見出し画像

障がいがある人ってめっちゃ普通。

障がいがある人ってめっちゃ普通。
ただ、車イスに乗ってたり、目が見えなかったり、片方しか足がなかったりするだけで、めっちゃ普通。

それなのに何か知らないけど、障がいって気軽に話題にしてはいけなくて、丁寧に扱わないとだめで、自分達とは違うから特別に親切にしないといけない空気感があることが私はとても嫌だ。

だってあんなに「めっちゃ普通」の人をいちいち腫れ物みたく扱うの、おかしくない?と思うから。

こんなことを考えるのは今年も24時間テレビがあるからなのだけど。

障がいがある人がダンスをしたり、登山をするのを見て「泣く」構図が心底嫌いなのだ。
彼ら、めっちゃ普通の人たちだからめっちゃ普通に挑戦してるだけで、なんなら社会不適合すぎる私がコンビニのアルバイトに挑戦しました!ってことと何にも変わらないんだけど。と思う。
誰が私のコンビニアルバイトを見て泣くだろうか?
(あ、両親は泣くかもね。やっと働いた‥‥って)

今まで私が接してきた障がい者は車イスに乗っている人と目が見えない人。
二人ともめっちゃ普通で、普通に面白い人だった。
「車イスに乗っているあなた」
「目が見えないあなた」
として接するのではなく、

「そういえば、車イスに乗ってるあなた」
「そういえば、目が見えないあなた」
として付き合ってきた。

人対人として出会って、対等な立場で交流しているんだけど、「そういえば」障がいあったね~

という、障がいはあくまでもおまけみたいな感覚で捉えていた。

だからこそ、気軽に「困ってることない?」とか、「なんか手伝う?」とか、「普通に」聞けたのだ。

多様性が求められる社会において、「そういえば」の感覚って非常に大切なのではないかと思う。

なぜなら、「腫れ物」のままでは障がいのある方々の意見を聞く機会を逃してしまうし、我々健常者も彼らを本当の意味で理解することが難しくなるからだ。

noteの有名人、岸田奈美さんのエッセイを読んでも、
いや、良太さんめっちゃ普通じゃんと思った。
普通にマクドナルドを買って食べてたり、普通にお酒飲みたがったり、とにかく良太さん、めっちゃ普通。


でも、ただ、障がい者の方々は日常生活で困る部分が少しだけ珍しいから、
健常者が考える「困り事」では多分足りないから、だからこそめっちゃ普通に尋ねたいわけだ。

考えが及ばないから教えてくださいっていうこと。

それなのに、今の「腫れ物」状態のままじゃ、気軽に問いかけることすら出来ない。
物凄く特別な人だから物凄く気を遣って失礼のないようにしないといけない空気感をぶち壊してしまいたい。

私は障がいの当事者じゃないから、家族じゃないから、こっち側の人間だから簡単に言えるのかもしれない。
ひょっとしたらあっち側の人はこの考えを聞いて気を悪くするかもしれない。

でも、どうしても、皆がそれなりに満足出来る世の中になってほしいから、そのためにはめっちゃ普通にお話を聞かせてほしいだけなんだ。

そっか、気がつかなかった。ごめん。
あぁ、こうしたらこの設備って使いやすくなんのね。

こんな風になんてことなく、少しずつ便利な世の中にしていきたいだけなのだ。

「あっち側の人間」じゃないと意見を言いづらいこともある。
けど、こっち側の人間だって、ちょっと仲間に入れてもらって、ちょうどいい世の中作りに参加させてもらいたいのだ。

そのために、障がい者の人ってめっちゃ普通だから、と私は言い続ける。

いや、本当にびっくりするほどそこら辺にいる人だから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?