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読書メモ:調査報道ジャーナリズムの挑戦 市民社会と国際支援戦略

基本情報

『調査報道ジャーナリズムの挑戦 市民社会と国際支援戦略』
花田達朗、別府三奈子、大塚一美、デービッド・E・カプラン
2016年12月10日発行

以前読んだ週刊文春の本から「ジャーナリズム」って何なんだろうと思い、手に取った一冊、

読書メモ:獲る・守る・稼ぐ週刊文春「危機突破」リーダー論|ぼんやり (note.com)

調査報道の存在条件を検討し、日本における展望を目指して書かかれており、「調査報道」の発生をアメリカのジャーナリズム史の中に位置づけを求めている。そして、アメリカも日本も権力側が調査報道を強く制約する法整備を構築(2016年当時)しており、不利な状況を確認しながらジャーナリストに反撃することを求めている。
最後に国際組織GIJNのカプラン会長が書いた調査報道組織のグローバルな状況とその成長を支援するための戦略を翻訳してまとめられている。

構成

第Ⅰ部 調査報道ジャーナリズムの生成とその存立条件
 第1章 なぜいま日本で調査報道か
 第2章 ジャーナリズムの基盤構造と調査報道の水脈
 第3章 調査報道ジャーナリストを阻む法的障壁
第Ⅱ部 調査報道ジャーナリズムを支援する国際的戦略

感想

著者の花田さんは、
「日本のジャーナリズムは遅れており、それはナイーブな権力観、政府はそんなに悪いことはしないのではないか?」という考えが根底にあり、権力を疑う習慣を身に着けないといけない。
そして、日本にもジャーナリズムに関する教育が必要がという課題認識から本書の発行に至っている。

そもそもジャーナリズムとは、「ジャーナル」という同時代を記録する媒体とそれを舞台とした活動に価値を置く思想に語源がある。

ジャーナリズムの基盤構造として、次の二つがある。
①封建社会から市民社会へ移行する過程で、新聞が為政者の情報伝達の道具から市民の政治参加を支える道具に変遷した。
②新聞経営者や社主の意向に従う経営本位のプレスから、社会改良を望む市民に奉仕する市民本位のジャーナリズムへと転換した。
残念なことに日本には、この二つはないと言われている。

日本のメディア・ジャーナリズムは、会社原理、会社主義が強く、すべて会社という単位の中で取り仕切られ、コントロールされている。
そこにあるのは、正社員中心主義(フリーランスの排除)、流動性の欠如(マイ会社に留まる終身被雇用)、記者クラブ制度(ムラ社会・村落共同体の因習)、編集権声明(会社原理への転用・補強)、自主規制、企業別・企業内労働組合(マイ会社のファミリー意識)であるとしている。

市民本位のジャーナリズム、調査報道を展開させていくには、次の3つが世界的なムーブメントになっていると分析している。
①非営利
政府から会社組織ではなく、独立した組織として存在し、インターネット上のウェブサイトに登場している。
②持続発展可能性
非営利といっても取材や組織運営には、「資金」が必要となり、持続的に財団等からの寄付などで資金を得て、組織が発展できるようになる構造がある。
③パートナーシップ
非営利だからといって、既存のメディアに対抗したり敵対するわけではなく、相互に補完し協力しあう関係にある。

日本でもTBSのニュース23で、TBSインサイダーズとして「調査報道」の名のもと市民に情報提供を求めたり、J-Forum、報道実務家フォーラムで「調査報道大賞」という賞ができていたりと、2016年からは少しずつではあるが、動きは出てきているようである。

昨年やっと明るみにでた「ジャニー喜多川の性加害問題」で、日本のメディア自体の問題も露見されたが、まだまだメディアの「権力監視」機能は、弱いように思う。
やはりそれは、冒頭に書いた「権力を疑う」習慣の弱さと日本特有の「空気を読む」文化の影響が大きいように思う。
(そして、最近ではネットを中心に上ではなく下を叩くような空気があるように感じる)

空気を読む文化は、広義には良い面やそれが機能して社会的発展に貢献した時期もあったと思うが、今やそういう時代は終わり、空気なんか読まずにおかしいものはおかしいと言い、権力に対しては、常に「監視」の目を光らせる必要があり、そこには監視機能をメディアに求めるだけではなく、市民の側も意識する必要があると思う。

よく言われることだが、歴史を見ればわかるように「権力は必ず腐敗する」。
権力の横暴、暴走を止めるためには、誰かにお任せではできず市民一人ひとりも考え、行動する必要があり、私自身も何ができるか改めて考えたいと思わされる一冊であった。

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