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<地政学>地域大国のパワーバランスと単極構造・二極構造・多極構造を考察する

 今回は世界のいろいろな地域の地域大国と覇権構造について地政学的に考察しようという回である。地政学では単極構造・二極構造・多極構造などいろいろなパワーバランスが存在するのだが、それらを総論的に解説する良い機会だろう。世界覇権や海洋覇権を語る前にまず地域覇権を考える方が重要であり、世界大国アメリカ以外の国にとっては地域内部の勢力バランスの方がグローバルな勢力争いよりも遥かに重要なのだ。大英帝国であっても、やはりヨーロッパの勢力均衡の方が植民地よりも安全保障上、重要だった。というわけで世界10地域の勢力均衡について考えていこうと思う。

ヨーロッパ:多極構造⇒単極構造?

 ヨーロッパはユーラシア大陸の西に突き出た半島だ。この地域は世界で最初に産業革命が芽生えた地であり、世界文明にすさまじい影響を与えている。ヨーロッパの特徴は地形が複雑であることだ。大陸に隣接するブリテン島に加え、スカンジナビアやイタリアといった半島が存在し、地中海やバルト海のような内海が入り組んでいる。このような複雑な地形を反映してか、ヨーロッパはいつの時代も複数の地域大国に分立してきた。ヨーロッパが統一されたことは一度も無い。ローマ帝国ですらヨーロッパの半分を支配下に過ぎないのだ。

 ヨーロッパの無数の独立国の境界は絶えず移動しており、詳しく解説するとめまいがするほど複雑だ。ただ、重要なのはこの地域が多極構造であるということである。例えば1914年の段階ではヨーロッパ地域にはイギリス・フランス・ドイツ・オーストリア・イタリアが地域大国として存在していた(ロシアを除いた理由に関しては後程解説する)。時代によってはスウェーデン・スペイン・ポーランドといった国が地域大国だったこともあるし、オスマン帝国が進出してきたこともあった。

 地政学の議論では必ずと言っていいほど近世から近代にかけてのヨーロッパが題材にされる。多極体勢を考察するうえで都合が良いからだ。そしてこのヨーロッパの分裂をコントロールしていたのがイギリスである。この国は常にヨーロッパ大陸を複数の大国で争わせ、突出して強い国が生まれないように動いていた。もし大陸が統一されたらその国が海軍を強化し、イギリスの安全保障を脅かすかもしれないからである。18世紀から19世紀半ばにかけてはフランスが大陸で最強だったため、イギリスは対仏大同盟などを構築してフランスの拡大を防いだ。20世紀になるとドイツが強くなりすぎたため、二度の世界大戦で対独同盟を結成して戦った。ナポレオンもヒトラーも欧州大陸を統一したが、ドーバー海峡を渡ってイギリスを倒すことができず、いずれも敗北している。それほどこの国はヨーロッパの統一にとって障害だったのである。それほど強いのなら自分でヨーロッパ征服をすればいいではないかと思う人もいるだろうが、イギリスは百年戦争で痛い目を見ているからか、決して大陸の恒久的勢力にはならなかった。

 そんなヨーロッパだが、現在はある意味で単極構造になっているとも言える。この地域は第二次世界大戦にNATOとEUの強い影響下にあるからだ。加盟国同士の軍事的緊張は全く考えられないし、ヨーロッパは地政学とは最も遠い地域とも思われている。ヨーロッパ諸国の軍隊は米軍の補助部隊のようなものだ。ただし、現在でもイギリス・フランス・ドイツの三か国は独自の地域大国として振舞う力があるし、協力体制がどこまで持つかは分からない。

旧ソ連:不安定な単極構造⇒二極構造?

