の一番の憧れの国「アメリカ」に住んでいたそうです。彼女はアメリカ生活がとても楽しかったそうで、駅までの道中、「早くまたアメリカに帰りたい、because that's my home」と嬉しそうに言っていました。(ところで、なぜ日本語を話しているのに途中から英語になるのか、まったく理解不能)

これまでの生活、経験、環境の何もかもが自分と全く違う人たちがクラスメイトとなりました。私は何と無知だったんだろう、なんと小さい世界で生きてきたんだろうと思いました。ちなみに、なぜ私がアメリカに憧れていたかというと、「フォレスト・ガンプ」という映画を観たからです。スクリーンに映し出される広大な自然の風景や、おおらかで芯の強い人たちのドラマを観て、私はこの国に行ってみたいと思うようになりました。それが英語を志すきっかけでした。でもそんな私の夢は、帰国子女の前ではどこかダサくて、それを語り合えるような仲間はそこに居ません。もうほかのみんなは私の夢を叶え終わっていたからです。

さあ、明日から大学生活が始まるぞー。朝の期待に胸躍らせていた気分から一転、帰りの電車では、消えてなくなりたいような気持ちになっていました。


この記事が参加している募集

英語がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?