I et.al.

戦後を主とする近現代の文学研究。半端者。乱読者。noteは日記等の雑記として。

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読んだもの総覧&書評目次 2022-2024

 書評類の目次頁みたいなものが出来たらいいなと思って、試してみています。読んだものを作品ごとに時系列順に記します。作品は複数を極力まとめて書き、完読したタイミングで読了も記します。(一冊まとめて読んだ場合、また長編小説・研究書などの場合は、書名を優先し、作品/章別にはしません。)読んだ日付は末尾に[20XX/XX/XX]等の形で示しています。  書評へのリンクは全体に下線、日記へのリンクは日付に下線、としています。 237 安部公房『砂の女』(新潮文庫)[2024/3/23

    • 読んだもの断片記 4/10-4/28

       集中力がなく、数十冊の書物を日々齧り読みし、その度読了できないことを嘆く。そのように、遅々として前に進んでいないような停滞のさなかにも、確かに齧った知があるとするなら、それを記しておかぬ手はない。  この記録は、そうした本と本との集中力のないスキゾな横滑りを、奔放に綴ろうとするものだ。書誌情報の他には、この卑小な読み手としての私が感じたことや考えたこと、あるいは、雑に何かと結びつけることもあるだろう。これは断片たちの適当な記録である。適当に続けていきたい。  見出しにあ

      • それでも、星を追う

         全てのものが腐乱するような日曜日だ。冷蔵庫を開ける、意味はない。閉める。意味は生まれない。夜の底で冷たく絡まり合う洗濯物に手をつける。「四月は最も残酷な月」と詩人が言ったのを思い出して、生活は呼吸や心臓の動きのように、意識せずともここに在る、在ってしまうことに気がつく。もはや意味の発生しない最小の領域と単位で、在るだけの生活に慣れてきたところだ。遠い声がゆき過ぎる。遠い部屋に生きる人々が、同じようにして記憶の通路を通り過ぎる。  カーテンの隙間から一条、街灯のLEDが鋭く

        • 4月5日

           今日は今年で最も実りある1日だったと思う。ブルシット・ジョブを終えて18時30分からバレーボールの地域の体育館開放に向かう。学生、社会人問わず集まって、バレーボールをする集まりだ。会社の人から存在を聞き、今日初めて行ってみる。電車を乗り継いで40分、居心地が悪かったら嫌だなと思いながらのある意味での挑戦だったが、結句、行ってみて本当によかった。中高生がたくさんいて、社会人は少なかったが、近隣の高校に通っているという気さくな男子高校生たちの仲間に入れてもらい、サーブのテクニッ

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          4月4日

           4月は最も残酷な月、とあることが身に沁みてわかる。俺は、他人の悪意、気まぐれ、不機嫌に付き合わされるいい人間だ。決して逆のことを意図的にしたりしない。  仕事で老人に絡まれる。上層が発達していない死にかけの子ども、この世で最も同情しなければいけない可哀想なひとである。というかむしろ、老いというのはそういうものなのだろうか。あまりに悲しくなる。  日記を書く習慣ができ、あまり細かくは日々のあれこれを綴ることはできていないが、確実に書く頻度は上がった。これからは逆に頻度を維持

          4月3日

           どんなものも軽蔑しない、という快哉さに胸を打たれる。正の方向に一貫することは、親密さと有益さにひらかれるということでもある。それは社会的になる、という無機的な用語では表せない機微である。  アレジオンを飲んで寝たので今日は花粉症がかなりマシになった。会社に行って書類と、会議の準備をする。準備で1日が終わる。  昼休みには高山宏『近代文化史入門』(講談社学術文庫)を読みすすめる。18世紀初頭は日記が最速最強のメディアであったと目に留まった。日々の時間を記録して集積するという発

          4月2日

           とんでもない花粉の飛散量で、呼吸器の存亡を感じた1日だった。蕁麻疹も出るし、身体が十全な日というのは存在しないのだろう。沖縄県には花粉症の元となる杉や桧が植っていないらしく、重症患者はそこに避難することもあるようだ。安定した今の生をかなぐり捨てれば、鼻腔と呼吸器をクリーンに保てる、という魅力的な提案。とにかく遠くへ、寒冷地か沖縄へ、と願うばかり。  どうやら人事異動で新入社員がチームに来るらしい。可哀想に。この季節は俄に変化の匂いを漂わせる。それは魅力的でもあり、頽廃的でも