 地政学を考える上で極めて扱いが難しいのがロシアだ。この国がヨーロッパの国なのか、アジアの国なのか、いつの時代も論争になっている。筆者の見解は旧ソ連はそれ自体が一地域であるというものだ。ここは近代以前に遊牧民が根城にしていたエリアであり、地政学で言うところのハートランドである。東アジアとはシベリアの凍土で、南アジアとは中央アジアの砂漠で、中東とはコーカサス山脈で隔てられており、それなりにまとまりのある地域となっている。ロマノフ朝やソ連によって共通の歴史をたどっていた期間も長い。ロシアとカザフスタンはヨーロッパやアジアとの共通点よりもお互いとの共通点の方が遥かに多いだろう。

 旧ソ連地域が分かりにくいのは、唯一ヨーロッパとの境界が曖昧だという理由による。ヨーロッパの国は何度かロシアを侵略しているし、ロシアも欧州に進出したことは多い。ロシアはヨーロッパの勢力均衡を無視することができなかったため、ヨーロッパの地域大国として振舞うことも多かった。ウクライナの場合は旧ソ連とヨーロッパの間で常に揺れ動く運命にある。恐らく旧ソ連地域とは独自の地域であるという性質とヨーロッパの延長であるという性質を同時に兼ね備えるのだろう。地政学的には半独立地域と言っても良さそうである。

 旧ソ連地域を一つの地域とみなした場合、ロマノフ朝とソ連は地域覇権国となる。この場合、ソ連はアメリカと並ぶ世界で二つだけの地域覇権国であり、陸の孤島というある意味で北米大陸並みに難攻不落の要塞から周辺地域に介入していたことになる。実際、ソ連は東アジアや中東においてはアメリカと同様に間接的な戦力投射を好んでいた。東欧という例外を除いて旧ソ連の領域から大きく外に出たことはない。

 第二次世界大戦とはヨーロッパという地域が外部勢力のアメリカとソ連に共同征服される過程であるとも言えるだろう。どちらも地域でよそ者だったので、同盟国を介した戦略を好んだ。緩衝地帯のおかげで戦争を避けることができた。ソ連の弱点は東欧を直接占領していたことで、これによって国力を消耗することになった。

 ソ連は1991年に崩壊し、後には15の主権国家が残った。ロシアは圧倒的に大きかったが、地域内部に自国の掌握できない地域を抱えることになった。不完全な単極構造と言える。この時点でロシア連邦は旧ソ連地域の地域覇権国と言えるか怪しくなっている。旧ソ連諸国はロシアとの関係で自国の立場を規定していたが、完全に支配されていたわけではない。突出して強い国があり、残りの国は最強国との関係で自国の身の振り方を考える状態は単極構造とも言えるだろう。

 ウクライナやジョージアは単独でロシアに対抗する地域大国にはなれない。しかし、外部勢力を招き入れれば勢力均衡を作ることはできる。プーチンが恐れていた状況はこれだった。米軍基地がウクライナやジョージアに建設されればロシアは地域内部で脅威にさらされることになる。ロシアは東欧をNATOに譲り渡すことは許容できたが、旧ソ連諸国を譲り渡すことは絶対に許容できなかった。アメリカにとってのカナダやメキシコのような間柄だったからである。したがってプーチンは一刻も早く旧ソ連地域の地域覇権国に戻ろうと様々な工作を行っていた。

 だが、この体制は崩れかけている。原因は2022年のウクライナ戦争だ。この戦争でウクライナは予想外の善戦を見せ、ロシアの軍隊を押しやっている。このままウクライナが強大な軍事国家として存続すれば、ロシアとの勢力均衡を作れるだけの地域大国となるだろう。ジョージアやモルドバと友好関係を結ぶ可能性も高い。旧ソ連諸国はロシアとウクライナのどちらに付くか考えなければならなくなる。こうなると、旧ソ連は二極構造へと変化したと言えるだろう。

中東:多極構造

 世界で最も悪名高い紛争地帯が中東だ。この地域の地政学はあまりにも複雑であり、普通の人間は頭がこんがらがってしまうだろう。原因の一つはこの地域が19世紀のヨーロッパさながらの多極構造だからである。地域に複数の拡張主義国を抱え、どの国も民族問題や宗教問題で政情不安定だ。複雑になるのも当然だろう。

 この地域は以前は複雑さが抑えられていた。19世紀の中東はオスマン帝国による単極構造だった。ところが1918年に第一次世界大戦でオスマン帝国が解体されると、この地域は多極構造になった。複数の地域大国に加え、内政でも複雑な内乱を抱えることになり、中東は異常に複雑な地政学的地域となった。

