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通知が気になるNOTE片思いの私へ—梅原大吾の著書に学ぶ—

スマホの通知が気になる。

NOTEアプリのアイコンにバッジがついていると、本来やるはずだったことを忘れてタップしている自分がいる。
まるで片思いの人と連絡先を交換したての若者のように。

・・・などと、36歳男性(既婚)が言っているのだから呆れる。

これまでに投稿した記事はわずか3記事(2023年1月21日現在)。
3つのうち「読書感想文」について書いた記事が20スキを超え、残り2つは0である。何度か確認したが、どうやら3つともきちんと世界中に公開されているようだ。

0スキの記事。それは果たして存在していると言って良いのだろうか。つい、そんな風に思ってしまう。いっそ、削除すべきなのではーー。

私はそこで、先日読んだ梅原大吾の著書を思い出した。
梅原大吾は、日本を代表する格闘ゲームのプロゲーマーである。

・勝ち続ける意志力 世界一プロ・ゲーマーの「仕事術」
・勝負論 ウメハラの流儀
・1日ひとつだけ、強くなる。

これらの著書は、ゲームファンはもちろん、ゲームにあまり親しみがない人にとっても読む価値がある。

例えば、ブログ運営をする上でも、だ。
そこで今回は、NOTEに絶賛片思い中の初心者(大きな声では言いたくないが私のこと)のために、著書から得たものを書き留めたい。


努力は人には分からない

結局、周りの人は結果のみで評価する。だから、自分にしか分からない努力を続けている最中は、たいてい誰にも認められない。

梅原大吾『勝ち続ける意志力 世界一プロ・ゲーマーの「仕事術」』

なぜスキがもらえると嬉しいのだろうか。
努力の結果がはっきり分かるからだ。
そして、自分のやったことには意味があったのだと感じられる。

言い換えればスキが0の記事は、結果が出ているとは言えない。
しかし本当に、その記事を書いたことに意味は無かったのだろうか。

いや、そんなことはない。自分にとって、3記事の間に優劣はない。「ハーモニカが吹けない幼児に先生が言ったこと」「『読書感想文の書き方』の感想文」「我が家の学級委員」・・・どれも大切な思い出として、すべてに同じくらいの情熱を注いで書いた。それは書いた張本人が一番よく分かっている。
単に人から評価されていないだけでその記事の存在価値を疑おうとするのは、よく考えたらおかしな話だ。

もちろん、スキがもらえていない理由を考えることには意味がある。

  • 文章が面白くない。

  • 内容が分かりにくい。

  • 題名が魅力的ではない。

  • ハッシュタグの設定が適切ではない。

少し考えただけでも、いくつかの原因が考えられる。改善することで自分の能力が上がり、読む人にも喜んでもらえるのならば、ぜひ取り組みたい。
しかし、間違っても、巷で紹介されているノウハウを調べ、効率よく多くのスキがもらえるテクニックを会得しようなどとは思わないようにしたい。

自分の中にあるものを自分の文章で表現することに価値がある。すべてを自分で判断し、決定した末に出来上がったものを読んでもらうから嬉しいのである。
それなのに、目先の評価ほしさに、小手先のテクニックを会得してしまったら、スキがもらえたところで自分自身が認められたわけではない。

安易にテクニックを習得するよりも、自分のやりたいことを少しずつ実現して、日々の成長を実感しながら過ごしていく方が重要だと思う。小さな努力は周りの人からは見えないかもしれないが、自分がちゃんと見ていれば良いのだ。

自分の戦い方を崩さない

勝負において、自分の戦い方を崩してしまうのは、最も避けるべきことのひとつだ。(中略)実力以上の結果が出せたときに崩れたやり方をしていると、それが自分の基準になってしまう。これは危ない。誤った成功を基準にして成功を目論むのだから、うまくいくわけがない。うまくいかないのにやり方を変えられない。変えようとしない。

