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「褒める」は相手をコントロールする行為です

「褒める」は
指導者の使うテクニックです。

ひと昔ふた昔前の指導は
「怒鳴る」でした。
それが「褒める」になっただけで、
結局したいことは同じです。

相手を目標まで連れて行くための
テクニックのひとつです。

それを意識せずに
私達は昔から、そして今も
「褒める」を
通常の人間関係でも
使おうとしています。

無意識のうちに
相手をコントロールしようとしている
または、
コントロールされている
可能性があります。


大人しくて手のかからない、いい子


私は母親に

「赤ちゃんの頃から
おとなしくて手のかからない、いい子だった」

と、大人になってからも
ずっとそう言われていました。

だから、
・おとなしい=いい子
・手のかからない子=いい子

逆に
・騒がしい=悪い子
・手のかかる子=悪い子

が、ずっと私の常識になっていました。

でも、今は
「そうではない」
と知っています。

親側が
「そうしてくれたら楽」
というだけの話です。

私にとっての「いい」
ではありません。

親にとって「いい」
というだけなんです。


優しくて、いい子


旦那は
「優しくていい子」
と言われています。
彼の親戚の人達も口をそろえて
彼のことを「優しくていい子」と言います。

だから本人も「優しくあろう」と
意識しています。

でも私から見ていると
その人達は彼に、
「優しい人でいてもらおう」と
しているように見えました。

なぜなら、

優しい=頼みごとを断らない

優しい人であるということにしておけば、
頼みごとを断りにくいですからね。

実際彼は、
親戚の人達からの頼みごとを
よくこなしていました。


褒めるとは「役割の決めつけ」


他人を褒めるとき、
「自分にとって都合のいい」相手の部分を
褒めていませんか?

「みんなの意見をちゃんと聞いてあげられて優しいね」とか、
「あなたが作るとすごくキレイにできる、器用ね。」
とか言うのは、
ある意味、
勝手に「その人の役割」を
決めつけている行為とも言えます。

「みんなの意見を聞くのはあの人の役割」
「あの人は細かい作業を頼める人」
といった、褒める側の意図があります。

「優しい人」「器用な人」にしておくと
こちらの都合がいいということでしょう。

こちらの目的を果たすのに
その方が都合がいいのでしょう。

でも、本来は
「この人は人の話を聞ける優しい人」
「この人は細かい作業ができる器用な人」
と決めてしまう行為は
その人の個性や可能性に制限をかけていることにもなります。

本当はもっといろいろできるのに、
あなたの都合で
「こういう人」と言ってしまうと
本人もそんな自分が求められていると感じて、
そういう役割の人になろうとしてしまいます。

その関係性は
「心地よい関係」とは言えません。


褒めるのではなく


親が子どもに「褒める」を使う時
特に有効なのはトイレトレーニングです。

ちゃんとトイレで出来たら
「すごーい!!」
「えらいね!」と
はじける笑顔でめちゃくちゃ褒める
という技をつかって
子どもにトイレですることを覚えさせていきます。

褒めるというのは
こういう効果を持っている
ということです。

親はもちろん指導者ではありません。

指導者とは、
お金をもらって
指導をお願いされた場合に初めて、
その立場をとれるのではないでしょうか。

つまり、
通常の人間関係においては
指導者と言う立場の人は存在しません。

であるのならば、
私達はお互いに褒めるのではなく、
「これをしてもらって嬉しかった」
「ありがとう」
などの、自分の気持ちを伝えること

大切なのではないでしょうか。

相手の役割をわざわざ
あなたが決める必要はありません。

そして、大人であれば
褒められに行かないことも大切です。

それは、
コントロールされに行くようなものですから。

褒めてもらわなくても大丈夫です。

私たちは
「わたしである」
ということだけで、
じゅうぶん価値があるのですから。


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