本当は別に死にたくないのではないか
LRですすす。
「死にたい」と検索しました。その後に「楽に死にたい」とか「自殺方法」とか検索してました。
こういうことを調べてダラダラとダウナーな気持ちに浸りながら、いつもその辺にただよう死にたい衝動を抑えるのが、僕の平常運転なのでした。
そうやって調べていると、ふとある単語が目に留まります。
安楽死です。
「ああそういえば、安楽死ってあるよね」
「海外でOKな国あったよね。スイスだったかな」
いくらかかるのかなーと思って調べてみました。
200万円~300万円だそうです。
円安とか現地コーディネーター代とかでもっと行くのかもしれませんが、それでも少し頑張れば貯まる金額です。後のこと考えなければ借金できる金額でもあります。
でもやる気は起きませんでした。
僕は飛び降りて手術入院したことがありますが、そこで痛い思いをたくさんしたので、もうそういう死に方は嫌です。
楽がいいし変な恐怖を感じたくもないし、どうせなら今までの人生と向き合った上で「よし行こうか」ってやりたい。衝動的なのももう嫌です。
そんな僕にとって、安楽死はとても適切な方法です。少しお金を出せばこの世から逃れて、永遠の楽園へと飛び出せませす。
でもなぜやる気が起きないのでしょう。
確かに海外に行って手続きをして死ぬのはちょっと大変です。
でも嫌なことをガマンし続けたり、一生病気と闘いながら生きていくことに比べたら、ずっと楽に違いありません。なのになぜやる気が出ないのか。
「本当は別に死にたくないのではないか」
そんな考えが頭をよぎります。
確かに、死にたいは死にたいではなく「逃げたい」「楽になりたい」が本音であるなんて言葉を聞いたこともあります。
でも僕はいろんなことをやって時には逃げて、自分なりの幸せを求めて今の場所にたどり着いたし、物理的にはそれなりに楽にはなってるはずです。
だから僕の死にたい気持ちが、逃げたいや楽になりたいの裏返しであるとはあまり思えません。
でも身近にある安楽死という手段にすら積極的になれない以上、結局なんらかの気持ちの表現として「死にたい」という言葉が出てきているのでしょう。
少なくとも現実はしんどいです。
先ほど「物理的にはそれなりに楽」と書きましたが、精神的にはしんどい。なんかよく分からないけどしんどい。
一体なにがしんどいんでしょうか?
・最低限の生活費はある
・住む家もある
・ちょっとだけど友達もいる
・毒親は昔より丸くなった
・パソコンとかゲームも出来る
・SNSで人と繋がれる
・起床睡眠は自由
一人暮らしなのでニートではないけど、衣食住揃ったニート的な生活を謳歌しています。良くない点を挙げれば、
・長時間の外出が厳しい(飛び降りで背中にボルトが入っているため)
・お金がかかるレジャーが出来ない
・恋人や家族的存在が身近にいない
・夢ゴールが見つからない
とかはありますが、生き延びることだけに注力すれば、とりあえずなんとかはなるはずです。現状、物理的にはまあまあ恵まれているのです。
なのに精神的にしんどい。とてもしんどい。その理由とは?
これには2つの見方が出来ると思います。
1つ目は、そもそも僕がそういう人間であること。何に対しても苦しみやしんどさを感じやすいタイプだということです。
人間にはRASという機能があります。必要なものや見たいものだけ見て、必要じゃないものは認識の外に出してしまう機能です。
お腹が空いた時に街を歩くとレストランばかりが目に入りますが、お腹がいっぱいになるとカフェや本屋など別の看板が目に入るのと同じです。
このRASは自己イメージやゴールに基づいています。
「自分はネガティブな人間だ」と思うとネガティブな情報ばかりが目に入るし「バリバリお金を稼ぎたいんだ」と思うとお金を稼ぐ情報ばかりが目に入ってきます。
この機能で考えれば「常にしんどい」「しんどくなければ人生だめなんだ」という自己イメージが僕に出来上がっていて、それでただ生きているだけでもしんどさばかり目に入るということです。
おおかた、中学受験時代の小学生のころ作られた『苦しんで努力して当たり前』という刷り込みによるものでしょう。
楽しいことも喜ぶべきこともいっぱいあるのに、苦しみばかりにフォーカスしてしまう。減点方式。だから人から愛をもらっても気づけない。
2つ目の見方は、病気で脳そのものが変化してしまっている可能性です。
双極性障害の人の脳は前頭葉が小さくなっているなんて話があるのですが、この部分は原始人から進化した脳で、本能や感情をコントロールしたり、より抽象的な思考を可能にしています。
逆にその進化した脳の働きが悪いと、より感情的になってしまったり衝動に沿って行動してしまうということです。
躁状態であちこちに電話かけまくるとか、うつ状態で飛び降りちゃうとか、落ち着いた時に考えればやらないような行動を取ってしまうのも、もしかしたらそのせいなのかもしれません。
同じように、脳のどこかどう作用しているか分からないけれど「常にしんどい」のも、長年の常識や病気によって常にしんどくなるように脳が変化してしまって、どんな状況でもしんどさを感じるようになっているのかも。
安楽死の話に戻ると、いずれにしても
精神的なしんどさから解放されたい気持ち
が「死にたい」という言葉になって出ていると考えることが出来ます。結局「逃げたい」「楽になりたい」なのかもしれません。
安楽死という目標を目指すやる気が起こらない以上、本当に現実的行動として死にたいわけじゃないのだろうし。
物理的にはまあまあ恵まれていると感じるのなら、やっぱりカギは精神的しんどさにあるわけです。
だから『死にたい気持ちに対処する』ではなく『精神的しんどさに対処する』と的を絞る必要があるなあと思います。
じゃあ「どうやって精神的しんどさに対処するか」と言ったら、
・自己イメージを変えていく
・ゴールを設定する
・日常生活から脳神経に働きかけていく
とかしか無いのかもしれないけど。
誰かの力を借りるのが難しい以上、ひとりでこれらの行動を取っていくしかないのかもしれませんが、まあ出来ることからちょっとずつ行動していけたら良いなあと思いました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
LRでした、またね~。
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