「深海」 Mr.Children
シーラカンスと匿名
上の記事ではシーラカンスの解釈を世の中に男女しかいない意識としました。「BOLERO」収録のBrandnew my loverでは古き良き愛の幻想という歌詞が出てきますのでそちらの方がしっくりくる人もいるのかもしれないですね。
Wikipediaにある桜井氏曰くシーラカンスを「要するに、“かつてあったと思われていたもの。でも、今はあるんだかないんだかわからない。そしてあったとしても、何の役にも立たないかもしれないもの”。つまり、愛とか夢とか希望とかっていうもの」として考えてもみました。
ですが個人的な勘として芸術家は噓つきで捻くれています。なのでWikipediaの桜井氏の言は採用しません。
ゆりかごのある丘からだけなら意味は通りますがShe loves againとか言うネット上の空耳も採用しません。なぜならそう私には聴こえない。年取ったなぁ…(嘆き)。歌詞に書いてある事を優先します。
また「君」とシーラカンスを=(イコール)で結んで良いのか?
これは≠と=と両方あるのだと思います。「君」だけで済むのなら態々シーラカンスを登場させないでしょう?
また「君」はInnocent worldの記事から心の中の女の子としています。が、monster、おはよう、Another Mind等手がかりはあるのだと思います。”女の子”なのは「BOLERO」のジャケットからですね。
もっと抽象的で中性的で”愛”そのものとした方が良い気もします。
「僕」、「君」、「あなた」等に誰を設定するかで歌詞の意味が変わると言うmiss youでもあった手法が使われています。
Dive,シーラカンス
大体は前の記事の通りです。新たに思った所だけ書きます。
君=シーラカンス(世の中に男女しかいない意識)
君=心の中の女の子
貴方はどちらの方が良いと感じますか?
私はどちらでも良いのだと思いました。
どちらかを決めるのではなく、どちらとでも取れるように詩は書かれています。
男女の間で揺れ動く心を私は感じました。
手紙
この曲も大体は前の記事の通りです。新たに思った所だけ書きます。
あなたが曲を聴いている私(私達)を指しています。
ですが現在の私(私達)の立場から見ると桜井氏になります。
そして「君」も指しています。
視点によって聞こえてくるメッセージが異なります。
この誰かは誰を指しているのか…?ゆりかごのある丘からでわかる事になります。
ありふれたLove Story ~男女問題はいつも面倒だ~
鞄は口笛、天頂バスに出てきます。同義のバック、バッグは風~The wind knows how I feel~、pink~奇妙な夢等に出てきます。口笛はタネ、天頂バスは未来を書き溜めたネタ帳が詰まってます。pinkではピンクのガラス玉が。
ビジネスマンはIやアート=神の見えざる手等からも読み取れます。
語句説明はこちら。
都会はlosstime、同義として東京は君が好き、デルモ、東京、turn over?等に出てきます。
デルモは表面上はモデルの女性の事を唄っている歌ですが、桜井氏自身の事を唄っている歌に今は聞こえますね。
一つの部屋に暮らし始めた。
一人の心の中に男性と女性が同居する事になった。
ここの比喩表現はNOT FOUNDのMVが分かりやすいですね。部屋の中に交際相手と思われる人がいるので。
Mirror
別記事で少し書きました。そちらは内容が薄いので改めて
言いたくても言えなかった想いをmiss youで打ち明けてくれました
Fifty'smap~おとなの地図で窓
party is overで腰を下ろしてギターのみの演奏
青いリンゴで強い風が吹いて
雨の日のパレードで空には虹が
黄昏と積み木へ向かう途中の曲には
ロックでもなくポップでもなくヒットの兆しもないアート=神の見えざる手がありました。
単純明快とは言い辛いですが確かに「私」へ向けた愛の唄でした。
歩道ではなく舗道なので舗装された道ですね。
歩き出した恋人たちは所謂”普通の男女”でしょうか?
