カンボジアの風景を想像しながら桐野夏生さんの『インドラネット』を読む

こんにちは。リリーです。

昨晩読んだ桐野夏生さんの小説『インドラネット』があまりにも面白かったので、この記事でネタバレにならない程度に紹介します。まずストーリーを紹介し、そのあと主に考えたことを4つ綴ります。

ストーリー

主人公の非正規雇用で働く男性、八目晃(やつめあきら)は、アジアで消息を絶った高校時代のイケメンな親友、空知(そらち)を探しにカンボジアを旅する。

考えたこと①カンボジアの混乱

カンボジアの混乱の話を身近に聞いたのは、大学生のときです。ある海外留学生がカンボジアの遺跡アンコールワットの話をしているときにふと「カンボジア人の多くは、身内がひとりふたりは殺されているから」と発言していました。

ポル・ポト政権下で行われた、虐殺のことです。反政府の可能性がある、時には教養があるだけで殺される。追い詰められると、人間はここまで惨くなれる生き物である事。複雑な気持ちになります。

『インドラネット』はフィクションですが、こうしたカンボジアの背景が色濃く描かれています。

なお、ポル・ポト政権に関する全体像を知りたい方は、こちらのウィキペディアをご参照ください。

考えたこと②性の多様性について

様々な研究でLGBTは人口の8%程度、Q =questioning (分からない人)を含めるともっと多くの比率だと言われています。

主人公の晃は、カンボジアで「恋人を探しに来たんだって?」とからかわれます。この時点で、晃自身は、親友が「好き」であることに自覚があまりない様子だが、徐々にその気持ちを認めていくと思われるシーンがでてきます。

性の多様性がナチュラルに描かれていると私は感じました。

考えたこと③死について

30代半ばごろから、人の死と向き合う機会がぐんと増えました。それでも死はあまり身近なものとは言えません。毎日のように死と隣り合わせ、という生活をしている訳ではないからです。

こんなに人ってあっけなく死ぬものなのか、と、小説を読みながらふと死を身近に感じました。

考えたこと④男性が自分の奥さんを「嫁」と呼ぶこと

私は決してフェミニストではありませんが、それでも会社の飲み会などの場で男性陣たちが「うちの嫁がさ〜」という会話に花を咲かせていると、自分のことではないのに、なんか嫌だなと感じます。

嫌な感じがする理由は、「嫁」は「家の女」と書くから?元々は姑が息子の妻を呼ぶときに使う用語だから?と思っていましたが、それ以上に、なんとなく「嫁」を使う文脈には「嫁」を見下しているようなニュアンスを感じるからなのかもしれません。

主人公が会社で「嫁」と発言したことで非難されたというシーンがあり(主人公に妻はいませんが)、改めて「うちの嫁がさ~」という会話のニュアンスについて考えたり、また戸籍上どうであれ、日本社会における一般的な結婚は「女が家に入る」なのかもな~、と、ジェンダーについてあれこれ想いをめぐらせたりしました。

最後に

『インドラネット』の感想をネタバレなしで綴りましたが、いかがでしたでしょうか。ちなみにこの本の表紙、本当に美しいです。ストーリーだけでなく、表紙の絵にもすっかり魅了されています。

アジアの空気を感じたい、人生は複雑だからちょっとダークなストーリーに浸りたい、そんな方はぜひ桐野夏生さんの『インドラネット』読んでみてくださいね。






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