見出し画像

「話を聞く」とは、相手の思考の整理を助ける行為

私は娘と会話をする時、
意識していることがあります。

それは
私の意見を先に言わない
ということです。

すごくシンプルな方法ですが、
これがすごく効果的なので、
今でも意識しています。


例えば娘が
「今回のテストがすごく悪かった」
という話をしてきたとします。

今までは私が
自分が思うこと
「こうするといいよ」と思うことを
先に話していました。

でも、今は
「そうなんだね」
と言った後は、娘が何か話をするまで待ちます。
そこで話が終わってしまったら、
「それで、どう思ったの?」
と、娘から話し出せるような言葉をかけます。

ずっと愚痴や言い訳ばかりだったとしても、
それが終わるまでずっと聞きます。
「そっかー」
「そうだよね」
と、ひたすら聞きます。

そうすると不思議なことに、
ある段階で、急に
「ま、そんなこと言ってても仕方ないけどね」
と、勝手に切り替わる瞬間が来ます。

そこからは、
「次はこうする」とか
「こうやらないとダメかも」と、
作戦や方針が次々と出てきます。

私がやる気を出させる言葉をかけなくても
自分で勝手にそうなってくれます。

私は観客状態なのですが、
それで大丈夫なんです。
話が始まりから終わりまで
完結するんです。

今までは
愚痴がしばらく続くと私に焦りが出てきて、
娘の気持ちを何とかプラスにもっていこうと
励ましてみたり
自分が思うもっと良さそうなやり方を
必死に長々と話していました。

でも、そのやり方はその場しのぎで、
効果的だったとは思っていません。

その時は娘のやる気が出たとしても
それが長く続いて
いい結果につながった過去は
存在しませんから。


親は心配のあまり
その子が道を通りやすいように
石をどけ
草を抜き
暗くなったらライトを照らして
準備万端にしてしまうのですが、
本当はそんなもの必要ないんですよね。

それはただの
自己満足に過ぎません。
「これだけの準備をしてあげた」と、
自分を安心させたいだけなんです。

やるかやらないかは
「その子のタイミング」でしかありません。

親のアドバイスが効いた時というのは
親がアドバイスをしたタイミングと
「その子のタイミング」が
たまたま合っていただけのことです。

親のおかげではありません。

子どもに必要以上にアドバイスをしそうになったら
私は自分にこういいます。

「ちょっと黙っててもらっていいですか?」



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?