 この地域はヨーロッパや東アジアに比べると豊かでない。それにもかかわらず、地政学的にこれらの地域に次ぐ重要な地域と目されている。中東地域の地政学的重要性は主に三つだ。それは海峡・聖地・石油である。特に三つ目の石油は世界の地政学において極めて重要な物資だ。

 中東地域の地域大国は現在4つある。それはイラン・トルコ・サウジアラビア・イスラエルである。昔はエジプトとイラクも地域大国だったが、前者は1979年にイスラエルと平和条約を結んだことで、後者は2003年のイラク戦争でいずれも凋落した。残りのうち、イランは明確に反米主義を掲げている。残りの三つは親米だが、行動が予測不能であり、地域のパワーゲームに深く関与している。アメリカにとって、イランの封じ込めは重要だ。イランによってペルシャ湾岸の石油の流れが抑えられるようになれば大変な事態になる。アメリカは地域の勢力均衡を維持し、地域覇権国の誕生を阻止しなければならない。19世紀のヨーロッパと比べると21世紀の中東はアメリカという世界大国が仲介しているため、戦争は防ぎやすいはずだ。それにもかかわらず、この世界大国の存在はむしろ怒りを掻き立てている。

東アジア:安定した二極構造

 無数の断層線が走っているヨーロッパや中東と比べると、東アジアの断層線は一つしかない。しかし、どの断層線よりも越えがたいという点で地域の地政学に大きな影響をもたらしている。それは海洋側と大陸側の間の断層線である。両者の境界は定期的に移動するが、現在は38度線に存在する。それぞれを代表する大国は日本と中国だ。ここに外部勢力のロシアとアメリカを加えた4か国のバランスで東アジアは回っている。

 東アジアの地政学的構造の特徴は、この地域が海洋側と大陸側に引き裂かれいるということだ。端的に言えば日本と中国はお互いを征服できない。日出る国の時代から日本は中国に朝貢することを拒否してきたし、天皇という独自の称号にも日本の独立性を見ることができる。元朝は大軍を率い日本征服を企てたが、見事に失敗した。一方で日本も何回か大陸に進出している。古代の大陸進出は白村江の戦いで敗北し、頓挫している。秀吉の朝鮮出兵でも平壌まで攻略している。明の介入にも負けず、半島に大軍を駐屯させていた。しかし、これも結局撤兵している。両者を分かつ溝は本当に深いことが分かる。

 19世紀の時点で海洋側と大陸側の境界線は対馬海峡を通っていた。しかし、明治維新で日本が急速に工業力を拡大すると、境界は移動し始める。台湾・朝鮮・満州が次々と日本の支配地域となった。第二次世界大戦の時点で境界線は中国内陸部にまで及んだ。西安と重慶を除く中国のほぼ全ての主要都市を征服したことになる。それでも日本は日中戦争に失敗し、敗戦を余儀なくされている。

 大日本帝国は消滅したが、代わってアメリカが重要な海洋勢力として進出してきたので構造は何も変わらなかった。米ソは朝鮮半島を分割し、両者は38度線でにらみ合った。世界でこれほど極端な国境線は存在しない。韓国は世界で最も成功した資本主義国であり、自由民主主義の海洋国家として繁栄を謳歌している。一方で北朝鮮は世界で最も失敗した共産主義国で、類例のない異常な世襲独裁政権の圧政に苦しんでいる。ヨーロッパ的な見方をすれば西に行くほど自由で豊かになり、東に行くほど権威主義的で貧しくなるのだが、まさに韓国と北朝鮮は世界の東の果てと西の果てが接する場所と言える。

 現在、海洋側の日本・韓国・台湾はアメリカと同盟を組み、自由民主主義の先進国として繁栄している。大陸側の中国と北朝鮮はロシアと繋がりが深く、共産党の専制政治が続いている。香港は海洋側から大陸側に飲み込まれ始めており、激しい抗議運動が行われている。海洋側と大陸側が手を組んだことはない。最も接近したのは対ソで米中が連携した冷戦後半期だが、この時代であっても38度線や台湾を巡る緊張は続いていた。

