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病は気から

母の話です。
私が小学校に入学した翌月の5月に父は交通事故で他界しました。
元々体の弱かった母でしたか父の分まで頑張ってました。ですがわずか数年後、病は悪化していき私が10歳のころには体調を崩すことが増えて入院することもありました。
自宅で鼻血が止まらず救急車を要請しそのまま入院したり。
退院し定期的に通院してても検査の結果次第でそのまま入院になったり。
母子家庭の我が家は当時高校生だった姉が母親代わりに家事などしてくれていました。
夫である父が居なかったので母の主治医からの話ももちろん姉が聞いていました。
肝炎そして肝硬変になり糖尿病も患っていた母はその当時「肝硬変になったら死を待つだけだ」といつも言ってたので肝硬変は伏せ[肝炎]と伝え闘病。
その後主治医から「5年もつか…10年もっても寝たきりになる可能性もあります」と言われ私は「成人式は見てもらえないかも」と思うようになりました。
私が高校生だった3年間では2/3くらいは入院生活を過ごしていました。
「高校を辞めないといけないかも…」「姉はもう結婚してるから一人暮らしをしないといけないかも…」ともう頭の中は思考回路がショートしかけてました。
入院中夜間の付添をしているとき意識障害を起こし私を娘と認識することも出来なかったときは心が折れそうでした。
その後入退院を繰り返しながらも私は成人式を迎えることができました。
私も働きだし「母には時間が限られてる、我慢して過ごすなら一緒に過ごせる時間は少し短くなるかもしれないけどやりたいことやってもらって美味しものいっぱい食べてもらってにっこり過ごしてもらおう」と思い母の体調の良いときに色んな所に誘いました。「1回でいいからネズミーランドに行ってみたいわぁ」と言うので「ディズニーなッ」とツッコミをいれながら主治医の許可をもらいディズニーランドに行けました。「お母さんは死ぬまでに1回飛行機に乗ってみたいわぁ」と言うので沖縄にも行きました。
「美味し本場のうなぎが食べたいわぁ」と言えば体調と相談しながら車を走らせ…
私が30歳を超え2回目の成人式(?)の40歳も一緒に過ごすことができました。
もうね、母は「死ぬまでに1回…」と言えば行ける食べれると思ってたのかと思うくらいその言葉を発するときは超絶笑顔でしたよ(苦笑)
主治医は宣告した数年後海外に勉強のためいなくなりました。そして6~7年後戻られたDr.のお名前と写真を確認したので主治医を戻してもらうようお願いしました。その頃にはほぼ私が母の外来の付き添いをしていたので「ご家族の方だけ…」と言われ母だけ退室し病状の話など一通り終え「失礼ですが再会できるとは思ってませんでした。数値的にも奇跡に近いです」と仰ってました。
聞けば母の肝臓は1/3もしくは1/4程度しか機能してなかったそうです。
そう聞けば主治医の言葉も納得でした。


1度目の結婚ではお子には恵まれず母に孫を見せることはできませんでした、諦めてましたが現夫との間に私41歳で母になり孫を見せることができました。

私が母になる姿を待ってたのか…息子が7ヶ月の時に天国へと旅たちました。
余命を宣告され30年近く居てくれましたがにっこりすれば数値は悪くなく色んな所に同行でき美味しものもたくさん食べました。
【病は気から】と言う言葉は母にぴったりな言葉だったのではないかと思うほどですwww
10代でも20代でも30代でも何度も何度も「もうダメかも…」がありましたが振り返って母とはにっこり過ごせました。

先日8回目の命日を迎え仏壇の前で少し話しかけてみました。
最近、夢にも出てきてくれないのは少し寂しいです(苦笑)

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