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<MBTI>ヒトラーはINFJではなくINFPではないか?という話

 近現代の歴史で最凶最悪の人物は誰か?という問いの答えとして必ず挙げられる人物がヒトラーだ。戦後80年が経過した現在であっても、ヒトラーは世界中で批判と恐怖の象徴だし、なにか政治的に揉め事が起これば、必ずと言ってヒトラーを引き合いに出す人がいる。ヒトラーは第二次世界大戦を引き起こし、ユダヤ人やその他の人々を強制収容所で虐殺していった。ヒトラーの引き起こした戦争と虐殺によって4000万人以上の人々が命を落とし、ヨーロッパは焼け野原となった。現在の国際社会は第二次世界大戦後の戦後秩序によって運営されており、現在進行中のイスラエル・ガザ戦争もヒトラーの負の遺産という側面を持つのである。

 さて、そんなヒトラーの性格タイプだが、一般にはINFJと言われることが多い。ただ、私は個人的にヒトラーの性格タイプはINFPだと考えている。何れにせよ、基本的にNF型は平和主義でいいヤツが多いと言われているので、かなり意外だ。今回はヒトラーという人物の性質を通してINFPの本質に迫っていこうと思う。

ヒトラーのNF性

 政治というものは本来はNT型の世界の話である。全体を俯瞰してみる思想や、エビデンスを根拠とした政策論、その他の法解釈や行政機構などは全てNT型の好むテーマだ。NT型は普段から物事を政治チックに見ているところがあるし、それぞれの意見もしっかり持っていることが多い。NTの評論家的なところは政治そのものである。

 同時代のマルクス主義を見ていると、NT型の特徴が色濃く現れている。。共産党は自分達が社会や経済の問題を解決できると主張し、そのための理論的な根拠を長々と語っていた。使っている語彙も「革命的祖国敗北主義」とか「破壊工作」といったNTが好きそうなものが多い。

 ところがヒトラーはこうした理屈っぽさがない。ヒトラーの主張している内容は論理的におかしいし、荒唐無稽なおとぎ話にしか思えないだろう。後世の人間から見てもさっぱり理解ができない。同時代であってもおかしいと考える人は多かった。しかし、ヒトラーはそんなところに焦点を置いていない。人間は論理ではなく気持ちで動くと言われている。ヒトラーは人間の心に訴えかけるようなパフォーマンスを繰り広げ、見事多数の信者を獲得すうることができた。絶望していたドイツ国民はヒトラーの演説を聞くとなにやらワクワクした気分になることができた。ナチズムは自分たちが価値ある存在であること、1人ではないことを実感させ、国民に束の間の幸福感をもたらした。

 ヒトラーの独特のカリスマ性はNF型に特有のものだろう。ヒトラーは共産党などにありがちなサラリーマン的人物とは違う。常にヒトラーは唯一無二であり、替えが効かない存在だ。ナチスの支持者は党首の話ではなく、ヒトラーの話を聞きたいのだ。その内容が例え根拠が無かったり、論理的に整合性が取れないものであっても、魅力的な演説とは成りうる。芸術家ヒトラーは政治家の道に転じても根は芸術家であり続けたとも言える。

 NF型の人間は打算よりも理想を優先するところがある。これがNF型がいいヤツだと思われる理由だろう。しかし、時と場合によってはこうした振る舞いは破滅的になることがある。ヒトラーは権力の維持よりも理想の追求を優先し、無謀な世界大戦を開始した。戦争遂行に何一つ資することがないにも関わらず、ユダヤ人の虐殺を推し進め、ドイツを後戻りのできない奈落へと落とし込んだ。後世の人間はヒトラーの起こした虐殺行為にどのような利益があったのか理解できずに頭を抱えている。到底合理的な行動には見えないが、NF型にとっては合理性よりも大切な矜持があるのだろう。

 なお、ヒトラーは個人としては人並みに情のある人間だったようだ。少なくともソシオパスではない。母親の主治医だったユダヤ人医師に対しては生涯感謝の心を忘れず、ホロコーストが開始する前に特別待遇で国外脱出を助けている。他にも個人的に世話になったユダヤ人には極秘に脱出を助けていたようだ。1934年に旧友レームを粛清した時も最後まで悩んでいた。自己保身の為に仲間でを平気で殺す共産主義者とは大違いである。親衛隊長官のヒムラーはホロコーストを視察した際に気絶しているが、ヒトラーも同様の行為をしたらたぶん気絶していただろう。INFPの場合は最初から近寄らないように立ち振る舞うだろうが。