 この深く分裂した状況は二極体制の特徴とも言える。多極体勢であれば同盟のパターンが色々考えられるので、状況ががらりと変わることが多い。その分戦争も起きやすい。二極体制の場合は敵と味方が固定されているので、ある意味で迷う可能性がない。しかも東アジアの場合は南アジアと違って地理的な分断が激しいので、極めて安定性が高い。

 日本と中国は手を組むこともなければ、お互いを征服することもできない。両国は決して統合できないのだ。日本は典型的な海洋国家で、大陸に進出しても必ず失敗する。日本人なら良く知っている歴史だろう。中国は典型的な大陸国家であり、海に進出しても結局は途中でやめてしまう。鄭和の遠征は中止になったし、台湾は目と鼻の先にあるにも関わらず、中国はほとんど支配できなかった。中国の海軍力は日本のシーレーンを守る上で役に立たないし、日本の陸軍力は中国の内乱を鎮圧する上で役に立たないため、日中同盟もあり得ない。

 東アジアの分断はあまりに深いので、この地域は世界で最も地域覇権国が生まれにくくなっている。アメリカは常に弱い方を応援すれば良い。しかも失敗したところで日中が統合することは無いのだから、気も楽だろう。なお、両者の対立で常に貧乏くじを引かされているのは朝鮮半島である。

南アジア:不安定な二極構造

 地政学的に比較的重要度が低いとされるのは南アジアだ。ヨーロッパや東アジアのように経済規模が大きいわけでもなく、中東のように石油を産出するわけでもなく、旧ソ連地域のように世界大国の根城になっているわけでもないからだ。世界大戦において南アジアはほとんど話題に上らなかったし、冷戦においても米ソ両国にとってあまり重要な地域とは思われなかった。インドを見てもポーランドやベトナムのような東側諸国の国とは思わないだろう。

 南アジアは戦前は英領インドという一つの国だったので、単極体制だったと言える。イギリスはヨーロッパでは地域覇権国になれなかったが、南アジアでは地域覇権国だったわけだ。その英領インドは第二次世界大戦後に解体され、インドとパキスタンに分離独立する。この二国は非常に仲が悪く、南アジアの地政学は両者のパワーバランスで動いていると言っても過言ではない。

 インドとパキスタンは三度に渡って交戦している。いずれの戦争もインドが勝利している。特に1971年の第三次印パ戦争でバングラデシュを失ったのは痛かった。パキスタンはこれで人口の半分を失ったことになるからである。バングラデシュの独立運動の過程では100万人がパキスタン軍によって殺害されたとも言われている。

 パキスタンは自らの劣勢を実感し、苦境に立たされた。この辺りからパキスタンはイスラム主義に傾き始める。1979年に勃発したソ連アフガン戦争でパキスタンはイスラム聖戦士を支援し始める。1990年代にアフガニスタンを支配したタリバンもパキスタンの支援を受けていた。インドのいくつかのイスラム系テロ組織もパキスタンの支援を受けている。また、90年代にパキスタンは核保有を宣言した。こうした取り組みにより、パキスタンは少しでもインドの優位に立とうとした。

 しかし、パキスタンの努力も虚しく、インドはどんどん強力になっている。インドの経済成長は2010年代になってから目覚ましくなった。一方のパキスタンはアフリカ並みの貧困国に転落している。この差は開く一方だ。2021年のタリバン政権の勝利を持ってもパワーバランスは如何ともしがたい。パキスタンは準破綻国家であり、国内には紛争の種が渦巻いている。インドとの均衡を維持できなくなる可能性が高い。

 インドが今後大国路線を歩むうえで障壁になるのはパキスタンの問題だろう。インドの拡大を快く思わない国はパキスタンに肩入れするかもしれない。パキスタンが崩壊したら難民や核兵器の問題が出てくる。インドは地域覇権国にならない限り、この問題に足をすくわれ続けるだろう。

