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司式というお仕事とキリスト教お葬儀事情

昨日は、川崎でお葬儀の司式のお仕事でした。

キリスト教のお葬儀の場合、通っている教会でなさるクリスチャンの方が多いと思われがちですが、私に依頼がある場合は、かつて教会に通っていたが、転勤や何らかのご事情で教会に行けてない人達。生前教会に通って求道中にお亡くなりになった方などなど…。色々なご事情を抱えた方からのご依頼ばかりです。

ご依頼を受けて葬儀社さんとの打ち合わせや喪主の方とのインタビュー。

故人の生前辿った人生などをお聞きして、式文やお祈りを毎回考える。

パターン化はできません。

当然、ノンクリスチャンの参列者が多いので、そういう方々にもイエス・キリストの愛をお伝えしなければならない。故人がどうやってイエス・キリストと出会い。(そこには神様のお導きという祝福がある)神様を信じて静かな晩年を過ごし、召天されて永遠の命を与えられるという恵みのお約束。人間の死は終わりではなく再びお会いする事ができる希望をメッセージでお伝えし、ご遺族に寄り添い慰めと励ましを与えるのです。

司式は、祈りに始まり祈りに終る。お葬儀のご依頼からお葬儀が終わるまで祈りと断食によって当日を迎えます。

コロナ禍以来、参列者の人数も減少し、お葬儀の規模も縮小傾向にあります。しかし、他は節約してもお葬儀の司式だけはちゃんとした式を行い故人を弔いたいというご遺族のあたたかいお気持ちがあります。

キリスト教司式は、そんなわけで大量生産化はできません。

完成するまでに時間も手間もかかります。

結婚式の場合は、1日に何組もできます。お葬儀はそうは行きません。

以前は、ご依頼から4日後のお葬儀が多かったのですが、最近はご遺体の保管方法がアップして一週間後という時間的な余裕があるケースが多く、喪主さんとのインタビューや質問にお答えする機会も増えました。とても良い傾向です。

当日は祈っていると神様の霊(聖霊)に満たされ、故人に会ったこともないのに、その生き様と同化するので、故人と共に生きてきた感覚になり、毎回司式を執り行いながらお別れにご遺族や参列者と同じく涙してしまいます。

涙する司式者も珍しいですよね。

キリスト教マメ知識
神の御許に行くことについて、カトリックでは「昇天」を、プロテスタントでは「召天」を使います。 それぞれ、「故人が天に昇る=昇天」、「神によって天に召される=召天」という意味を重んじているためです。

‭‭ヨハネによる福音書 3:16 口語訳‬‬
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

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