第31話　搾取の意味を知る

　パートスタッフが、コロナワクチンの予約が出来ないことを快く思っていないと知った院長とセッカチさんは、アコガレクリニックでもワクチンを打てるように保健所に掛け合った。

　その結果これ以降のワクチンはスタッフ全員がアコガレクリニックで打てるようになる。

  自院でワクチンを打てるようになったのは喜ばしいことだが、同時に患者さんに対してもワクチン接種を始めた。
　それは想像を絶する大変な業務であった。

  アコガレクリニックは、通常業務だけでも待合室があふれる程の来院数だ。にも拘わらず、平日の昼と夜に大量のワクチン患者を引き受けるというのだ。

  その理由は、ワクチンを打った患者さんが多いほど、クリニックにたくさんの補助金が入る仕組みになっていたからだ。

  経営者としては当たり前の考えなのかもしれないが、雇われ側としては、通常業務に加え、昼も夜もワクチン患者を沢山受け入れたら、骨折り損のくたびれ儲けだ。

  　しかも昼休みのはずの二時間は、働いても時給が発生しないのだ。

　　スタッフ一同（セッカチさん除く）渋々のスタートとなった。

　　また、ワクチン接種は夜も遅くなるため、小さな子供がいるパートさんたちは、ワクチンのために遅くまで残ることは出来なかった。

　正直、私も身体が持つ自信はない。

  社員になってからというもの、土日はずっと勤務し、平日も一日しか休めない体制に疲れが段々蓄積していた。

 しかし社員なので文句は言えない。

  最初は、一か月だけワクチン接種をするので協力してもらいたいと言われていたのだが、一か月が過ぎようとした頃、あと３か月はこのままのペースでやるつもりとセッカチさんから聞いた時は、がっかりして気持ちもなえた。

  　ワクチンを打ちに来るだけの患者さんは、予約時間が過ぎるとイライラしだす。

　混んでいるのに事前に送られてある問診票に何も記載なく来院してくる人も多い。
　そのような患者さんを対応していると「誘導が悪いんだよ」と横で怒鳴る患者もいる→私は初っ端怒鳴られた。

 　そうかと言えば当日キャンセルもある。

 　キャンセルの連絡がなく来院しない患者さんもいる。

 　連絡なくてもずっと待っていなければならない。（連絡つかないと他に回すことが出来ないため）
　そして、予約時間を大幅に過ぎた後、キャンセル分を他の患者さんに連絡してワクチンを打ちにきてもらうよう頼むのだ。

　当初は、ワクチンを捨てるのは勿体ないと言って、セッカチさんの指示で、キャンセル分の患者さんが見つかるまで探し続けた。

  どうしても代わりの患者さんが見つからない場合は、スタッフの親族や友達に連絡して、ワクチンを打ってもらう事もあった。

　 通常業務と合間って、ワクチンの問い合わせの電話がひっきりなしに鳴り、その対応にも追われ、それはそれは毎日が戦争のような忙しさであった。

  　当然、スタッフの疲れは蓄積していき、とうとうセッカチさんの言動がおかしくなる。

　患者さんからも、セッカチさんがおかしい、心配だと私は頻繁に聞かされるようになった。

　ワクチンの手続きや請求など全て引き受けていたセッカチさんの仕事量は限界を超えるほどの量になっていた。

  そのためセッカチさんは、溜まった事務仕事を別室で作業をするようになり、私とノンビリさんと二人で窓口業務を担うようになっていった。

  ノンビリさんの仕事ぶりは相変わらずで、動作が遅い上に仕事が覚えられない。

  いちいち分からないことを聞いて来る。

 その度に私は自分の仕事を中断しなければならない。＜ノンビリさん受つけへ＞参照

  ノンビリさんの仕事ぶりを熟知しているセッカチさんは、忙しい時間帯に彼女とペアーを組む私を気遣い、少しの間は「受付で何かあったら連絡してくれればすぐ駆けつけるから」と言ってくれていた。