ヒトラーはINFJかINFJか問題

 ヒトラーは非常に内向的な人間だった。これはエヴァ・ブラウンも証言しているところだ。ヒトラーはかなり引っ込み思案だったし、交友関係も狭かった。ヒトラーは他人を立ち入らせない精神領域のようなものを持っていて、仮にヒトラーと打ち解けられたように思えても、ある一定のライン以上は近づけないことが特徴だった。それにヒトラーの異様なこだわりの強さはE型にはありえないだろう。E型の思想は多かれ少なかれ周囲の人間の影響を受ける。周囲に受け入れてくれる主張をE型は選ぶし、そもそも強い主張を持っていないことが多い。ヒトラーがI型であることは議論の余地がない。

 残る性格タイプはINFJとINFPである。ヒトラーは通常INFJとされることが多い。ヒトラーは一貫して反ユダヤ主義を唱え続けたし、指導者としての人物像を人前で演じ続けたからだ。感情表出も少なく、INFPにありがちなリラックスするような振る舞いは皆無だ。

 だが、ヒトラーが聖人のように振る舞っているからと言って、INFJとは限らない。政治家は万人のリーダーとして振る舞うことを求められるため、P型の性質が強く出ることを嫌う。社会人全般に言えることだが、一応外向きはJ型のフリをすることが多い。政治家の場合、人前で遊んだり、大笑いしたり、自分の都合を優先したり、といった振る舞いは周囲からあまり良い印象を持たれないだろう。ウクライナのゼレンスキー大統領は大統領に就任してからP型として振る舞うことはやめている。ロシアとの開戦後は更に顕著になった。ゼレンスキーは大統領としてあるべき姿を思い浮かべ、自ら演じているのだろう。

 ヒトラーが誠実な指導者として振る舞っているからといって、ヒトラーがJ型であるとは限らない。トランプという例外を除き、政治家はJ型かJ型のフリをしているP型であることがほとんどだ。政治家に限らず、社会で責任ある立場に就くとそうなるのである。

ヒトラーのINFPっぽさ

 ヒトラーの真の性格タイプを推し量ることは容易ではないが、彼の人生における振る舞いを見ていると、INFPであると思われる特徴が多い。ヒトラーは異常者というよりも、根っからのオタクだったようだ。

 ヒトラーの青年期を見ていると、到底INFJとは思えないようなエピソードが多すぎる。ヒトラーは興味のある科目以外は勉強しなかったし、自分のことをサボっているだけの秀才であると主張していた。ヒトラーの振る舞いは優等生とは程遠く、浮世離れしたオタクという色彩が濃かった。INFJにもこのような人物はいるのかもしれないが、やっぱりP型の方がこうした人物は多いだろう。ヒトラーは体系化した教育システムに乗るのがとにかく苦手で、好きな美術ですら入試に失敗している。その後も芸術家として親のスネをかじる生活が続き、親族からは煙たがられていた。完全に2chの「おまいら」である。ただ、一応画家としてそこそこの収入はあったらしい。極貧だった青年期はのちの時代の脚色であり、実際は「鳴かず飛ばず」の芸術家といった具合のようだ。こういった、妙に食っていけている辺りがINFPっぽい。

 ヒトラーは非常に博識で、議論好きだった。朝から晩まで本を読みふけっていたし、知識人のような雰囲気の人間だったようだ。ヒトラーは「食うための仕事」を基本的に軽蔑しており、人生においてもっと創造的で偉大な事業を成し遂げたいという夢を持っていたようだ。酒や女といった世俗的な快楽には興味を持たなかった。仕事ぶりは不真面目だったが、私生活においては堅実で禁欲的だ。もうこの辺りは完全にNP型である。J型であればもう少し実社会で役に立つようなことを頑張るだろうし、周囲の人間に尊敬されるような振る舞いを心がけていたはずだ。こうしたヒトラーの価値観はINFPにありがちだし、筆者もこうした人物を何人も知っている。

 ヒトラーはしばしば精神異常者と言われているが、国家指導者の職は精神異常者に務まるほどラクではないし、ヒトラーは健康であったと言われている。正気を失っているわけではなく、最初からそういう人だったのだ。ヒトラーはとにかくこだわりが強かったらしい。ヒトラーの独特の固有領域に関しても、INFPにありがちな特徴だ。INFJも固有領域は強いし、INFPよりも更に強固であることが多いのだが、ここまで来ると外部から伺うことが不可能になってしまう。ISFPの場合は内気な印象になるが、固有領域というほど深くはない。ヒトラーのように、固有領域の存在を外部から察知することはできるし、親しい人間からは部分的に内部を見ることができるものの、全部を見ることはできないという様子はINFPにありがちな間合いである。

