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恐れに震える時

[詩篇 56:3,4]

心に恐れを覚える日 私はあなたに信頼します。神にあって 私はみことばをほめたたえます。神に信頼し 私は何も恐れません。肉なる者が私に何をなし得るでしょう。

今日の聖書箇所
詩篇56:1〜13

今日は詩篇56篇から恵みをいただいていきましょう。

この詩篇はダビデがサウルの迫害を逃れて、ペリシテ人のガテの王アキシュの下に逃げ込んだ出来事を背景にしています。

ダビデはサウルの執拗な迫害によって自分はこのままでは殺されてしまうと恐れ、イスラエルの地から離れ敵国であったペリシテ人の地へと逃れるのです。

ダビデはそこでサウルの手からは逃れることができたのですが、しかし敵国のペリシテ人たちにダビデの正体がバレてしまうのです。ダビデによって苦しめられてきたペリシテ人たちはダビデをつけ狙うようになってしまったのです。

一難去ってまた一難でした。ダビデはますます危険な状況に追い込まれてしまい、もっと大きな恐れに苦しむことになりました。そのような四面楚歌、絶対絶命の状況からダビデは祈りによって脱出していくのです。

この出来事から学べることは私たちの逃げ場、避け所は主なる神ご自身だけだということです。

ダビデはサウルを恐れてガテの王アキシュを頼ったのですが、そうするとますます苦しく、恐れなければならない状況になってしまったのです。ダビデは主なる神以外には本当に頼れるものはないということを痛みを通して知ったのではないでしょうか?

それではダビデはどのように主により頼んだのでしょうか?

この時ダビデはただ助けてください、救ってくださいと叫び求めただけではありません。

第一にダビデは神のみことばをほめたたえました。神の約束の御言葉に信頼し、それを繰り返し、繰り返し、口に出して告白して賛美し、宣言したのです。

それを通して恐れに打ち勝ち、必ず救われるという確信を得て、ダビデはその心と思いが守られたのです。

神に信頼するとはその御言葉の約束に信頼することなのです。祈りとは神の御前にその約束を持ち出し、その約束通りにしてくださることを求めることなのです。信仰の告白とは神が言われていることをそのまま私たちも言うことなのです。

そのような御言葉の宣言には大きな力があります。なぜなら神はその御言葉を通して万物を創造されたお方だからです。私たちが御言葉をそのまま告白するなら、それを通して神の創造の力が現れていくことになるのです。

私たちが御言葉を宣言するなら天使たちもそれを聞いてそれを実現するために働き始めるのです。

[詩篇 103:20]

主をほめたたえよ 主の御使いたちよ。みことばの声に聞き従い みことばを行う力ある勇士たちよ。

第二にダビデは後の日に神が正しく報いてくださることを信頼しました。

[詩篇 56:8,9]

あなたは 私のさすらいを記しておられます。どうか私の涙を あなたの皮袋に蓄えてください。それとも あなたの書に記されていないのですか。そのとき私の敵は退きます。私が呼び求める日に。私は知っています。神が味方であることを。

この時、ダビデは本当に孤独でした、四方八方みな敵のような状況でした。しかしダビデはこのような時にも神だけは自分の味方で、自分の涙も痛みも悲しみも全て知っておられ、後の日に正しく報いてくださることを信頼したのです。

神の裁きや報いというのはほとんどの場合、すぐにではなく後の日に与えられます。それゆえ多くの人はそれを待ち望むことができずに、神などいないと信仰を捨ててしまうのです。

しかしダビデには幼い時からの神との関係があったのです。神がいかに真実に約束を成し遂げ、祈りに答えてくださるかを何度も体験してきたのです。

それゆえにこの時も神の真実により頼み、正しく報いてくださる神を信頼することができたのです。

祈りはそこに行く着くためにあるのです。そのような神への信頼、信仰が与えられる時、問題はもう解決したも同然なのです。やがてその信仰の通りになるからです。

この時も状況はすぐには変わりませんでした。しかし祈りを通して霊的な世界で勝利したダビデはこの試練の時をも乗り越えることができたのです。

私たちも日々直面する大小さまざまな問題と戦いの中で御言葉をほめたたえ、御言葉から信仰と確信をいただいて勝利していきたいものです。

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