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【ギフトシネマ会員インタビューvol.3】仲嶺 都子さま

途上国の子ども達に映画を届けるNPO法人World Theater Project(以下、WTP)は、団体発足以来、多くの方々に支えられ活動を続けてまいりました。
どのような方達がどのような想いで支えてくださっているのか。 活動を支えてくださる大きな存在である「ギフトシネマ会員」の皆さまに、お話を伺っていければと思います。
第3回目のゲストは、仲嶺 都子(なかみね・みやこ)さん。
沖縄で生まれ育ち、ハリー・ポッターに憧れてイギリス留学をしたという仲嶺さん。仲嶺さんがWTPへの支援を決めてくださった背景には、ご家族と映画の大切な思い出がありました。

(聞き手:教来石小織、取材日:2023年7月20日)

日本茶を世界へ。無知の先にあった試練

―仲嶺さん、今日はありがとうございます。まず始めに、仲嶺さんのお仕事について教えてください。

都内のIT関連企業で、組織開発領域での新規事業の立ち上げを担当しています。社員は少人数で、自由な社風の会社です。社長が社員のやりたいことを応援してくれるという恵まれた環境にいまして、私は日本茶が好きなのですが、仕事の傍ら日本茶を海外に販売する会社を個人で経営しています。

仲嶺さんが立ち上げた海外向け日本茶ブランド"Tokyo Tea Central"

―日本茶を海外に向けて販売する。きっかけは何だったのでしょう?

2013年頃、海外に向けて日本のお菓子をパッケージにして売っていたんです。今は越境EC(海外の顧客がインターネットを介して、日本のECサイトで買い物をすること)が主流になりつつありますが、当時はあまりなくて、欧米のお客様によく買っていただいていました。

ある時、お客様から「日本茶は売っているか」と聞かれて売り始めたのですが、海外の日本茶好きの方は、マニアックなファンが多くて。日本茶って奥深くて、品種も100種類くらいあるんです。無知な時は勢いがあったのですが、いざ本格的に展開しようと思ったら、地面に叩きつけられました。お客様からの質問に答えられなくて挫折したんです。

―無知な時は勢いがある…。とてもわかります。山は登る前には簡単に登れそうに思えますもんね…。

一度は諦めかけたのですが、今また日本茶を世界に販売するために動きだしました。勉強なんて大学卒業以来ほとんどしていなかったのですが、日本茶インストラクターの資格を取ったんです。最初は独学で勉強していたのですが、独学では絶対受からないと言われて、通信講座を受けました。

ほんとに難しくて。お茶屋さんでも音を上げるレベルなのです。この生葉を何分蒸したら何グラムできますかみたいな数学の問題が出た時はパニックになりました(笑)。試験は一年に一回なのですが、二回落ちて、三年目にやっと受かりました。

日本茶とアフガニスタンのお茶の淹れ方の違いについて
イベントでデモンストレーションする仲嶺さん

それまでは日本茶に携わっているのに日本茶のことを知らない自分だったり、日本茶業界の方に認められないことへのコンプレックスがありました。合格後に、静岡の日本茶専門店から「今年修行に来てみませんか」とお誘いいただき、やっと認めてもらえたことをとても嬉しく感じました。

人々の暮らしのために貢献した祖先

―すごいです。普通は挫折してそのままという人が多いと思いますが、仲嶺さんは三年もかけて勉強して這い上がりました。仲嶺さんの強さの源には、サツマイモや砂糖の作り方を琉球各地に広めた仲嶺さんの祖先、儀間真常(ぎま・しんじょう)のDNAを感じます。

やめてください(笑)。儀間真常が祖先というのは、ずっとコンプレックスだったんです。儀間真常は琉球の五偉人として教科書にも載るような人で、沖縄の人は皆知っている人物です。

小学生の時、「祖先はこの人だよ」と、両親から聞いたことを何気なく言ったら、同級生の男の子に「おまえなんかが、そんなわけないだろ」と、とてもバカにされました。恥ずかしくなってしまって、そんなことを教えた両親を恨んだほどです(笑)。それ以来ほとんど周りには言わずにきたんです。

幼少時の仲嶺さん(写真:手前左)とご家族

でも今は、儀間真常のような、人々の暮らしのために貢献した人が祖先にいることに勇気をもらえるし、どこかで支えになっている気がします。儀間真常からは「おまえなんか子孫にそぐわないぞ」と思われてるかもしれませんが(笑)。

―子孫が立派に育って喜ばれていると思います。サツマイモを琉球各地に広めた人の子孫が、日本茶を世界に広めようとしていることに何か宿命を感じます。さて、そんな仲嶺さんが、WTPに支援をしようと思った理由ってなんだったのでしょう?

