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最後まで一緒に

どうしてお母さんはいなくなったんだろう。
どうして死んじゃったんだろう。

浅い眠りから目を覚ます度に
どうして、がやって来る。

お母さんは癌になったから死んだ。
癌になっても、手術してたら生きたかもしれなかった。
そうしたい気持ちはすごくすごく大きかったけれど、癌について医療について学べば学ぶほど
「ただ切る」ことが恐ろしくなっていった。

リスクがありすぎて、でも助かる可能性はそこにしかなかったから、わたしの中でもずっと答えのない問いだった。

わたしは決められない。
お母さんが切って、生きる可能性に賭けるならそれもまた正解だ。
そんな風に話した。母は切らないと言った。
何度も何度も話し合った。
でも二人ともどうやっても、切る道を選ぶことは出来なかった。結局。

母は癌になったから死んだ。
そして手術を選ばなかったから、余命が短くなったのかもしれないし、そうでないのかもしれない。

癌を予防できると言う人も、それは無理だと言う人もいる。
でも母は、大分健康な、大分幸せな
暮らしを生きていたと思う。
癌の原因みたいなものがあったとして
それを追求したいとは思わない。

ある日降って湧いたように
母は癌になり
わたしと一緒に悩み考え
選択した道を歩んだ。

そして、亡くなった。

そうか。
だから、お母さんはいないのか。
そんな風に思う。
母以外で言えば、わたしはすごく当事者なのだ。

でももう、ほとんど記憶がない。
気づいたら、母がいない。
本当にそうらしいのだ。

こうやって書いてはじめて
ああ、それでお母さんはいないんだとわかる。

癌になる前、癌になってからも
沢山沢山遊んだ。
喋って、出かけて、食べて
歌って、笑って、ハグして。

ちゃんと一緒に生きてきて
ちゃんと一緒に死んだんだ。

本当は死ぬ時も一緒にしてあげたかったけれど
わたしには大切な旦那さんがいるから
そうはいかなかったみたい。

お母さんと一緒に半分死んだ。
そう思うと、少し笑うことが出来る。

お母さんをひとりに
したはずはなかったから。
記憶がなくても、それは確かなんだ。

最後まで一緒だったのなら
明日を考えてゆけるかもしれない。

それが宮沢賢治が
「銀河鉄道の夜」でやろうとしたことなのかな。
ジョバンニとカムパネルラを
物語の中で最後まで一緒にいさせることで
賢治もまたトシのいない現実を
生きてゆこうとしていたのかもしれない。

カムパネルラ。
ぼくたちしっかりやろうね。

別々じゃない。
一緒に、生きてゆくのだ。

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