東南アジア:無極構造

 これまで挙げた地域は地域は伝統的に何らかの地域を統一する文化的背景が存在した。東アジアであれば漢字文化圏や仏教だろう。ローマ帝国やイスラム帝国のような共通の帝国支配もある。こうして統合と分裂を繰り返して地域の秩序は作られてきた。ところが東南アジアの場合はそのような背景が何もない。宗教を例に挙げてもイスラム教・仏教・キリスト教などバラバラだし、時代によっても異なる。それに東南アジアは一度も共通の帝国支配を受けたことがない。イギリス・フランス・オランダなどが細切れのように地域を支配していた。この地域を統一した唯一の帝国は大日本帝国だったが、それも3年程度だ。このようなバラバラで「残余」の地域が東南アジアなのである。

 皮肉なことに、南アジアや中東と違って東南アジアの領域の定義は非常にはっきりしている。地理的なまとまりはやっぱり存在するのだ。ASEANのような連合体も崩壊することなくやっている。それにもかかわらず、東南アジアには地域大国になるようなリーダー国が存在しない。国家間の勢力争いもせいぜい冷戦時代にベトナムとタイがカンボジアを巡って争っていたくらいだろう。冷戦が終結するとカンボジアは嘘のような平和ムードになり、ベトナムはアメリカに接近し、タイやフィリピンの米軍基地は存在意義が良く分からなくなった。

 東南アジアの地政学的動きは外部からやってくることが多い。こうした「借り物」的な傾向は宗教や文化の流れにも見て取れるが、現代であっても健在だ。冷戦時代最大の激戦となったインドシナ三国の戦争はフランス植民地帝国の崩壊と中国革命のドミノ的波及が原因だった。インドシナ三国の戦争を語る上で比較対象となるのは朝鮮半島やアルジェリアだった。東南アジア固有の何かではなく、東アジアやヨーロッパ的なファクターだったのだ。東南アジアが地政学の文脈でほとんど登場しないのもこうしたネタの少なさかもしれない。

北米:単極構造

 世界で最も単極構造が見て取れる地域は北米だ。この地域で突出して強い国はアメリカ合衆国であり、他の国は逆らうことも勢力均衡を作り出すことも許されていない。外部勢力が北米にアクセスすることすらままならないのだ。この状況は当分の間続くだろう。

 北米でいかにアメリカが地域覇権を生み出したかは何度か記事に書いている。これは世界の地政学的な事件の中でも極めて重要でありながら、あまり認知されていないようだ。独立当初のアメリカは北米の東岸に張り付く小国であり、このままだったら決して超大国になっていないだろう。ところがアメリカはルイジアナを買収し、一気に領土を広げた。フロリダやテキサスを併合し、先住民を追放し、1846年の米墨戦争ではメキシコシティを陥落させ、降伏に追いやった。1865年、アメリカは南北戦争に勝利し、北米の地域覇権国になった。これ以降、アメリカは北米でいかなるライバルにも遭遇していない。アメリカが実質的な島国として扱われるのはこのためだ。

  幸いなことに北米大陸は比較的統一しやすい地勢だった。ヨーロッパにおけるイギリスのような存在はいなかったし、比較的平坦だからだ。イギリスはヨーロッパの勢力均衡に気を取られ、アメリカの北米統一を阻止することはできなかった。お陰でアメリカは広大な領土を手に入れ、ライバル国に煩わされることなく超大国として振舞うことができたのだ。

 これが旧ソ連地域と違うところなのだが、北米は外部勢力がアクセスすることもできない。旧ソ連地域の場合はロシアに対抗する力が無くても米軍基地を引き入れるなどして勢力均衡を作り出すことは可能だ。ところがアメリカの場合は海洋覇権を手にしているので、北米に外部の大国が進出するのをブロックすることができる。モンロー主義が目指していた状態はこれだ。1962年のキューバ危機がまさにそうだった。ソ連の海軍力ではキューバを守ることはできないし、アメリカが本気を出せばキューバは一瞬で消滅するだろう。