十二月のセントラルパークブルースでも恋人達が出てきます。
そちらの恋人達は所謂”普通の男女”とは違うように思えます。
十二月にも12色のように意味があるようですね。
桜井氏が人前で泣いた事があるのを知っていますか?
ap bank fes’05でHEROを唄った時ですね。
表向きに公表されている理由とは違う感情が有ったのだと私には思えます。
その時の感情を想像すると胸が締め付けられます。
この曲は「君」が「僕」を想って唄っていると思うと腑に落ちる所があります。
Making Songs
これはWikipediaにある「これを入れることで、前の曲と“名もなき詩”につながりも生まれるだろう、ということで。“Mirror”の中に『あなたへと想いを走らせた単純明快なLove Song』とかって言葉が出てくる。つまり一人の人間が人のために歌を作る、ということを、ここで示しておけば、次の“名もなき詩”の『君に捧ぐ』というところにつながると思った」との事なのでそのまま受け取りましょう。
名もなき詩
どうでもいい戯言の記事は書きました。
名曲なので特に何も言う事はありません。
歌詞に沿った解釈は各自でしてください。
So Let's Get Truth
タイトルを訳すと「さあ、真実を知ろう」です。
ドアを開ける音が聞こえます。
自分らしさの檻の中からドアを開ける音。
性別という檻の中からの解放の音。
そして「僕」と「君」の境界の扉を開ける音。
老婆はpink~奇妙な夢、losstimeに出てきます。
「君」が年を取った姿として描かれています。
男女しかいない扱いされていた当時の日本で…いえ今も?
多様性が叫ばれていても矛盾は残されたままですね。
タガタメ等も同義の曲ですね。
ここではこれ以上は書きません。
臨時ニュース
臨時ニュースは当時のTVではまだLGBTの人の人権なんて話題にも気にすらされてなかった事を暗示しています。
マシンガンをぶっ放せ
真実を知り矛盾を知りやり場のない怒りを表現した曲です。
この真実はMr.Childrenがどういう想いで曲を作ってきたかという事実も含まれています。
名もなき詩で握りしめていた「君」は誰かという真実。
もちろん当時のLGBTQ+当事者の人を応援した曲でもあると思います。
ここの死の存在に付いている”ダブルクオーテーションマーク”の意味をどう捉えるべきなのでしょう?考えてみてください。私も分からないので考えます。
憎みながら愛していくThe song of praiseみたいな姿勢はこの頃から変わってないですね。
多様性が叫ばれている現在でも共存していく難しさやアートで神様を信じていますと唄っている姿勢も変わってないです。
疫病はAIDS(HIV)ですね。この頃かちょと前まで有効な治療法は無く予防策としてコンドームくらいしかなかったんです。
完全に余談ですがKAN氏の「愛は勝つ」がヒットした背景に私はAIDS(HIV)があったと勝手に思っているのですが言及している人が検索しても観測できなくて少し寂しいです。
未完では自身を資本主義者の巣窟に迷い込んだ鳥に例えています。
当時はSNS等の個人が大勢に見られる手段なんか無いので桜井氏がどんな事をしていたって逆らえないのでその通りなのですが…現在は…。殴る気は無いですけど。
ゆりかごのある丘から
ゆりかごもlosstimeに出てきますね。
この曲の説明が厄介だな…。逆に言うとこの為にこの記事を書いているまであります。
普通の解釈だと「戦争に行って帰ってきた歌」なのですが、見方を変えると「見えない敵にマシンガンをぶっ放した事で荒れ地が草花達がワルツを舞う草原になった歌」になります。
ここでは僕=Mr.Children(桜井氏)君=私達としてください。ゆりかごに揺られてあやされていたのがLGBTQ+について何も分かっていなかった私達。
ここでは君=Mr.Children(桜井氏)の作ったランチ(曲、アルバム)を食べてたっけになります。おはようの歌詞解釈(改)に追記しましたがここでは昼食だったのがおはようでは夕食になってます。
僕=Mr.Children(桜井氏)とその仲間が見えない敵と戦って勝ったおかげで君=私達が大人になった。つまりLGBTQ+の人を理解するようになったです。(Fifty'smap~おとなの地図のおとなが平仮名なのも意味がある訳ですね。)
君はもう違う誰かの腕の中…ここで誰かが誰なんだろうと?私は疑問に思いました。
腕の中…?
