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ヨガ哲学の教え


インドで学んだヨガ哲学には、
これから心身ともに健やかに生きていく上で
自分の支えとなるであろう教えが沢山ありました。


規律や、考え方、食事、多岐にわたって受け継がれてきた知恵。


『ヨガとは、ただマットの上でポーズをとることではなく、健康的な身体、健康的な精神を持ち安定することを目指すもの』


常に自分をリラックスさせる術を身につけ、
何事にも動じることなく、
知性を持って物事を捉え、判断したり

マインドをよく観察して、自分自身を自由自在に扱えるようになることだったり

質高く自分の均衡を保つこと、
何を考え、何を話し、どう振る舞うのかという
人生の生き方そのものであると知りました。
(これはあくまで私の解釈ですが)


ヨガって凄いなぁ。


そして、ヨガをどう解釈して、どう実践していくのかに正解は無く、それぞれが自分なりの答えを探しながら向き合っていくのも、すごく心地のいいことだと感じます。


ここからは、ヨガ哲学の授業で最も心に残った
『ヤマ』『ニヤマ』という社会的・個人的行動規範(モラル)を少しご紹介します。


いつもこの教えを胸に、生活することができたら
すごく快適で良いだろうし、
混乱していた昔の自分に教えてあげたいことだらけです。



まずは、【アヒンサ】
サンスクリット語で、非暴力を意味する言葉。
言葉・行動・考えにおいて他人を傷つけてはならないという教え。

他人に対して良し悪しのジャッジもしないし
コメントもしない。
否定することなく、あるがままに『そういうものなんだな』と思い受け入れていく。

そして、それは自分自身にも同様。
否定したり攻撃的な感情をもつことで自分を傷つけてしまうならそれはアヒンサを破っていることになる。

これまでは自分に必要以上に厳しくしたり、
適当に扱うことが多かったから、
今後は相手に対してはもちろん、自分にも暴力的にならないように心がけていかねば。


次は、【サティヤ】
サンスクリット語で真実を意味する言葉。
(awichのリリックにも出てくる単語でわいた)

自分の心に正直でいて、誠実な行動をとること。
良い言葉をはき、悪い言葉をはかないようにという教え。

そして先生から、
『日常で、"うるさくしない"こと。なるべく静かでいて、余計な言葉を発さないようにすることを心がけましょう。』

そう伝えてもらいました。

余計な一言で誰かを怒らせてしまったり、
何気ない一言で誰かを傷つけてしまう可能性が
ある。(口は災いの元っていわれてるもんなぁ)

そうならないように、自分の内側を静かに保ち、
発言することに対して慎重でいる姿勢は
確かにとても大切なことだなと。


そういえば、私が素敵だなと思うひとたちって、
物静かだし、ゆっくり話す人が多いなって気がつきました。真似することから始めよう。


最後は、【アパリグラハ】
サンスクリット語で無所有を意味する言葉。
必要以上の物を欲しがらない、手にしないことで自由を獲得することができるという教え。

『欲望とは海水と一緒。飲めば飲むほど喉が渇く。』

そう言われるくらい、欲望は尽きないもの。

何かを手にしてもまた、新しい何かを求めて
そのループは終わらないし、そうしているうちに自分が手にしているものが何なのか見えなくなってしまうこと、結構あるよなと思います。

クローゼットに服がぱんぱんあるのに、
明日着ていく服がないと本当に思っていて、
買い足してばかりだったこともあります。汗 


必要以上の物を手にしないと決めて
強い意志をもって判断していくことができれば、
本当に必要なものが何か見えてくるという。


インドでの生活は、足りない物だらけでした。
不便なことも沢山ありました。

でも同時に、元気な身体と心と、ごはん、水、寝る場所、少しのお金があれば十分、生活できると知りました。


本当に必要なものって実はそんなに多くなくて
そして、そのほとんどを既に私たちは手にしているってことなんだと思います。

それを見失わないためにも、『本当に必要なのか?』問いかけていかねばです。

ヤマ、ニヤマの教えは、まだありますが
とてつもなく長くなってしまうのでこれで終わりにします。気になる方はまたどこかで。


では、最後に私がインドで学んだことの
集大成だと思える言葉で終わります。

『何かを得てから幸せになる未来を待つ』のではなくて、
『今幸せであることを自分で選ぶ』ということ。

期待や欲に執着して満足を追いかける人生と
自分の内側にある喜びや幸せを感じながら生きる人生。

私たちは、そのどちらも自由に選ぶことができる。 

インド編、もうちょい続きます。
しゃんてぃ〜。

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