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東大時代の所属サークルを振り返る

 筆者は基本的に青春ができなかった人間だと考えていたのだが、最近は実はそうではないのではないかと考えている。大学時代を振り返ってみると、非常に充実していた。おそらく並みの大学生や青春を謳歌する高校生よりも遥かに面白く、刺激的な経験ができたのではないかと思う。筆者は東大の無意味さ、空虚さを度々記事にしているが、「遅れてきた青春」を楽しめたという点においてどうしても否定する気にはなれない。やはり、あの時代は筆者の人生において貴重な期間だったのだ。

 さて、楽しい学生時代といえば何と言ってもサークルである。筆者は4つのサークルに所属していた。

 筆者の所属していたサークルは
①いわゆるインカレの出会い系サークル
②典型的なオタサー
③意識高い系サークル
④どれにも分類できないニッチな謎サークル

の4つである。おそらく運動部を除いて東大に存在するサークルの大体のパターンを網羅していると思う。今回は筆者のサークル時代を振り返りながら、東大のサークルの考察を行いたいと思う。

①出会い系サークル

 東大には一定数、インカレの出会い系サークルと言うべきサークルが存在する。東大の男子と他大の女子によって構成される、インカレサークルだ。他大の男子は参加不可能で、東大の女子も一応参加可能とはなっているが、参加しているのを見るのは稀だ。運動系のサークルで運動部を辞めた人が写ってくるというパターンに限られるだろうか。

 筆者が出会い系サークルに入った理由は先輩に勧誘されたことと、学生らしい馬鹿騒ぎがしたかったからである。当時クラスでちょっと孤立しかけており、居場所が欲しかったというものもある。駒場キャンパスの競争的な雰囲気はクラスにおいて強いのだが、この手の出会い系サークルはそこまで競争的ではないため、居心地は良かった。合宿で一気飲みをやったり、くだらない飲み会ゲームで徹夜をしたり、なかなか楽しかった。人生で一番嘔吐していた時代である。本当に馬鹿だった。

 一概には言えないのだが、東大には薄っすらと学内で交際することを格上とする風潮がある。別にそれによって格付けがされるわけではないのだが、周囲から優秀とされる人間は学内で付き合っていることが多かった。そうではない凡庸な東大生は出会い系サークルに入り、彼女ができていたり、できていなかったりする。

 この手の出会い系サークルはジェンダー平等の観点から敵視されることがある。筆者の見解では、全くの暴論とは言えないと思う。小中高と共学で過ごしてきている場合、男女で社会的地位の格差があると実感する機会は少ない。ところが出会い系サークルの場合、男女の学歴差が大きく、男性にステータスを、女性に若さと容姿と下手に出る能力を求められることが多い。どちらが上とか下ではなく、インカレサークルの男女関係は非対称である。

 こうして非対称な関係が存在するので、一定数「ヤリモク」の男子学生が入ってくる。筆者の代はどちらかと言うと駒場で浮いていたタイプが多いため、大人しい人間ばかりだったのだが、他の代には「ヤリモク」タイプの男子が何人か存在していた。筆者は陽キャ的な会話ができないので、こうしたタイプと楽しむのは非常に難しかった。

 一方で女子の側も一定数質の良くない人間が入ってくる。東大のインカレサークルに入ってくる他大の女子には大学受験で失敗する等して強烈な学歴コンプを抱えている人間がいる。東大に数点差で落ちたタイプは早慶に行くので、東大のインカレサークルに入ってくるのはそれよりも2ランクほど下の層だ。中には男性に依存して自己承認欲求を得るメンヘラタイプの人間も存在した。

 筆者はその中の1人に熱を上げてしまい、ちょっと困ったことになった。婚約者にブログの存在がバレているので攻めたことは書けないのだが、筆者が本当に好みのタイプは「戦慄かなの」風のギャル風のメンヘラである。婚約者曰く、筆者が好きになった女性は全員同じ見た目をしているらしい。このタイプは筆者にとってヘロインのような中毒性がある。(heroineはheroinだった!?)