 北米の弱小国はアメリカに対抗することはもちろんのこと、外部の大国を招聘して守ってもらうこともできない。ひたすらアメリカと友好関係を結んで自治を認めてもらうだけだ。キューバやニカラグアの反米政権はアメリカが見逃している限りにおいて存続するのであり、グレナダやパナマのように米軍の軍事侵攻を受けたら一瞬で消滅するだろう。ソ連はこれらの国を同盟国として利用できないことが分かっていたので、中米紛争で左翼ゲリラを支援するなど妨害工作に終始した。これらの勢力もベトナムのように陸路で支援されているわけではないので、大した働きはできなかった。

 しばしば米州の国は自国がアメリカに支配されているような感覚に陥るようだ。最大国家のメキシコですら、アメリカに対して均衡を保つことはあきらめており、不法移民や麻薬を送り込むだけになっている。

南米:無極構造

 南米は国際政治において最も忘れられがちな地域だろう。ユーラシアから遠く離れており、二度の世界大戦にも冷戦にもほとんど関与しなかった。ユーラシア国家のような伝統や文化もない。南米も19世紀はいくつもの大戦争があり、複雑な勢力抗争が行われていた。しかし、20世紀になってからはほとんど紛争が無い。それどころか目立った勢力均衡も存在しないようだ。

 南米地域はなぜこうも「ネタが無い」のだろう。一つは南米大陸が地理的に分断されていることにある。南米はアンデス山脈とアマゾンの熱帯雨林によって二つに分断されている。東岸はブラジルからアルゼンチンにかけての広大な地帯だ。西岸はベネズエラからチリまで細長い可住地域が続いている。チリの細長さはいかにアンデス山脈が障害になるかを表しているだろう。海による分断は交流を生む側面もある。イギリスとフランスや日本と韓国は敵対と友好の入り交ざった複雑な関係を保ってきた。ところが山脈や熱帯雨林の場合は完全な没交渉になってしまい、相互作用が生まれにくい。ブラジルにとってコロンビアは遠くの国であり、アメリカと大して実質的な距離が変わらないだろう。

 また、地域にこれといった拡張主義国が無いことも原因だ。19世紀はパラグアイのような国が存在したが、20世紀以降は全く見られない。1949年の中国革命や1979年のイラン革命は地域に新しい地政学的対立軸を生んだ。ラテンアメリカ地域でこのような革命が起きたのはキューバだったが、この国はあまり小さく、地域大国として存在感をアピールするには不十分だった。もし革命がブラジルやアルゼンチンで起きていたら、南米は冷戦の重要な争点になっていたかもしれない。だが、そのようなことは無かったので、アメリカは南米には無関心だった。ユーラシアに存在するような同盟国のネットワークが南米には存在しなかった。

 南米の地域大国と呼ばれるABC大国(アルゼンチン・ブラジル・チリ)はこれといった勢力均衡を形成していない。ブラジルとアルゼンチンの戦いと言えばほとんどの人がサッカーをイメージするだろう。アルゼンチンの戦争といえばフォークランド紛争だが、地域の勢力均衡にはどうでもいい存在で、単に軍人の首が飛ぶだけに終わった。

サハラ砂漠以南のアフリカ:無極構造

 サハラ砂漠以南のアフリカには沢山の国が存在する。これほど多くの国が存在するのだったら、当然何らかの地域秩序が生まれてもいいはずだ。しかし、アフリカにはそのような存在は一切存在しない。アフリカに近代国家が存在しないからだ。

 アフリカは世界で最も遅れた地域である。世界の最貧国のほとんどがアフリカにある。同レベルで遅れた国はユーラシアにはアフガニスタンとイエメンしかなく、西半球にはハイチしかない。その理由は色々指摘されているが、サハラ砂漠以南のアフリカがユーラシアの文明圏から長らく切り離されていたからと思われる。ユーラシアの文明は圧倒的に進んでおり、非ユーラシア地域との格差は数千年にも及んだ。中国で西遊記がヒットしていた時代に時代に非ユーラシア地域は文字すら知らなかったのだ。これらの非ユーラシア地域の文明はヨーロッパ人の進出で駆逐されることになった。