ふとメロディが頭の中に…
あ…
あぁ…
心の中の「君」を抱きしめていたのは「私」だったのか…
そして今、私は僕=桜井氏は「僕」と「君」が融合し一人の人間として認識しています。天気予報より噓つきで調子いい笑顔の誰もが振り向くようなスタイルの。
LOSTで「くたびれた顔してるな」って唄ってますね。ですが、まだ現実には草原にはなっていなくて日常と言う名のフリーザーが冷蔵庫になったくらいなんです。大事な物だって若さ以外は大して失っちゃいないでしょう?まだ多くのファンが貴方にはいます。それは何ものにも代え難いもののはずです。
ここで「僕」が「ぼく」になっています。普通の解釈なら僕が幼い時を表しているのだと思うのですが…。私の解釈だと…どうなるのでしょうね?考えてみてください。
以前の記事で書いた通り「深海」そのものが手紙になっています。
虜
これも別記事で少しだけ書きました。こちらも改めて。段々と歌詞解釈で無くなってしまうのは許して。
唄えば唄うほど売れれば売れるほど理想とはかけ離れた状況になっていったのは後のアルバムを聴くと分かるのではないでしょうか?
でも知っている人もいたと思いますよ?秘密にしてくれと詩に書いてしまったのは桜井氏です。その結果上辺だけを撫で回される事になるのですから。
黄昏と積み木の金曜日がここに掛かってます。
つまりその前までのI MISS YOU からケモノミチまでの曲のMr.Children(桜井和寿)に会ってきました。
Mr.Childrenに別れを告げた人も確かにいたんだと思います。
どうしたら最低な私達と最低な「君」を把握できるのでしょうか?
金曜日が金の日とするとアート=神の見えざる手とも繋がる気がします。
週末、weekend、日曜日、月曜日等も意味があるようです。時間があれば他の歌詞を見比べて確認してみてると面白いかもしれないですね。
ゆりかごのある丘からで私が「君」を抱きしめていた事に気付く前から胸の奥が軋みましたが、傷つけたいとは思わなかったですよ?
距離感って大事だと思います。これ以上は近づきません私は。今まで通り。ライブにも行かないし。ファンクラブにも入らないし。こういう歌詞解釈している時点でどういう気持ちで接すれば良いのか分からないし。CDが発売されたら気が向いたら買います。気が向かなかったシフクノオト~重力と呼吸までは心の何処かで言語化できない拒否反応があったのかもしれません。
確かに癖がありますね
「君」には
新しい「君」に会えるのですね?
不能?We have no timeでまだまだいけんじゃない?とか思っちゃうなら、まだまだ行けますよ!
と同時にケモノミチのMVに付くコメントに希望と絶望を覚えます。
「君」の愛だけでなく
「私」だけの愛では足りないので
英語のyouは単数だけじゃなく複数も当てはまるのでちょっと気が楽です。
虜=ファンで良いですか?
花 -Memento-Mori-
名もなき詩と同じように別記事で戯言を書こうと思ったのですが、内容が短いので止めて此処に書きます。
ドラマ同窓会で御前と呼ばれる老人が出てきます。金の力に任せて好き勝手に生きていても何者にも成れなかったと憂いている人です。他人の性行為をマジックミラー越しに見る趣味がある人です。御前に頼み事をしに行った七月はそこで風馬が嵐としている事を目撃してしまいます。また、嵐が孤独の淵で彷徨っている時に御前は彼を買春し「抱かれるよりいやらしい事」と風馬に嫉妬させる事をします。
その時に一本の薔薇を嵐は貰うのです。そして御前は嵐に「弔いの花だ。同時に誕生の花だ。自分もいつかはこの世から消える存在だ。それを見据えなければ本当の人生は生きられない。これが俺の遺言だ。」と告げます。
嵐は薔薇を握りしめて風馬の元へ走ります。七月はそんな嵐を見て夫婦の寝室へと嵐を招き入れてしまいます。
御前は誰に看取られるでもなく倒れている描写で舞台からは去ります。
Memento-Moriはラテン語で意味は「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」「人に訪れる死を忘ることなかれ」です。
名曲なので歌詞解釈はしません。
最大限の夢が何かを。
空に放った風から感じてください。
深海
シーラカンスと「君」のどちらを追いかけて
いえ、あの日の「私」はMr.Childrenを追いかけていた…
シーラカンスはゆっくりと進化していますか?
