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人の数だけ不幸がある

『私ならこうする』
『私はこうして乗り越えました』

こんな類の文言を見つけるとぞわっとする。
いやいや、たまたまでしょ?
あなただから、こうして乗り越えられたんでしょ?
無理無理私そんなことできん。なんて、穿った目で見てしまう。ダメな私。

もちろん「こういう方法もあるんだよ」というのは大変参考になる。試してみて合致した方法もたくさんある。
ただ「私だったらそういうことしない。こうやって勝つ」みたいな諭され方をすると、いやいや私になれるもんならなってくださいよーってその後の話は上の空。

私の喜びも、幸せも、痛みも、苦しみも、過去も未来も悩みも、全部私だけのもの。
経験から得たものも成功談も、私だけのもの。
私という人間で、取り巻く環境があったからの結果に過ぎない。
同じことをしてまた同じ結果になるとも限らないのに、当事者や環境が変わればますます当てにならない。

とは言うものの、『私ならどうする?』を想定したコミュニケーションを心がけている。だからこそ、「私だったらこうする」という文言が使えない。
私はかなりのポンコツ人間だ。
どうしてこんなに色々下手くそなのかと悩みまくる日々である。
こんな私が誰かの相談を聞いて、私ならどうするか考えても無駄なのだ。「私だったら何もできないな…」と、相手の過去に感心するばかり。
みんな眩しく輝いている。

ただ「私ならそんな苦難耐えられなかったよ。私じゃ乗り越えられなかったよ。」と言葉にするのは不適切なこともある。難しい。
当人からしたら「いや私だって耐えられなかったですけど」となる。ですよね。


病棟では、被虐待児、発達障害からの家族間トラブル、統合失調症、経過観察で入院となるケースが多かった。
中でも児相が絡むような患者は、ドラマのような残酷さが現実に存在し、彼らの風貌がそれを生々しく物語っていた。見た目ではない。彼らの放つオーラというか、目つきや人との距離感に違和感があった。


誤解を生むといけないので補足するが、それは危ないとか怖いとかそういうものではない。
本来、初対面の人間には少しの警戒心と緊張を持って接するのが普通だと思う。たとえ誰とでも仲良くなれる無邪気な子供でも、この人は優しそうかな?と一瞬テリトリーに入るのに考え固まる時間があったりする。
それがほとんど感じられなかったのが、彼らの共通点のように思う。
笑ってくれるのだ。
不自然なほど自然に、上司の顔色を伺うように、まるで利害を瞬時に判断しているような賢い笑顔を見せ、駆け寄ってくるのだ。
それは多分、養護施設や児相での経験からなのだろうと思う。
この幼さで、四六時中集団生活を強いられるのはあまりにもストレス。加えて厳しいルールと規制、子供同士の上下関係、職員達の立場、学習時間の確保だってある。
親からの仕打ちに耐えてきた生活に比べればマシな子もいるだろうけれど、安全と引き換えに自由も制限されることになる。
そんな場所で生活してきた、するしかなかった彼らの姿はとても逞しかった。
"子供らしさ"を失いながら、本当なら許されるはずの欲求を諦めながら生きてきたのだから当然なのかもしれない。


『私ならどうしていた…?』

私なら…答えは出なかった。
だってそんな残酷さに触れたこともない。いじめに遭ったこともないし、裏切られるはずのない親から死ねと罵倒されたこともない。施設に入ったこともない。離婚も、継母継父との関係性も、貧困もネグレクトも知識と事例以上のことはわからなかった。

家族の待つ家があり、毎日洗濯されたいい匂いの服を着て、黙っていれば温かいご飯が出てきて、もらったお小遣いで好きなお菓子を買って、眠くなったらふかふかの布団で横になった。
それでもそれなりに、聞く人が戸惑うくらいの困難は結構あった。なのに。

私なら…
私なら…
彼らの状況を考えては黙り込んでばかりいた。
というより、ただただ彼らの話を注意深く聴いた。目の奥がきゅっと突っ張るような感覚に耐えながら。
淡々と事実を語るのは、悲しみも憎しみも超えた先の感情によるものなのかもしれない。
嗅覚も視覚も触覚も心の痛覚も持っていかれそうなほどに生々しく想像した。

自分には到底乗り越えられそうにない困難を生き抜いてきた彼らを、私は心底尊敬していた。
家族の愛を知らない彼らが、慣れない職場で体調を崩す私を気遣い「大丈夫?」と声をかけてくれる優しさに何度も救われた。
時に見せてくれる飾らない本当の笑顔と笑い声につられ、一緒になって爆笑した。
突然の孤独感に襲われ涙が止まらなくなった時は一緒に泣いた。

夜を怖がるぴよちゃんとはギリギリまで保護室の外側で話をして、「あなたの声はちゃんと聴こえている。何かあったら必ず駆けつけるから大丈夫。おやすみ」と約束した。
朝には、「(眠れた?)うーん微妙ー。げ、朝ごはん納豆じゃん!くさー」などと談笑した。

死にたいという言葉をただ聞いてほしくて部屋に戻れなかったポンちゃん。
消灯後のデイルームで、ひたすら他の言葉を紡いでくれるのを待った。ぽつりぽつりと、死にたいの裏に隠れた気持ち、本当はこんなことが辛かったのだと教えてくれ、一緒に部屋へ戻ってくれた時はとても嬉しかった。

許されないようなことをした子も中にはいた。
それでも、そこまでの経緯を知れば、よくここまで頑張って生きてきたねと手を握りたくなる。

能力も経験値もない、年を重ねただけの"大人"になった私だが、大人として、彼らに謝らなければいけない。そう思った。

私の経験が活きていると言うのなら、
・自分の経験は、他者にとって当てにならない
・人の数だけ不幸がある
・生きているというのはそれだけで偉大
これらを学べた点だけは価値があると思う。

つづく。のか。

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