【随想】トイ・ストーリー

トイストーリー3
笑って泣いてハラハラさせられて
またピクサーに
まんまと感情を弄ばれてしまった

なぜ感動するのか

そこに
だれもが経験したことのある
普遍的な共感できる
ストーリーがあるから

当たり前か

そして
シリーズを通しての
キャラクターたちの経験

その二重のストーリーで
ダブルバインド

感情が揺さぶられてしまう

玩具の持ち主である
アンディの成長とともに
玩具の主人公ウッディとの
関係性は変わっていく

ウッディは
アンディの大学進学とともに
新しい持ち主
ボニーのもとへと移動する

それは
必要性である

エンタメは求められ
必要な場所に
行ってこそ価値がある

逆に
不要になったらゴミ

非常にビジネス的な発想
需要と供給の一致が
幸せであり
資本主義であり
経済合理性である

しかし、感動は
そこからやってくるのではない

じゃあどこから?

アンディの
昔を思い出し
懐かしみ
玩具と遊んだ
愛情を注いだ瞬間の記憶
その人しか持ちえない
あたたかな
別れを惜しむ
自己愛の
感情

そして
ボニーが
また自身の物語として
玩具との関係を
作ってくれるであろう
ウッディの最善を考える
利他愛の
感情

その複雑な
心境すべてが詰め込まれたアンディの表情

そこから
やってくる

そして4では
更に大きな選択がある

4の前半はフォーキーという
ボニーによって作り出された
オリジナルの玩具の物語

フォーキーは
図工の時間に
そのへんにある身近な材料で
作られた

4の大きなテーマは
創造主と被造物についての物語である

フォーキーと接することで
ウッディはエンタメという
ただの求められる商業的な存在の
生きる意味を問い始める

フォーキーは
玩具としては
誰からも必要とされない
ゴミであると自分自身は思っているが

しかしボニーは
自分自身で作り出した
大切な玩具として
創造主として無償の愛を提供する

そこには玩具としてではない
単に楽しませる存在ではない
双方向のエンタメを越えた関係性がある

今のSNSやゲーム、昔のニューアカやシネフィルっぽい

必要性ではない創造主との
関係性においてのみ実存が肯定される

ウッディはそれを見て
玩具であっても
求められる存在だけではない
自分自身の
能動的な選択可能性を見出す

「お前は玩具だ」
1でウッディが、相棒の玩具バズに放ったセリフである

自分のことを
正義のヒーローだと思い込んでいるバズに
現実を見ろと訴えた

しかしそんなウッディも
4では
玩具からの自由を求めて
新たな自分自身の物語へと繰り出す…

まるでサルトルの
アンガージュマンのように

というあんまりに良くできすぎている
ストーリーラインのため、
3と4にかんしては、
ちょっと優等生すぎると感じています

なんせもはやウッディは玩具ではなくなって
人間になってしまったから

ピノキオかい

「玩具は人が見ていない間実は生きている」
というファンタジーから
4でとうとうリアリズムになってしまった

ので、一番いいのは勿論、玩具としての葛藤を描いた1と2になります

玩具であっても、空を飛ぶことができる
夢みがちな少年心


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