WTPさんを知ったのは2016年にパディントンにでてくるスコーンを作って食べるイベントに参加した時でした。パディントンが好きで、お菓子作りが好きだったので、単純にスコーン作ってみたいな、食べたいなという気持ちで参加しました。

お菓子作りが趣味だという仲嶺さん製作のクリスマスケーキ
お菓子作りだけでなく料理の腕前もピカイチ

参加してみて、主催がWTPさんだということを知りました。途上国の子ども達に映画を届けているという活動内容を知って驚いたのを覚えています。

イギリスで感じた家族への想い

―パディントンが好きで、同じイギリスの作品、ハリー・ポッターも好きなんですよね。

そうですね。初めて外国から取り寄せてでも読みたいと思って、実際に取り寄せて英語で読んだ最初の本がハリー・ポッターでした。ハリー・ポッターの世界に憧れて、イギリスに行ってみたいと思い、高校の時に交換留学でイギリスに行きました。本や映画には、そんな風に人を動かす力があるのではと思います。

イギリスはどこもかしこもハリー・ポッターのホグワーツのような風景が広がっているんだと想像して行きましたが、あまりの違いに絶句しました。当たり前ですよね(笑)。

イギリスのお祭りにて

ホームステイ先は都市から離れていて、家の裏には大きな森があるような場所でしたが、通う学校は都市にある、ハイソな女子高で、家と学校のギャップに毎日びっくりしていました。ホストファミリーのパパはよく家にいて、定職についていませんでした。当時は自分の父が毎日仕事に行くのが普通で、みんなそうしているはずだ、という思い込みもあったので、それだけで衝撃的で、刺激的な毎日でした。

留学した当時は反抗期で親に逆らったりしていたのですが、「何もできないくせに気だけは強い自分はやばいな」とか、いかに自分が恵まれていた環境にいたかがわかって、両親への感謝の気持ちが募りました。お父さん、給料を毎月家に入れてくれてありがとうと思いました。

もちろんホームステイ中は楽しい思い出もたくさんあって。当時は『千と千尋の神隠し』がアカデミー賞を取った頃だったのですが、クリスマスに英語版のDVDをホストファミリーにプレゼントしたらとても喜ばれて。みんなで鑑賞したのは良い思い出です。映画は言葉の違いを凌駕して楽しめるものだなと思いました。

映画館に行くことに付随する
すべてのことが幸せだった

お父さん、給料を毎月家に入れてくれてありがとう」に笑ってしまいました。

父は公務員で、平日毎日働くのとは別に、土日にライフワークとして高校野球の審判員をしていました。毎日家にいなくて家族サービスできていないことに、少し罪悪感を感じていたのだと思います。審判員の仕事から帰ったら、家族に「映画館行くぞ」と声をかけてくれるんです。審判をした後で疲れているだろうに、映画館に連れて行ってくれるんです。

父はよく、「沖縄が返還される前は1ドルで映画に行けてオムライスが食べられたんだ」と楽しげに話していて、父にとって映画館に行くということはハッピーなことで、だから家族を連れて映画館に行ったんだと思います。

どんな時も応援し、味方でいてくれたご両親と

家族と映画館に行くのは私にとっても、とてもハッピーなことでした。家から車で30分くらいの場所にある北谷(ちゃたん)という、アメリカっぽい雰囲気の場所にある映画館まで行くのですが、事前に妹と一緒に新聞でどの映画を観たいか調べて。これだとお父さんとお母さん寝ちゃうかもねとキャッキャッと話して。映画館ではポップコーンを食べて、帰りにブルーシールアイスクリームを食べたり、本屋さんに行った後夕飯を食べたり。

そういう、映画館に行くことに付随する全てのことが幸せでした。大切な時間でした。

映画の内容は覚えていなくても、その時過ごした人のことや話したことは覚えているんです。『ベイブ』を観た後、「ブタを飼いたい」と話したとか、『ジュラシックパーク』を見た時に母がびっくりし過ぎて叫んだとか(笑)。

みんなで観る映画っていいなと心から思っています。だからかもしれません。WTPさんを心から応援したいと思ったのは。

ありがとうございます(泣)。最後に、仲嶺さんの今の夢はなんでしょう?

引き続き日本茶を海外に広めていきたいです。それからもう一つ。私はWTPさんからたくさん勇気をもらってきました。カンボジアで移動映画館をやるって、簡単なことではなかったと思うんです。でも小さなところから始まって、どんどん広げていった。そういう姿から勇気をもらっているんです。

月に1回、WTPさんから寄付決済メールが届くのですが、実はそのメールを見ると、「頑張らないと」と思うんです。いろいろあって腐りそうになった時も、「廃れないでいよう、腐らないでいよう」と自分を呼び戻せる対象なんです。私にとってそういう対象は希少です。

何か問題にぶつかった時は、自分が見たい世界、叶えたい世界ってなんだろうと考えるんです。その時に浮かぶのは、WTPさんだったりします。
私がWTPさんや儀間真常から勇気や希望をもらってきたように、誰かにとってそういう存在になることが、私の夢で、目標です。


MIYAKO NAKAMINE
株式会社ユリーカ代表
沖縄生まれ、沖縄育ち
日本茶を世界に広めるために奮闘中
好きな映画は『シェフ 三ツ星フードトラックはじめました』


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