 しかし、アフリカ大陸だけは熱帯気候や感染症の影響でヨーロッパ人の侵略を受けにくかった。したがって、これらの国の先住民はそのまま暮らすことができた。アフリカが突出して貧しい理由は他の非ユーラシア文明圏が全て滅亡したからなのだ。恐らくアボリジニやアメリカ先住民の国家が残存していたら、アフリカと同様に最貧国だっただろう。唯一生き残ったパプアニューギニアの経済水準もアフリカと同じくらいだ。

 そんなわけで、アフリカの国家はユーラシア人の国家のペースについていけていない。アフリカの独立国は国際社会の建前で存続しているようなところがあり、近代国家の体をなしていないのだ。日本で例えるならば室町時代のような状態が続いているわけである。アフリカの国家は敵対しあう多数の部族を囲った「いけす」であり、到底地域覇権を狙えるような状況ではない。

 ただ、例外的な国もある。例えば南アフリカだ。この国はアパルトヘイト体制で周辺国と対立していたため、地域の勢力均衡に深く関与していた。アパルトヘイト体制の崩壊と同時にこの国はヨーロッパ人の国からアフリカ人の国になったため、南アフリカはちょっと豊かなだけの普通のアフリカの国になった。

 アフリカ人の国としてはルワンダが挙げられる。この国は悲惨極まりないジェノサイドで有名だが、最近はアフリカ随一の成長国家となっている。治安もよく、統治も安定している。軍事力は非常に強大で、アフリカ大戦では大規模な軍事侵攻を繰り返していた。このような国家がどんどん発展すればアフリカにも近代国家が生まれていくだろう。

オセアニア:そもそも独立地域なのか?

 オセアニアに関しては、そもそも独立地域として地政学的に扱うべきなのかも分からない。人類学的にはこの地域はユーラシアの文明が及ばなかった地域であり、オーストラロイドが主に暮らしていた。ただし、彼らの文明はあまりにも遅れていて、船を作れなかったため、ポリネシアやニュージーランドの先住民はモンゴロイドだ。
 
 オセアニアは人口も経済規模も最小だ。突出して強力な国はオーストラリアだが、それでも人口は2500万だ。オーストラリアとニュージーランドはいずれも地域のリーダー国として振舞っているが、地政学的に意味のある地域秩序は存在しない。とはいえこの地域は太平洋戦争で多くの戦闘が発生した地域である。基本的には東南アジアの延長と考えた方がいいかもしれない。

 アジアの地政学を考える際には東アジア・東南アジア・オセアニアはアジア太平洋地域としてひとまとめにされる時も多い。ここにしばしばインドが加えられる時もある。ロシアとトルコがしばしばヨーロッパに入れられたり入れられなかったりするように、インドやオーストラリアもアジアの勢力均衡に入れられたり入れられなかったりするのだろう。

 オーストラリア(およびニュージーランド)は地政学的に比較的安全だ。ユーラシアの強国から遠く離れているし、広大な領土と天然資源に恵まれている。オーストラリアにとっての安全保障は誰が海洋覇権を握っているかが全てだ。第二次世界大戦でイギリス海軍は日本海軍によって壊滅させられたので、オーストラリアは危機に陥った。幸い、現在は日本海軍を破ったアメリカ海軍が全世界の海洋を支配しているので、オーストラリアはアメリカと関係を結びさえすればよい。オーストラリアはアメリカの軍事行動に積極的に随伴している。典型的なバンドワゴニングだ。

 現在、オーストラリアに脅威をもたらしうる国は中国以外に存在しない。成長を続ける中国が西太平洋の制海権を奪取した場合、オーストラリアは困った事態になるだろう。ただ、第二次世界大戦時のイギリス海軍と違い、アメリカ海軍は遥かに強力な存在だ。したがって、中国海軍はオーストラリアに至るまでの台湾・フィリピン・インドネシアなどで足止めを食らい、オーストラリアは後方基地の役割を果たすだけだろう。

まとめ

 世界のいろいろな地域の地政学事情について今回は考えてみた。国家はグローバルな勢力均衡よりも目先の脅威を重んじるものだ。イギリスもそうだった。アメリカが躍進していることよりも、ヨーロッパ内部の事情の方が遥かに優先度が高かった。したがって、世界覇権を論じる前にまず地域覇権を論じるべきなのである。

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