 ヒトラーは人前で内気な自分を悟られまいと必死に殻を作っていたらしい。これまたINFPにありがちな振る舞いだ。INFPはこうした芸当が得意であり、人によってはカメレオンのように変化することがある。ヒトラーの本当の適職はおそらく俳優だったのだろう。絵画はもちろん、「我が闘争」といった著作もそこまで秀でたものではなかったが、演技力に関しては神がかり的なものだった。ヒトラーは総統という役柄を演じ、ドイツ民族の指導者という舞台を国家規模で行ったわけだ。ゲッベルスはプロパガンダの生みの親だったが、演じることに関してはヒトラーには叶わなかった。ゲッベルスもこのことは充分わかっていただろう。NT型のゲッベルスは理論には長けていたが、感性に訴えかける天才性という観点ではヒトラーの右に出る人間はいなかった。

ナチ党のP性

 国家規模の振る舞いを性格診断の観点から語ることは好ましいことではないだろうし、マクロ的な現象にどこまで指導者個人の個性が関わっているのかという問題は古来から様々な議論がなされている。ただ、ナチスドイツの基本的性質を見ていると、やはりそこにはJ型よりもP型の性質が見え隠れするのである。一言でいうと、J型は世界大戦など引き起こさないだろう。

 ヒトラー最大のライバルであり、常に比較される男が東の独裁者・スターリンである。スターリンは非常に慎重な男だった。少しでも行き過ぎたと思えば自制したし、レーニンの作り上げた共産党のシステムの枠内で常に物事を考えていた。スターリンは党と国家に危険を晒すような冒険を常に避けていたし、迷った時は常に行動しないことを選んだ。この選択は1941年6月の破局を招くことになった。

 ヒトラーは常にリスク愛好的だった。英仏が弱腰とみるや、ラインラントやオーストリアに強気で進出した。チェコスロバキア解体の時も英仏の足元を見ていたし、仮に戦争を仕掛けられたとしても構わないと思っていたようだ。ヒトラーは勝てば勝つほど夢が膨らんでいった。こうしたわらしべ長者型の成功はP型の価値観に近いと思う。チェコスロバキア解体に成功した。ポーランド侵攻も成功した。フランスも降伏しそうだ。次はもしかしたらソ連に侵攻して東方生存権を打ち立てられるかもしれない。こうした熱いロマンがナチスドイツには存在したのだ。マルクスとレーニンの予言どおりに政策と実行していく共産党とは性質が異なっていると思う。ナチスドイツの独特の力強さはこうしたP型の要素に由来しているのかもしれない。

 第三帝国はある種のアナーキーだったと言われる。幹部がそれぞれ所掌分野を持っており、ヒトラーのその時の気分で幹部のアップダウンが決まっていった。共産党のようなヒエラルキーは存在しなかった。副総統のヘスは空気のような存在だったし、総統後継者のゲーリングは勝手に警察を仕切っており、ヒムラーは勝手に第二の軍隊を作り上げ、素人のシュペーアーがいつの間にか経済部門を統括させられ、結局後継者になるのはデーニッツという混乱ぶりだ。ヒトラーは共産党のような官僚制組織に興味はなかったし、嫌いだったのだろう。興味のある分野に口出しすることは常だったが、ルールに従って組織を管理することは最後まで苦手なままだった。

 もっともヒトラーが興味を持たなそうな分野においては官僚主義が横行していた。いわゆるハイドリヒやアイヒマンが管轄していた領域である。ヒトラーはホロコーストを決断していたことは間違いないが、具体的な方策にはタッチしなかったと思われる。ましてやユダヤ人の移送スケジュールなど、細かいところは無関心だっただろう。ヒトラーはホロコーストに関して具体的に文書で指示することを避けていた。証拠を残すのが嫌だったのだろう。ヒトラーから口頭で指示を受けたヒムラーはハイドリヒに仕事を任せ、ハイドリヒは関係省庁の高官を集めてアイヒマンに具体的な調整を任せた。一般的に思い浮かべられるナチスの官僚支配は彼らによって行われたものである。ヒトラーはこうした仕事が嫌いだったし、できないと思う。 

INFJの場合はどうなるか

 1945年4月30日、包囲下のベルリンでヒトラーは最後は側近への怒りをぶちまけながら、自殺していった。この立場に置かれれば無理もないが、やはりヒトラーは生涯に渡って身勝手な振る舞いが目立った人間だったと言えるだろう。薄情ではないが、土壇場で自己中な振る舞いが見え隠れする。

