見出し画像

生まれたての意識の記憶

1981年某日。
ワタシ、鈴木カナコ(旧姓)。

事故の為、片脚欠損で義足の温厚な父・30歳と、気が強いヒステリー気味の母・25歳の子として仮死状態で誕生。

難産で、無理な吸引分娩の為にワタシが股関節脱臼だった件は、後の一歳半の健診で、歩くのが遅いと検査後、判明。それまでずっと脱臼してたんかい。まー、気付かないか。死人に口無し。とか言うけどベビーにも口無しだしね。

生後間もない記憶♡

ワタシがワタシになって初めて、と言うか、今世ワタシ史上、最も古い記憶。生後ホヤホヤかつ、鮮明な記憶。

その記憶の中の光景、意識の所在地は確かに天井から両親を見下ろすアングル。部屋全体を見渡せる視点。

何やらワタシの誕生記念に両親が写真撮影をする模様。フィルムの入れ方がわからん!!とカメラと格闘する父。結局、母が入れたのを傍観して、生まれたてのワタシが感じた事。

「そうそう!!父って・・・」
「ワケがわかんないタイプだもんねー」
「知ってる知ってる相変わらずだなー」

そう感じたと共に「またやらかしてるw」みたいな「プッ」とウケつつ「仕方ないなー」みたいな感情を記憶。

このワタシ史上、一番古くて鮮明な記憶が、かれこれずっとワタシを、「命とは?」「意識とは?」「生きるって?」・・・みたいな自己の精神世界の探究に突き動かし続けてる。

ワタシしか知らない、明確な意識のリアル。だってワタシあの時、そう思ったんだもん!ちなみに胎内記憶はナシ。幼少期の記憶は、なぜか最近の記憶以上に鮮明。忘備録として今後記事にしてく予定。

ちなみに前述した股関節脱臼の痛みの記憶は存在しない。印象的じゃなかったか、実は、痛みの感覚自体、無かったんじゃないかとさえ思ってる。

何度思い出しても、当時の意識は、40歳になった今のワタシと何ら変わならない。むしろそれより大人で、すべてを知ってる感じ。夢から醒めた時みたいな、毎朝、現実に引き戻されるみたいな、「あーはいはい」感。

悟りと意識

こんな話、悟りの探求者が聞いたら「意識はワタシの中には存在してないしね」「すべてがワタシだしね」で終了!なのかもだけど。

とにかくワタシは自分の記憶と感覚を、記事にしておきたい。直感的にフィーリングというか感覚って重要だと思ってる。

胎内記憶みたいなもんで、乳児の記憶も、いつか魂の記憶を辿るヒントになるかも。今後生きてく上で、点と点が繋がる時が来るのかも。

勘違いだとか偶然のふしぎな話。で片付けてしまえばそれで終わりだけど。
近年の一部スピリチュアルの流行とかそんなレベルじゃなくて。多分絶対。世界のがどんでん返る位に。「感覚」とか「意識」とかいう精神世界が、多分ホントは最重要で、今後、拡大注目される気がしてる。だってワタシは勘が鋭い。

魂も意識も感覚も、その所在地も曖昧なまま、その核心の話題ってどこか避けがち。心とか気持ちとか感情の方が、勉強より仕事より圧倒的に、でっかい課題で一生つきまとうから。ワタシの興味はいつでも、見えない世界!

そんなわけでワタシの記憶と精神探究のシェア。興味を持って頂けたら幸せ♡気が向いた時書きたい時にマイペースに更新。

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?