 サークルのメンバーの進路だが、概ね陽キャは良いところに就職していた。マッキンゼーとか経産省と言った具合だ。陰キャはあまり就職が良くなかったが、それでもJTCになんとか引っかかっていた人が多い。最も東京に馴染めず、地元の県庁に就職した者もいた。センター試験の成績が良かったと言って調子に乗らず、地元の旧帝大に行けばよかったと常に言っていたのを覚えている。

②オタサー

 こちらは筆者が東大に入ったら絶対に入りたいと思っていたサークルである。レベルは日本有数、というか日本一高いので、普通の学生には参入障壁が大きかった。中高から部活に所属していた人間が多かったが、筆者は大学から参加しても十分についていけるという自信があったので、臆せずに入っていった。筆者はなんというか、この分野に関しては才能があったので、中高時代から経験を積んだメンバーともなんとか渡り合うことができた。

 東大オタサーあるあるなのだが、発達障害傾向の学生がとにかく多かった。コミュニケーションが取れない人間はいなかったが、こだわりが強かったり、微妙なところに気が利かなかったりという雰囲気の人間は多く存在した。

 出会い系サークルと違い、オタサーには女子は皆無だ。稀に存在することもあるが、囲われる時と男子扱いされる時の二択に分かれる。筆者の代は男子扱いされる代だった。色恋沙汰が発生する雰囲気は全くなく、平和そのものだった。オタサーに入ってくる女子は変わったタイプが多く、「リア充感」があまりないのも一因かもしれない。「オタサーの姫」現象はガチのオタサーよりも、もっと違ったタイプのサークルで発生するように思える。

 また、オタサーはやたらと留年率が高かった。一留は当たり前で、留年を繰り返した結果行方不明になった人間も存在した。筆者は単位を落としたのではないかと不安に思い、オタサーの合宿中に気が気でなかったのだが、「心配している人間は留年しないよ」と先輩に声を掛けられ、安心した。なお、その先輩は留年した。

 オタサーも合宿などは結構やったのだが、これも青春感は全くなく、モラトリアム感すらなかった。ひたすらメインの活動しかしなかった。ASD傾向の強い学生が多かったというのも関係しているのかもしれない。人間にすらあまり興味はなく、ひたすら活動である。

 オタサーの就職は非常に悪かった。大企業に受かっている人間は皆無で、地方公務員になった人間が多かった。就職せずに行方不明になった人間も多かった。理系の場合は研究室推薦があるので意外にどうにかなるのだが、文系は本当に深刻だった。オタサーの文理格差は相当なものだったと思う。オタクは理系に行けという筆者の経験則はこの時に構築されている。ただ、留年を繰り返したのにも関わらず某マスコミに内定した人間もいたので、人によるのかもしれない。

 他にもオタサーに関して語りたいことは沢山存在するのだが、諸事情により書くことが難しい。踏ん切りが付いたら書いても良いかもしれない。自分が選択しなかった別の道に進んで大成功した者がいたのである。

③意識高い系サークル

 こちらは対称的な気風だった。東大の中でも優秀とされる人間が多数在籍し、競争的とは言わなくても、独特のエリート感があったサークルだった。あたかも「日本は我らの手に握られている」と言わんばかりの雰囲気だった。実際、このサークルのメンツは非常に優秀だと思う。何人かは必ず事務次官や大企業の社長になるだろう。

 ただ、幸いかなりのマンモスサークルだったので、半分以上は普通の学生だった。お陰で筆者は色々な人間とまんべんなく知り合うことができた。別のサークルの友達をこちらに誘ったりもした。人間関係の総量としては非常に多かったと思う。感覚的には優秀層が40%、一般層が50%、その他が10%である。一応発達障害傾向の学生もおり、結構仲良くなった。

 意識高い系サークルなので、OBを招いた意識の高そうなイベントや、飲み会も多数開かれていた。イベントのたびに飲み会が開かれ、筆者はなんだかんだ楽しんで馬鹿騒ぎしていた記憶がある。飲み会の二次会三次会となるごとに人数がどんどん減っていくのだが、筆者は常に徹夜カラオケで夜明けまで残っていた。面白いことに、夜明けまで残るメンバーはだいたい同じであり、本当に馬鹿みたいな遊び方をしていた。無意味に海に入ったり、プールでパチャパチャしたこともあった。

 マンモスサークルではあるが、幹事の側に回る人間は陽キャ層ばかりであり、筆者は彼らとはほとんど交流がなかった。大人しいタイプのメンバーとは仲良くなることが多く、未だに交友関係は続いている。東大は優秀層だけではなく、中間層にも結構すごい人間はおり、見どころがある人間と仲良くなれて貴重な経験だった。

 女子も結構いたのだが、あまりサークル内恋愛は活発ではなかった。そもそも女子のほとんどに彼氏が存在していたという事情もある。東大の女子は在学中本当にモテる。彼女らと交際できるのは本当のハイスペだけだ。コミュ力だけでは足りず、スペックも要求されるというのが特徴的かもしれない。

