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大企業では市場価値400万の部長が市場価値1000万の30歳に命令している

 以前の記事で労働市場が人間の価値を決定することに無理があり、ネオリベは必ずしも万能ではないということを論じた。今回はその補強記事である。

 しばしば転職活動に関する記事で、「50代になってからの転職はやめた方がいい」というものがある。理由は壊滅的に待遇が下がってしまうからだ。大手企業で働いていた人間が年収300万円くらいの介護職しか見つからない、というのはよくある話だ。シニア人材の活用とは言うが、実際は駐車場の管理人やタクシー運転手といった高卒現業系でかつ非熟練労働しか残っていないのが現状だ。

 こうした現実は優秀な人でも例外ではない。一流大学から一流企業に就職し、部長まで昇格し、資格もいくつか持っている人間であっても、50代になってから転職するとせいぜい年収400万程度が関の山だ。それも過酷な職場環境で離職してしまうことが多い。なんとも奇妙な現象だ。そのまま大企業にいれば年収2000万で部下にヘコヘコされていた人間が、会社を離れると年収400万の人材になってしまうのである。労働市場での価値はそんなものだ。

 こうなると、大企業という空間は不思議な環境ということになる。市場価値が400万の人間が市場価値が1000万の30歳社員に命令していることになるからだ。全く市場原理が崩壊している。普通の労働市場であれば、スキルを詰んだ30歳くらいが一番評価が高く、そこからどんどん下がっていき、65歳辺りでゼロになるだろう。一流大学の肩書を振りかざす大企業の部長やら役員は高卒の20歳社員と対して価値が変わらないか、それよりも低いことになる。

 これは別に大企業に限ったことではない。政治家・政府高官・大学教授といった人々も市場価値はせいぜい400万かそれ以下だろう。「東大法学部卒業後、〇〇省に入省、アイビーリーグでMBAを取得、〇〇局長になりました」という60代男性がいたとしても、普通の転職市場では相手にされないだろう。「社内では立派かもしれないけど。世間じゃ通用しないよ」とか、「プライドだけは一流で使いにくい」と言われて終わりである。

 どうにも社会は年収400万の人材によって動かされているようだ。岸田文雄にせよ、山中伸弥にせよ、ひろゆきにせよ、転職市場ではほとんど価値を認められないだろう。「こんな業績があります」といっても、「プライドが高い」の一言でバッサリである。むしろ目立っているが故に敬遠される可能性が高い。売れなくなった芸能人が常に人手不足の介護職に向かうのは偶然では無い。

 こうなると、市場原理に基づけば、大企業の部長の適正給与は400万円ということになる。いや、社内で部長は「出世している」ので人気職だろう。すると、年収はもっと低くても問題がないかもしれない。年収が低くても部長はどこにも行く先がないから、甘んじて待遇を受けるしか無い。

 なぜこんな事態が起きないのか。それは労働市場の複雑な性格が隠れているはずだ。例えば部長は400万で働くとしても、その姿を見た若手社員は会社へのモチベが下がってしまうだろう。部長まで行って給料が下がるのかと考えると、よそに転職した方がマシだと考え、その会社は人気がなくなる。しかし、一番カネがかかる40代や50代にピークが来るような賃金カーブであれば、若手は安心して働けるし、新卒の人気も高まるだろう。もちろん労働組合によってギルドが作られているというのも重要だ。

 社内の調和という問題もある。市場原理に基づけば会社は20代の平社員が一番偉く、60代の役員が一番地位が低いことになる。しかし、この通りに序列付けをすると、人間社会に一般の慣習からは大きく外れることになるだろう。やはり年長者やベテランが偉いコミュニティの方がうまく回る。一年ごとに給料と地位が下がっていく会社のために頑張ろうという人はいなくなるし、この場合、30代にして既に老後のような生き方になってしまうだろう。

 こうなると、社会的地位や尊敬は市場価値によって規定されるという前提が間違っているのではないか。大企業の部長が年収2000万を貰っているのは会社というギルドに入っているからで、市場価値のお陰ではない。ただ、それが特に問題というわけではないのだ。一般労働市場において年長者は忌避されるが、ギルド内部では尊敬の対象となる。実際に、多くの社会的地位の高い人物はなにかしらのギルドの中で出世した人間だ。ギルドによって保護されてこそ、人間はその経験を認められるし、幸福な人生を歩む事ができるのである。人的資本というのは不思議な性質を持つので、必ずしも単一の尺度では測ることはできないし、万能とも思われる市場ですら、不完全なものであることを示しているだろう。


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