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旧東海道ひとり旅_8【大磯宿】

東海道五十三次 8番目の宿場町は、大磯です。

大磯は、平安時代末期に相模国の国府が置かれたり、東海道に伝馬制てんませい* が布かれる前から宿場の様相を呈していたりと歴史がありますが、前後の平塚宿と小田原宿に泊まる旅人が多かったため、規模の小さい宿場町だったそうです。
(*伝馬制: 公式の書類や荷物を、出発地から目的地まで同一の人や馬が運ぶのではなく、宿場ごとに人や馬を交代して運ぶ制度)

これはまるで、イタリアでいうところの Mestreメストレ です。宿泊地として人気があるのは VeneziaヴェネツィアPadovaパドヴァ で、その間のメストレはあまり目立たちませんが、ホテルや駐車場代が安くて、実は穴場っていう...
お車でヴェネツィアへ行かれる際は、Piazzale Romaピアッツァーレ・ローマではなく、メストレ鉄道駅そばに駐車し、電車でヴェネツィアへ入られるとよいでしょう。

雑談が長くなりましたが、今回はガイドブックを参考に、
鴫立庵しぎたつあん
・延台寺
・大磯海水浴場
...を訪れることにしました。


東海道線 大磯駅下車。
駅ビルがないので少しびっくりした。
大磯駅から徒歩で鴫立庵へ向かう。
歴史がありそうな洋菓子店。
この店を舞台にした小説は書けそうだけれども、敷居が高くて入りづらい…
鴫立庵を囲う柵沿いに歩いていると、妖怪のレリーフが… と思ったら、これは、大磯出身の第15世庵主であり鋳金家でもある原昔人はらせきじんが、病に伏せることが多かった正岡子規に贈った『蛙鳴蝉噪あめいせんそう*の蛙』なのだそう。(*カエルやセミがうるさく鳴きたてていること。転じて、大げさで内容のない文章や議論を指す)
鴫立庵(JR大磯駅から徒歩7分)に着いた。ここから中へ入る。


鴫立庵しぎたつあん

さて、僕は建築物や美術品のキャプションを写真に撮り、それをそのままブログに載せるような人間です。しかし、今回ばかりは、きちんとタイプすることにしました。
なぜならば、鴫立庵の説明書きには、漂泊の歌人・西行法師* の歌が添えられているからです。手打ちの歌を載せることにより、この記事を流し読みした人には、あたかもそれが僕の作品であるかのように見えるでしょう。法に触れず、正々堂々と盗作するチャンスです。
(*西行法師: 『嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる 我が涙かな』[百人一首] を詠んだ人)


心なき 身にもあはれは 知られけり
鴫立つ沢の 秋の夕暮れ

(ものの情緒を感じる心を絶った出家の身にも、しみじみとした情緒はおのずから知られることだ。鴫の飛び立つ秋の夕暮れよ)

中西 直己… じゃなかった、西行法師

この歌(↑ "引用" 上段のやつ)は、西行法師が大磯の海岸で詠んだとされる歌です。これにちなみ、崇雪そうせつという人物がこの地に五智如来像を運び、西行寺を作る目的で草庵を結んだのが鴫立庵の始まり、とのこと。
現在では、京都の『落柿舎』、滋賀の『無名庵』と共に、日本三大俳諧道場と言われているそうです。

昭和48年3月1日に、大磯町によって建てられた『鴫立澤標石』
裏面には、「あきらかに湘南は清絶をつくす地」という意味の『著盡湘南清絶地』という、崇雪が詠んだ句が刻まれている。中国 湖南省・湘江の南側を湘南といい、大磯がその地に似ていることからそう呼ばれるようになったのが "湘南" の始まりだそうだ。
この歌碑に「心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立澤の 秋の夕暮れ」が刻まれている。
源頼朝からもらった銀猫の置物を、門外で遊んでいたガキにあげた… という故事にちなみ、無我無欲の心を持つよう建てられた、とのこと。ちなみに、碑の後ろのほう(写真中央・奥)にチェーンソーが写り込んでいる。実はこの日、剪定が入っており、レセプション(?)の人から「ごめんなさいね。危ないから気をつけてね」と何度も言われた。
西行の歌を題材に作られたオブジェ
元禄時代に建てられた円位堂に安置された西行法師の座像

『東海道中膝栗毛』では、弥次さんと北さんは鴫立澤を訪れ、西行像に向かい次の歌を詠みました。

われわれも 天窓あたまりて 歌よまん
なたづくりなる 御影みえいおがみて

この連載では、"1記事につき、1首または1編の短歌か詩を詠む" というルールを設けていますし、せっかく自分も西行像の前にいますので、ここで一首...

