静かな爆弾

最近発信の類も面倒になっていたけど
noteならと
帰ってきたのには
理由がある。

私は小さい頃から孤独を感じると
書き殴る。
ときには自由帳の裏に、広告の裏に、大学ノートに。
携帯がでてきてからは
mixiにFacebook、インスタ…
映えを意識することもなく
ただたんに思ったことを
ドシドシ書いていた。

今年、身体の中の爆弾を発見された。

小さい頃は毎年数回入院した。
何度も死にかけていた。
どれだけ吸っても空気は入ってこなくて
気管支が、だんだん縮んでいくのが
目で見ずとも感じられる。

あぁもうすぐ
私の気管は閉じる。
やりかけの宿題も、勉強も、もうやらなくていい。
お母さんに怒られることもない。
母がヒステリックに怒鳴り散らす音が
世界で1番嫌いだ。
死んだ世界はどんなだろう?
まだ子どものままでいられるのかな。

空の雲の上で優しそうなバーチャル家族と過ごす自分を
よく妄想した。

そんなことを考えていても
声は出ず
身体は動かない。
私には意思を表出する術が全くなかった。

誰か!気付いて!私死にかけてるよ!
救急連れてって!
点滴させて!

そう思ってももう
私の声はただの喘鳴でしかなく、
誰も気付かない。

あぁやっぱり私は死ぬんだな、と
その度に絶望だった。

私の命は私のものなのに
私にはそれをどうしていくかを
決めることすらできずに
両親に委ねられている。

子どもって圧倒的に無力だな
と子どもの時からずっと思っていた。

そこから長い長い時間が経ち、
視界もほぼなくなりかけた頃、
やっと救急に連れてってもらった。

即入院で、
医者は私の前では優しかったけど
少し怒ったような様子だった。

酸素マスクをして
吸入をして
母が毛嫌いする薬の点滴をしてもらって
いつもはそれでよくなるのに
その日は全く良くならならなかった。

そんな私に母はずっと
自分が嫌いな薬を使われたことへの文句を言っていた。

正直母のこだわりなんかどうでもよかった。

今ここでさっきより空気が吸えてること。
私にとってはそれ以上重要なことはなかった。

小学生に、死なんて意識させちゃいけない
と何度も思った。

だけどその後の人生で何度も辛いことがあって
死にたいと思っても実行しなかったのは

小学生の頃の
生きたい
を感覚的に思い出したからというのは
根底にある。

と思ったら何が善悪で懲罰かなんて
一般論としてはあったとしても
厳密には誰にも判断できない気がする。

出産以外で最後に入院してから、
23年が過ぎた。

最後の入院の時は確か中学生の時で、
あまりにも寂しくて心細くて
家に電話をかけた。

「入院なんて暇なものよ?当たり前でしょう」と言われて
呆気なく電話は切れた。

あの頃から私は急激にやる気をなくし
成績は急速に下がり
将来なんか何も見えず
家に帰らなくなっていった。

今の自分はちょっとあの頃と似てるところがあって

孤独な戦いだ。

これでもし
子どもたちもいなくて
定職にもついてなくて
失うものが何もなかったなら

ちょっとしたきっかけ次第で急降下、
転落破滅の道に向かうかもしれない。

本当に人間の転落への一歩なんて些細なこと。
ほんの少しのボタンの掛け違い。

予防のために、自戒のために、
元気になるまでは
noteを、続けていけたらいいなと思います。


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