 就職先だが、日本最高レベルである。これは言うまでもない。軒並み官僚や一流企業に内定していった。多分、三菱商事であっても「ふつう」という扱いだと思う。今から考えると、ちょっと異常な環境だったと思う。また、サークルの特徴として、留年率が高いというのもあった。これはオタサーとは全く違う意味合いだ。留年してでも上位の就職先を狙う人間が多かったのである。大学受験の浪人感覚だと思う。彼らは留年して官僚やコンサルなどに内定していった。

④謎サークル

 このサークルはなんとも分類できない独特のサークルだったので、謎サークルとここでは呼びたい。

 大学の青春といえば、森見登美彦の四畳半神話大系が浮かぶと思うのだが、謎サークルはまさにこの作品を地で行くような雰囲気だった。オタサーよりもコミュ力のある人が多かったが、競争的な雰囲気も全くなく、本当に居心地が良かった。今までに所属したコミュニティの中で一番「サードプレイス」に近かったと思う。

 謎サークルの思い出を上げればキリがない。意外に合宿などは行わなかったのだが、それでもやたらと楽しかった。幾度となく徹夜で鍋パーティーをやったし、キャンプもやった。無意味に10時間も話し込むこともあった。カードゲームにのめり込むこともあった。アイドルの動画を見ながら大声でコールを叫び続ける回もあった。

 学生のメンツだが、何らかの事情で大学で居場所がなかった人間が多かった。これが東大の良いところなのだが、こうした残余の人間は知的で大人しく、面白い人が多かった。部室にロシアの酒が置いてあったことがあるのだが、何故か部員全員がキリル文字を読めた。徹夜でロシア革命について語ったこともあるし、ネオリベ理論について勉強したこともあった。日本のホラーゲームの歴史について熱く議論したこともあった。筆者が出会い系サークルで失恋した時も、先輩がビールを奢ってくれたので、2人で芝生の上で語り明かしたこともあった。他に何をやっただろうか??挙げればキリがない。東大という環境は意外に落ちこぼれたほうが幸福感が高いのかもしれない。

 筆者がMBTI考察の体系を構築したのも、謎サークル時代の友達であるB君のおかげである。こうした鬼才がサークルの同期・先輩・後輩には沢山存在していた。彼らに出会えたのは人生において大きな財産だったと思う。


まとめ

 東大時代のサークルを振り返ってみたが、どれも本当に楽しかった。筆者は幼稚園の時にすでに学歴マニアの片鱗をのぞかせていたので、東大志望は既定事項だったのだが、夢にまで見た東大に行った時は本当に素晴らしい経験をすることができた。もちろん辛いことも沢山あった。筆者は決して東大時代は優秀な部類ではなかったし、サイコパスの攻撃を受けて苦しんだこともあった。それでも悪いことよりも良いことの方が多かったと断言することができる。

 高校時代、ずっと青春に憧れていた。甘酸っぱい青春、そういったものを経験することができなかったという意識があった。ただ、今から振り返ってみると、大学時代は結構青春していたと思う。普通の「リア充」的な青春ではなかったが、森見登美彦的な青春は経験できたのかもしれない。

 東大生の多くは東大合格が人生のピークで、後は下り坂という。しかし、筆者の場合はもうちょっと遅かった。多分人生のピークは東大の卒業式の時にサークルの友達と徹夜でカラオケをした時だと思う。学生時代は人間関係がどんどん拡大していったし、新たな発見や見識もあった。間違いなく人生で一番充実していたと思う。

 良くないことがあったとすれば、あまりにも幸福感が高かったため、その後の人生に喜びが見いだせなくなってしまったことだろうか。後はブルシットジョブを続けて死ぬだけだ。本当に無味乾燥で空虚な人生だが、それでも思い返して幸福感に浸れる経験があるだけ、マシなのかもしれない。

 東大卒の幸福度は低いという話がある。私自身、否定はできない。この先の人生に希望も目標も存在しない。もう人生の青春は終わってしまったのだ。それは受け入れるしかない。

 ただ、東大は夢にまで憧れた大学だったし、実際に合格することができた。幼少期の目標が達成できただけでも幸運だったが、その上にキャンパスライフは楽しいことが多かった。だから東大に行って良かったと思う。筆者が東大の話にこだわるのは何も学歴マニアだからだけではないのだ。これからも自分は東大時代の話を続けるし、東大時代の交友関係に依存し続けると思う。過去の栄光かもしれないが、苦しみ以外何一つもたらさなかった仕事人生よりはよほど実りがあると思う。

 

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