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スピノザを読む理由。

【本屋で本を買う、ということ】

妹から、「実家近くの老舗書店が閉店した!」という連絡が来た。
残念、という意味も含めて驚いていたようだが、今更驚くこともできない。
本の利益率を知っているか。単価は? ラーメンよりは高いかもしれないが
不動産や自動車よりは安い。そして自分も含めて、客注までして店で本を買うことに対して、プライバシーというほどでもないけど、サクッと買えるほかの方法に慣れたら、いまさらお店の人の手を煩わせて注文することに、ハードルがたかくなっていないか。

【能登鉄道廃線のときと、一緒だ、、、、】
真っ先に思ったのはそういう感じ。閉店する、廃線になる、と言うと途端に人は関心を持つ。ああ、文化の火がまた一つ、住民の足がまたきえる、今からでもできる最後のご奉公みたいな感じで遠くからも来客がある。

しかし、それならなぜもう少しでも普段の生活のルーティンに入れてあげなかったの? ふだんはA。。。で本をサクっと頼んでおきながら、お店に脚もお金もはこばないで、閉店になるってきいたから「文化、、、」とかいうのは、どうなんだ。かくいうわたしも、能登鉄道の時はそうだった。廃線になる、と決まってから穴水まで電車に乗った。もう遅い、そんなこと言う前に毎週一回電車に乗れば良かったのだ、それが出来なかったのは必要がなかったのではないか。

⭐️というわけで、先日駅ナカの書店で本を買った。
 岩波新書、「スピノザ」。哲学史の中で、ちょっと傍流扱いのスピノザ。
國分功一郎の著作「中動態の世界」の中で、テンションが他の章に比べて高すぎて読みこなせないスピノザの章を理解する手掛かりとして買ってしまったこの本、意外にも面白い。ヘブライ語文法の本を書いた哲学者なんて他にはいないのでは。それくらい、語学は重要だ。世界の認識の枠組みをアプリオリに決定ずける言語。言語のことを考えるのに、言語を使用してしまうという陥穽。スピノザを読むことは、それを突破するひよつの方法論になるような気がした。
なくなってほしくないお店には、惜しまずお金をおとしましょう。
安いとか高いとか言っている場合ではありません。

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