          4月1日

           昼、食堂で飯を食っていると、新入社員がどでかいネームプレートを胸につけてぞろぞろと食堂に入ってくる。一年前はああした恥辱を嘗めていたと思うと死にたくなるが、通過儀礼と思えば耐えることもできよう。期待の滲む若い顔。反復の中で老いるのを待つ、若い顔。  という自分も年寄りではないのだが、どうも昔から、何かに期待することを冷笑してしまう。このシニシズムこそ、私が立ち止まって凝視し、駆逐しなければならない自分自身の影なのかもしれない。  夕食は社食でよくわからない豆腐の煮物を食べ、

          3月31日 

           朝から片頭痛で、8時に起きて、またダウンする。結局14時まで寝ていたのだが、向かいのマンションの建設の件で説明に来たスーツのおじさんと、数日前に買ったmac mini とキーボードを届けに来たおじさんに断続的に起こされたため、頭痛の治りも遅く、吐き気が完全に消えたのが昼過ぎになった。  全てを許すつもりでMacをセットアップし、キーボードをつなぐ。打鍵音が良すぎて、これで執筆の環境が整った、と嬉しくなる。    明日で社会人になってから一年となる。一年は長い。一年耐えられた

          3月31日 

          3月30日

           後楽園に阪神×巨人第二回戦をみる。東京ドームは気圧があって少し頭が痛くなる。久しぶりの観戦ともあり、気分は高揚する。  試合はというと、書きたくもないくらい酷いもので、得点機会を作っては自滅し、ちぐはぐな采配でフラストレーションが溜まる一方だった。ドームを出る黄色い負のオーラを纏った大群。あまりにも疲れ果ててしまった。  しばらくは大人しくしよう、と思った。どこに行くにも、何をするにも、自閉し、思考し、それこそが自由だと捉えようと思った。その自由の薄い膜を、身に纏わせてスト

          3月30日

          3月29日

           朝起きて、Amazonのセールをやっているので、この機会にmac miniを購入する。キーボードもいいやつをあわせて買い、会計が十万円近くなる。高い買い物をするのはやはり慣れないし、少し緊張してしまう。  ゆっくりと支度をして職場へ向かい、気がついたら退勤していた。高校時代の友人と駅で待ち合わせ、飯を食いに街を彷徨くも、金曜の夜ともあり、どこも満席で、結局15分くらい待って餃子の王将に入る。熱気と湿気のあるこの場所。二年ぶりくらいだったけど、たまにはいいな、と思った。友人が

          3月28日

           会社のバレー部へ。男子バレーやハイキュー‼の映画を見てモチベーションが上がっていたので、普段より動きがよかった。あとはストレッチは毎日しないといけないと感じた。これから衰え行く身体に、少しでも、なんというか労りをあげないといけない。そのためには、適度に負荷をかけていかなければならない。  飲み会の誘いをすげなく断ってしまい、若干先輩の機嫌を損ねたかもしれない。気がかりだがまあ仕方ない。ここのところ雨続きで、人と楽しく笑い合える確証がなかったのだ。

          3月27日

           印象がない。

          3月26日

           自由になる。考えることから、自分を縛る自分から。と思うだけで、少し軽くなる。職場でも蕁麻疹が出るようになり、薬の効き目も薄れてきた。掻痒の体で目の前の作業に没頭する。開かないオフィスビルの窓にブラインドは下がったまま、瞼の裏のほうがまだ明るい。  欲望、という「たどりつけなさ」の概念。今とは違う誰かに、今とは違うどこかに、と願うのはあさましいことなのだろうが、無視できない切実さを、その時は持っている。ノリノリで何かをすることも、シラケて諦めることもできない。やれやれ、と言い

          3月25日

           日記をはじめて1か月になった。めんどくさい日はほとんど何も書かなかったり、読んだ本でしのいだりしたけれど、少しずつでも日々が「そこにあった」ことを感じられている。  今日は3時くらいに、ストレスのかかる明晰夢で、蕁麻疹が出て目が覚める。どうしようもない夜の重みが身体にまとわりついたまま出勤する。雨が降りしきっていて、高層階にある会社の食堂からは周りのビルくらいしか見えない。霖雨のなかに沈みゆく一日。労働からは逃げられない、という愕然たる事実に顫える。  楽しくもない作業やど

          3月24日

           また代わり映えのしない休日。金曜に金を使った反動で、家に閉じこもって飯もおろそかに本を読んだり筋トレをしたりする。浅田彰『構造と力』(勁草書房)を読み始め、かなりいいなと思う。そして浅田が東浩紀『存在論的、郵便的』に寄せた帯文を思い出し、二つの著作に通底する脱構築的なあわいを重んじる風土を了解した。