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人は無意識のうちに見返りを求める

アルツハイマー型認知症の祖母が小規模多機能型居宅介護を利用し始めて1ヶ月半が過ぎた。このコロナ禍、高齢者施設でのクラスター発生が相次ぐ中、面会はおろか、散歩さえできない状況のようだ。悲しいことだが、こればかりは、もう、どうしようもない。祖母が唯一、家族と繋がる手段は、電話だ。育休中の今、私は折をみて、できるだけ祖母に電話をかけるようにしてきた。祖母の状態には波があり、機嫌の良い時には「元気にやってますよ」ということもあるが、大抵は「ウチに帰りたいんだよ」という帰宅願望であったり、「下着を持っていく人がいる」という物盗られ妄想といった認知症の典型的な症状からの訴えが多い。その都度、「帰りたいんだね」「盗られちゃうのか、うーん、それは困るね」と受け止め、「そういえば今日はね…」と、最近生まれた息子の話などをする。ところが最近は電話の操作も難しくなってきたようだ。
先日、かけた時には「だーれも電話くれない、〇○ちゃん(私)がたまーにくれるくらいだよ」と言われた。ん?ほぼ毎日しているぞ。私の母、つまり祖母にとっての娘も毎日しているし、なんなら1日に二度することだってある。「え、しているじゃん」と、そこまで出かけた言葉をごくりと飲みこんだ。どこかで、見返りを求めていた自分がいるのだ。こんなに祖母のことを想って、電話をかけてきたのに、というエゴに気づく。
家庭医である私の夫は、認知症の患者さんに接する機会が多い。短期記憶がこれほど簡単に失われてしまうものなのか聞いてみた。「記憶が失われるのは、時間じゃないんだ。直前のことを覚えていなくてもしかたがない、そういうもの。その瞬間瞬間を生きているから、今、嬉しい、とか、今、悲しい、という感情で生きている」そうだ。そうか、祖母は「今」を生きているのだ。ならばその一瞬であってもいい、祖母が電話をもらって「嬉しい」と思えるならば。何度でもかけよう、たとえそれが刹那であっても。

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