大晦日に紅白歌合戦をしている国でQUEENを呼んで
愛に似た金を握って(握らされて)我が身を守り長く助走をとった桜井氏は
現在も樹海を彷徨う
夢や希望を詩にして唄うアーティストにとっての死は何を意味するのでしょう?
冷蔵庫の中に缶ビールと賞味期限ギリギリのチーズを入れているシーラカンスはこれから何処へ向かうのでしょう?
どう進化するのでしょう?
「貴方」は何処へ行くのでしょう?
神様が僕らにくれた何かの切符を掌に握りしめて
鍵括弧
前のアルバムAtomic Heartから歌詞に「鍵括弧」が使われています。深海では
「愛は消えたりしない。愛に勝るもんはない」
「明日へ向かえ」
「名もなき詩」
「また核実験するなんて一体どういうつもり?」
です。
後書き
そんな感じでmiss youによって「深海」は完成したのだと思います。現時点では。分かっていた人からすれば今更なのでしょうけれど。「深海」は「BOLERO」の一部です。合わせて聞かないと意味が無い。ですが私はそこまで記事を書く気は今は無いです。miss youも本来ならもう一度書かなきゃいけないのだろうけど書けないし。(多分、今後も。)
「深海」だけだとLGBTQ+のGだけになりかねない。BOLEROでBになります。蘇生の記事でそこの桜井氏の後悔は見えるかも。”微妙”にどの記事もズレているのでしょうが。
どうしても作品と作者のプライベートを連動させて考えてしまいますが切り離して聴く姿勢が度々求められます。(自戒を込めたいけれど…)
miss youがL,Tを補完しているとするとMr.Childrenの行先は…?
「僕」と「君」の境が消えて君が僕になり、僕が君になり、僕が私になり、私が僕になり、君が私になり、私が君になった時。
もう一度「EVERYTHING」から聴くとまた違った世界が見えます。
「versus」までもコンセプトアルバムになっているように思えます。ちょっと精神がやられますが。(追記:後から読み直すとこの作業のせいでこの記事の方向性が途中から変わっています。正気でいたい人はやらない方が良いです。確かに桜井氏に酷い、汚い、卑怯と言いたくなる歌詞の曲がかなりの数ある。コミックバンドとして見れるなら笑えますが。)「Atomic Heart」は…どうなんでしょうね?歌詞のみの解釈もした方が良い気もしますが…。クラスメイトとか面白そうだけど。
心ある優しい人は沈黙しMr.Childrenに手紙を書く事になるのだと思います。
私には名は捨てれても沈黙出来る「優しさ」は無かったみたいです。
性自認が男性の私でない立場の人の詳細な記事を見たかったけど叶わぬ願いだったようです。
友達にも仲間にも逃亡者にもなれなかったな。これもLOVEですか?
気狂いピエロでもいいや。
ヴォルデモートを名前を呼んではいけないあの人呼ばわりするよりは良いと思いたい。(桜井氏をヴォルデモートと言っている訳ではないです一応)
初めから君の書いたシナリオ通りだったのですね。
口の軽いピンナップのロックスターがmiss youの段取りをするのも最初から決まっていたのでしょう。
これでもギターは不完全燃焼なんだろうな。
なぜBOLERO後解散説が流れていたのかとか、やっと思い出せたけれど…。 …。
サブスク全盛の音楽体験ではこういう事も無くなっていくのでしょう…。
書こうと思うと何万文字あっても足りないし、誰かしら不快にさせているだろうし、この記事自体のように意味のない落書きしか書かないので此処で終わります。
この記事もまた広大なネットの海に漂う木の葉にします。
これからも誰かの心のドアをノックする旅は街に風が吹く限り続きます 永遠に