  しかし、段々と自分の仕事が忙しくなると、私からのヘルプの連絡が面倒になってきた様に見えた。

　「院長が私を頼るアミコさんを怒っています」

　「他部署の人たちがアミコさんは私に依存していると言っています」
  このような言葉を頻繁に使うようになった。

  　言動もどんどんきつくなり、威圧的で、私に「社員になって」と懸命に口説いてくれたあの頃の彼女はもういなかった。

　“釣った魚に餌はやらない”というわけか……。

  セッカチさんからしたら、私を社員にすれば自分は楽になると思っていた節があるのだが、思うほど私の働きは良くなかったからだろう。

  コロナが流行り、これほどの事態に遭遇するとは誰も予想していなかったのだが、セッカチさんのあまりの変わりように私は段々苦しくなってゆく。

　何とかしなくては。

　私はセッカチさんと話し合うことにした。

 そして受付を今の二人体制から　三人体制にしたらどうか？　と提案した。

  三人にすれば、受付はセッカチさんがいなくても仕事がスムーズに進む。

 セッカチさんも事務仕事に専念できる。

 私も少し余裕が生まれるのでセッカチさんの事務仕事を手伝ってあげられると考えての提案だった。

 ところが、セッカチさんからは予想外の言葉が返ってきた。

　「私は二人体制で問題ないと思っています、それに院長は受付に人を増やすつもりはないと言っています」

 　問題大ありだよ！　

　あなたはおかしくなっているもの！

　「今の病的な状態は問題なくやれているとは私には思えないよ。病気になってからでは遅いんじゃない？」

　このところセッカチさんは「毎日眠れない」「夜中冷や汗かいて気絶した」「トイレで倒れたこともある」「体調悪い」等々、普通ではないと思わせる言葉を私や周りに言っている。

 　そして等々「院長から、うつ病の薬を処方されたけれど怖くて飲めなかった」と言いだした。オーノー

　だから、私がもっと働いて、自分を助けて欲しいと遠回しに言っているのだろうが、私だって体の不調が（口には出さなかったけれど）あちこち出ているし、これ以上仕事を増やしたら倒れちゃう。

  　もう二人とも限界なのでは？　

 　その解決策として受付に人を補充する事を提案したのだ。

 　そんな状態にもかかわらず、セッカチさんは「私は大丈夫。アミコさんが大変なら院長にそう言ってみますか？」と語尾を強くして言った。

　その言葉を聞いた私は流石に腹が立った。

 　「このままなら私はやっていけない、今すぐとは言わないけれどパートに戻してもらいたい」

　　”売り言葉に買い言葉”

  　その時私は心なくもそう答えてしまった。

　　そういう私を威嚇するかのように目を吊り上げるセッカチさん。

　「社員にしてあげたのに！！　今更パートに戻りたいなんてアミコさんは無責任です！！」
　興奮して声を荒げる。

 　社員にしてあげた？
　あなたが強く望んだから社員になったんだよね？
　酷い言われようじゃない？

　「私がアミコさんを支える」
　
　「そばにいてくれるだけでいい」
　

　セッカチさんの言葉が、頭をぐるぐる駆け巡っては消え、それが遥か遠い昔のことのように思えた。

　「私は彼女に搾取されている‼」　

　この時初めて気が付いた。　

独り言

　セッカチさんがおかしくなって、うつ病の薬を処方されたと聞いた時、私は院長のことが分からなくなっていた。
　セッカチさんが、うつ病かどうか？は別として、うつ病の薬を出したと言うことは、少なくとも院長は彼女を”心の病”と判断したのだろう？
　それなのに、彼女を休ませる事なく、自分の仕事もやらせ、私には「セッカチさんを大切にしろ」と言う？
　私はこの時、院長が憎く、セッカチさんが気の毒に思ってしまった。
　

　そして彼女は心の病気なのだからもう少し支えていこうと思ってしまった。