おがむより 先にごまめの 歯ぎしりが
天窓あたまっても 詠めねぇんだけど


芭蕉が来庵したことはないが、"初代庵主と同郷だから" という理由で、4代目庵主によって建てられた句碑。刻まれているのは百明弟子による句だそうだ。
仏戦隊☆五智レンジャー

この写真(↑)を見ながら、アンドレアが言う。
「この魔法使いたちの名前はなんていうの?」

...彼は仏陀を魔法使いだと思っているようだ。

本邦初公開☆僕の部屋
もちろん冗談です。
レセプション小屋(?)入口付近に設置されたスタンプ台。消毒液の上に緑色の虫がとまっている…
仕事用のメモ帳に押したので、罫線入り。


■延台寺

『東海道中膝栗毛』で、弥次さんと北さんは『虎が石』を見て、

Kのさとの 虎は藪にも 剛のもの おもしの石と なりし貞節」

Yさりながら 石になるとは 無分別 ひとつはちすの うへにや乗られぬ」

...という歌を詠みました。
そんなわけで、虎が石の奉られている延台寺を見学します。

延台寺 入口
延台寺 敷地内
延台寺 本体(?)
『虎が石』が置かれている小屋
虎が石(写真中央の、布が掛かっているやつ)。開帳は毎年5月下旬なので、残念ながらガラス戸越しの撮影。まぁ逆に手の届かない場所にあってよかったよ。この石、美男じゃないと持ち上げられないんだって。つまり僕にとっては綿わたより軽いだろうから、危うく窃盗犯になるところだった。ん? そんなことどうでもいいから『虎が石』のを書けって? でも、もうキャプションがいっぱいになっちゃったし… 今回は割愛します。

『虎が石』についての説明は割愛しますが、『東海道中膝栗毛』では、この石を見ながら弥次さんと北さんが二人で歌を詠みましたので、僕もアンドレアと一緒に、上の写真を見ながら短歌を詠みたいと思います。
僕は北八が詠んだ歌(のさとの…) と同じような内容のイタリア語短歌を作りましたので、それに対して返ってくる歌が、弥次さんとイタリア人でどう異なるかも併せてお楽しみいただけましたら幸いです。

L:
Tigra di Öiso
divenne una roccia
per star fedele
 
a suo marito anche se
fu una prostituta.

(日本語訳)
大磯の虎は
遊女だったものの、
夫への貞操を守るために
石になった。

A:
Resta coperta
Per nasconder vergogna
Si sente pura

Per lei è un illusione
Per lui sol compassione

(日本語訳)
覆われたまま
恥じ入る気持ちを隠すために
けがれなきように感じられる

彼女にとっては幻想
彼にとってはただの憐憫


■大磯海水浴場

鴫立庵で大々的に取り上げられていた、
『心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ』ですが、この歌が詠まれたのは、大磯の海岸だとされています。
そこで、大磯海水浴場を訪れ、西行像に劣るとも勝らない歌を詠むことにしました。

歩道橋を渡っていると、柿の木を見つけた。美味そう。だんだん腹減ってきた…

海岸に着くや否や、僕は戦慄した。砂浜が広がっている。
"海水浴場" なのだから当然といえば当然なのだが、そんなことは全く考えていなかった。

一番いいスニーカー履いてきちゃったんだけど…!

アウトレットで買った、もとい買ってもらったとはいえ、元値は300ユーロくらいするのに... 砂浜なんか歩いたら、中も外も砂だらけになる。
どうしよう... もう諦めて帰ろうかな...
でもなぁ... ここで一首詠むのが、ある意味一番の目的なのに...

僕も男だ。腹を決めるしかない。

…というわけで、海に向かって砂浜を歩き始めた。
慎重に歩き過ぎて、途中、犬に先を越される。
サーファーの荷物を食い始める犬

...結局、波打ち際まで辿り着くことは叶わず、やや遠目に大磯の海を眺めながら歌を詠むことに。

あ゛ぁぁああ!
めちゃくちゃ入る
靴に砂

サーファーだらけ
秋の昼前


東海道五十三次 8番目の宿場町、大磯はここまで。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!


【次回予告】

まだまだ先のことになりますが、9番目の宿場町・小田原を訪れます。

小田原駅 大提灯
『東海道五拾三次之内 小田原 酒匂川』
線路
『ういろうを 餅かとうまく だまされて こは薬じゃと 苦いかほする』
小田原城
神社

参考図書
・ビジュアル版 鑑賞ガイド 地形がわかる 東海道五十三次 (大石学[監修]、朝日新聞出版)
・東海道中膝栗毛(上) (十返舎一九[作]・麻生磯次[校注]、岩波文庫)
・『鴫立庵』発行 リーフレット