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音楽療法の誕生と写真療法

 「歌が進んで・・・のところまで来ると、老人はたまりかねたように顔を覆って泣き崩れました。他の患者さんも同様でした。」これはアメリカの精神病院を慰問した少人数の音楽家と患者さんの様子をエヴァ・ヴェスツェリウスが手記にしたものです。ヴェスツェリウスは病院での現状を憂い研鑽を重ねアメリカ最初の音楽療法家になります。アメリカ2人目の音楽療法家、ヴァン・デ・ウォールは「精神病院は溜息と涙の場所です。人の憧れや行為を病的とみなし、家や同僚から引き離し、強制と誤解の隠れ家に住まわせるのです。・・・他人に従い愛し愛されたいという人間の基本的欲求充足すら満たされず、実質的な死へと運命づけられる場所なのです。」と精神医学雑誌に寄稿しています。
 第二次世界大戦後、日本にも音楽療法が輸入されます。写真療法は、写真術の発明が音楽にかなり遅れた経緯から、音楽療法よりも遅れて今まさに発展途上です。カメラがあれば誰でも出来る敷居の低さから、或いはスマートフォンの普及が相まって、日本でも写真は時代を風靡する身近なアートになりました。精神病院での現状や誤解や精神障がいへの偏見は依然根強いかも知れませんが、だからこそそれを思うと、音楽療法の手記の場面の様に、写真療法がそういった現状を打開する起爆剤になり得ることを誰もが密かに期待するのではないでしょうか。

「音楽療法の基礎」音楽之友社、村井靖児:1995

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