梅原大吾『1日ひとつだけ、強くなる。』

自分の力と関係がなかったとしても、うまくいくとそれが成功体験になり、その後も同じことをくり返したくなる。しかし、それが本当に正しい道なのかは分からない。

私には2人の息子がいるが、2歳の次男はいつも昼寝をしたがらない。抱いても強引に逃げ去っていく。先日、本当にどうやっても埒が明かなかったのでそのまま放っておいたら、



ご覧の有様である

自然に眠ってくれるなんて、最高!
微動だにしない次男を見て思わず喜んだが、だからと言って同じやり方を今後も続けていこうとは思わない。
翌日の次男もソファで眠るとは限らないからだ。眠ったとしても、よだれでソファが濡れそうだし。

NOTEについても、たまたま1つの記事が少し評価されたくらいですべて分かったような気になって、評価された記事と似たものを書くべきだと結論付けてしまうのは早合点というものではないか。

自分が得意な文章は、論文やレポートと言った類のものではなく、どちらかと言えばエッセイや物語だ。客観的な表現できっちり論理立てて書くというよりは、のびのびと、誰もいないプールで泳ぐかのような自由さを味わいながら書く方が良い。

それが著者の言う、「自分の戦い方」なのだとすれば、人からの評価によって書く内容を決めることよりも、自分の文章をどう磨き上げていくかに注力し、自分の書けるものを書き続けていくことが大切なのではないか。

自分自身を軸にする

大会の結果を重視する人は、人の評価でモチベーションが変わる人と言える。(中略)そういう人は、大きな大会がなくなったらどうするのか。勝って評価されなかったらどうするのか。

梅原大吾『勝ち続ける意志力 世界一プロ・ゲーマーの「仕事術」』

考えてみれば、私はずっと、誰にも読まれない文章を書き続けてきた。

私はNOTE初心者だが、ブログ自体は2006年からやっている。家庭や仕事を言い訳にして数か月更新が空くこともあるが、今でも細々と書き続けている。将来の自分が読んで楽しむことを目的に書いているもので、自分以外の読者を意識して書いていない。

と、書いていて思い出したが、中学生の時には自分でウェブページを作り、そこでも日記を書いていたのだった。真っ黒歴史なので記憶の彼方に封印していたのだが、突如として封印が解かれた(今すぐ封印したい)。

目に見える評価がなくても自分は書き続けてきたし、これからも書き続けていけるだろう。
まだまだ未熟な私だが、この点については自信を持って良さそうだ。

次が最後。
努力は人には分からない。
自分の戦い方を崩さない。
自分自身を軸にする。
それらを理解した上で、どのようにして書く力を伸ばしていくと良いのか。

上達のために回り道をする

まず、僕が強く勧めたいのは、効率を最優先しないことだ。
(中略)
基礎固めの段階こそ、たとえ最初のうちはボロボロに負けようと、人から笑われようと、納得できるまでじっくり時間をかけて回り道して考え、あえて定石やセオリーとされるものを疑い、時には崩してみる。自分で体験し、体験を通して学んでみる。そして、セオリーの意味を自分で再発見する。

梅原大吾『勝負論 ウメハラの流儀』

もちろん、人の文章を読んで書き方を学ぶことも良い。でもそれは、手っ取り早くテクニックをコピーするためのものであってはいけない。

書く力を一朝一夕に伸ばすことは難しい。
でも、それでいいのかもしれない。
自分を良く見せよう、急いで結果を出そうとすると、取り繕った分、余計に書きたいものが書けなくなっていく。

まずは、今の自分が書けるものを素直に書いていこう。
手を抜かないで、精一杯書いていこう。

書いていけば、うまくいくものといかないものが出てくるはずだ。
それも良い。

初心者であるうちに、いろいろな書き方を試していこう。
うまくいっていないものが出てくるということは、それだけ新しいものに挑戦しているということだ。
無駄にはならない。必ず生きる。
たとえ時代が変わっても、自分の可能性を追求する姿勢は変わらない。

出会ったものが沁み込んで、ちょっぴり書くのが上手くなる。
そんな小さな喜びを実感しながら、私はずっと書き続けていこうと思う。

自分を最初にスキになるのは、自分自身でありたい。


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