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ワンネスの感覚?

自分は道端でホームレスが物乞いをしていたり、寄付を募っている人がいたら寄付したり、をよくする人間だった(今はその本当の意味を理解したからほぼしないけど)。

その話を友人などにすると、「そんな事するから付け上がる」「寄付団体なんて言ってるけど詐欺だ」等と批判してくる人ばかりだった。

言ってる意味は分からないでもないが、そういう結論になる理由が何でなのか本当に分からなかった。

例えば、相手が困ってて五千円あればなんとかなる、となっている時、自分が今その金額を持っていて、それを今手放しても困らない、という事であれば、それはあげた方がいい、と普通に思っていた。

私の五千円と、その人の五千円の価値が全く違うならば、より価値を見出だせる人の元に流してあげた方が、幸せの総量は増える、という感覚があったからだ。

批判をしてくる人は、幸せの総量は決まっており、それを他者に奪われると自分の幸せが減ると思っているらしい(いわゆるゼロサムゲーム)。

「いい人」と思われたいからそうするのか、というとそれも全然違うように思う。

今になっていろいろと知識をつけて考えると、その時の自分の行動は「ワンネス」を感覚的に理解していたからなのかな、と思った。

貴方は私、私は貴方。
どんなに大好き、どんなに大嫌い、どんなに善人悪人であっても、それは自分の分身であって、大切な存在。

その知識がなかったにせよ、感覚ではかなりの部分を理解していたのかもしれない。

ちなみに、これは自分が特別であった、という事を言いたいのではなく、誰でもそういう感覚ってあるのでは?と思った。
それを社会の刷り込みでねじ曲げられているだけで。

本当は心の奥底に純粋な愛(ワンネス)の感覚を誰でも持っているのではないか、と思った。

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