 こうした性質が浮き彫りになるのは、ヒトラーと同等かそれ以上に悪名高い人物であるポル・ポトと対比しているからだ。ポル・ポトは最後まで温厚で人望が厚く、本心が良くわからないまま亡くなった。ヒトラーのように時たま人間臭さが見え隠れするわけではない。最後まで清廉潔白で理解困難な人物だったのだ。ポル・ポトは典型的なINFJであり、ヒトラーと人間的には異なる点が多かった。

 ポル・ポトはヒトラーと同様に酒もタバコもやらなかったし、理想主義に燃える青年だった。ヒトラーと決定的に違うのだが、ポル・ポトは受験に失敗して落ちこぼれても、あまりへそを曲げることは無かったようだ。才能は無くても優等生であろうとはしたらしい。ポル・ポトは控えめではあったが、周囲の人間からは尊敬されることが多く、友人も多かった。これは政治活動に入る前のことだ。政治家としての自己演出で清廉だったわけではなく、最初からそうだったのである。ポル・ポトは最初教師の道を歩むが、熱心で優しい先生として生徒からの評判は良かったらしい。

 ポル・ポトは政権を握ってからも、こうした人柄が変わることは無かったようだ。例えるならば、部下にも常に敬語で接しているタイプだ。ポル・ポトは個人崇拝を推し進めることもなく、贅沢にも興味を見せず、国造りのために奔走していたらしい。人類史上最悪の虐殺を行った人物にしては意外だ。ポル・ポトの人柄が関係していたのかは分からないが、クメール・ルージュの兵士は真面目で誠実であることが特徴だった。ロン・ノル政権軍と比べると規律がしっかりしていると評判だったようだ。彼らは虐殺のその時ですら礼儀正しかったのである。

 ポル・ポトは晩年になっても相変わらずの人望だった。1980年代になるとポル・ポトは表向きの肩書を外し、公式には研修講師を名乗るようになった。やっぱりこの人は根本的に教育が好きらしい。若い少年兵はポル・ポトの講習を受けると「ポル・ポトへの感謝と尊敬の気持ちでいっぱいになり、素晴らしい教えを今すぐ実行したい気持ちになった」を漏らしている。ポル・ポト派No.2の妻も興味深い証言をしている。彼女の家でしばしば会合が開かれている際、彼女はいつも手料理を出していた。ポル・ポトは会合の度に彼女の方に微笑んで「おいしいね」と言ったそうだ。INFJというのはこういった人種なのである。ヒトラーとは随分異なった性格に思える。

NF型は本当に政治に向いているのだろうか

 一般にINFPもINFJも平和主義的で、温厚なタイプだ。戦争が好きな人間はそこまで多くないと思う。しかし、中にはヒトラーのような残忍な路線に走る人間もいる。そのパターンの1つは政治だろう。

 NF型理想主義的でスケールの大きな話が好きなので、しばしば政治に関心を持つことがある。NF型の人に影響を与える能力の高さは選挙にも有効だろう。しかし、本当の意味でNF型が政治に向いているのかは微妙だ。正直、あまり向いていない印象を受ける。NF型は真摯に理想を追求してしまうが、それが却って逆効果になることがある。政治は純朴な理想では回らない、厳しい世界である。むしろ他人の恨みを買ってしまうことも多いだろう。

 ヒトラーは一般的な意味では暴力など振るったことはない人間だろうし、実際に暴力的な人間では無かっただろう。大量虐殺ではよくある話だ。政治家は大きな問題の外郭を指示するだけだし、具体的な殺人計画にはタッチしない。というより、保身のために言質を取られるのを嫌がる。ヒトラーはユダヤ人の絶滅を指示したと思われるが、それ以上の細部に関しては指示しなかった。汚れ仕事はヒムラーによって実行され、ハイドリヒやアイヒマンが具体的な業務をおこなった。彼らもまた暴力とは無縁な管理職であり、実際にユダヤ人を殺害したのはしばしばウクライナ人の看守だったりした。NF型であっても政治的暴力に関与することは大いに有り得るし、そのハードルは上位に行けば行くほど低くなるのである。

 個人的にはNF型はあまり政治には関わらないほうが良いのではないかと思っている。業界が物騒過ぎるからだ。確かに社会貢献という要素は大きいのだが、政治家は何かと叩かれる職業だし、一般人からのイメージが良いとは言えない。それよりもNFは社会貢献をイメージしやすい業界に進むか、個人の人生を充実させたほうが吉である。


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