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ひとりの人間に戻る旅《23秋ひとり旅2.0》

今回は荷物を減らすため、旅に持って行く本はkindleに限定。行きの新幹線のなかで、『漱石の「不愉快」―英文学研究と文明開化』という本を読み始めました。

吾々が四五十年前始めてつかつた、また今でも接触を避ける訳に行かないかの西洋の開化といふものは我々よりも数十倍労力節約の機関を有する開化で、また我々よりも数十倍娯楽道楽の方面に積極的に活力を使用し得る方法を具備した開化である、粗末な説明ではあるが、つまり我々が内発的に展開して十の複雑の程度に開化を漕ぎつけた折も折、図らざる天の一方から急に二十三十の複雑の程度に進んだ開化が現はれて俄然として我等に打つて懸つたのである、この圧迫によつて吾人ごじんはやむを得ず不自然な発展を余儀なくされるのであるから、今の日本の開化は地道にのそり〳〵と歩くのでなくつて、やつと気合を懸けてはぴよい〳〵と飛んで行くのである。

『漱石の「不愉快」―英文学研究と文明開化』(小林章夫著、PHP研究所、1998年)

「漱石が生きた時代においては、明治維新以後の西洋の文物の圧倒的影響はただならぬものがあった」といいます。

近代化は人間社会がいや応もなく進む道であって、およそ文明が誕生して以来、この方向はあと戻りのきかないものとしてわれわれの前にあった。それが人間の生活の本当の意味での豊かさ、幸福に結びつかないとしても、われわれにはどうするすべもない。そのことを漱石は「開化の産んだ一大パラドックス」と呼ぶのである。この文明の冷厳な逆説を明快に説き明かしたことが、漱石の文明論の真骨頂であり、またそれこそが彼の「不愉快」の根源にあるものであった。

『漱石の「不愉快」―英文学研究と文明開化』(小林章夫著、PHP研究所、1998年)

英国留学中に神経衰弱にもなったという漱石。その不愉快の根源が、朝ドラ『らんまん』でも描かれていた文明開化にあったとは。電車で読みながら、興味深く思った箇所にマーカーを引き引き、旧古河邸に向かいました。

厚いセーターでは汗ばむような季節外れの陽気のなか、上中里駅で降りてゆるやかな坂を上り、徒歩10分弱。立派な門構えのなかに古河の名を冠した邸宅と庭園がありました。

庭園から見上げた旧古河邸

ジョサイア・コンドルが設計し、1917(大正6)年に完成したそうです。この日は週末だったため、ガイドツアーは定員いっぱいで申し込みができませんでしたが、邸宅の各部屋に置かれた説明のボードに簡単なガイド音声を聞けるQRコードがあり、スマホ+イヤホンでそれを聞きながら室内を見学できました。

私は小説などに出てくる建物やインテリアの描写を訳すのが苦手なのですが、その理由のひとつは西洋の家具や家の造りを見慣れていないために、書かれているものを具体的にイメージできないからなんだろうな、と古河邸の部屋を巡りながら思いました。知らないものは訳せないので、今回洋館の一例を実際に見られてよかったです。マントルピースや階段の手すり、天井を飾る精微なレリーフ、木製のドアノブや戸当たりなどの美しさを知ることができました。

和洋の調和が図られている点が古河邸の特徴だそうで、2階(ツアーでのみ見学可)には仏間や和室の客間もありました。階段を上った先、正面にあるのは主寝室。和室も備えたこの洋館で、西洋風の装いをまとった古河家3代目当主・虎之助とその家族はどんな暮らしをしていたのでしょうか。

戸当たりなど細かいところまで見学していたために予定より時間がかかり、次に向かう「やまと絵」展の入場時間が迫っていました。庭園で見頃を迎えていたバラの写真を大急ぎで撮り、その華やかな甘い香りを一瞬吸い込んで、紅葉に後ろ髪を引かれながら駅に向かいました。

ちょうど満開だった秋バラ。

東京国立博物館の平成館で行われていた「やまと絵」展は、土日祝日のみ事前予約制。鶯谷駅からの道も急ぎ、予約時間枠の締め切りぎりぎりに間に合いました。

国立博物館の敷地内に入ったところ。平成館はさらにこの奥。

ちょうどこの前週に日曜美術館で特集されていたためもあってか、事前予約制で入場人数がコントロールされているにもかかわらず、館内は大変なにぎわいでした。俳優の夏木マリさんとフリーアナウンサーの石澤典夫さんによる音声ガイドを聞きながら回りました。

今回の展示は、平安から江戸時代までの国宝または重要文化財に指定された絵巻物や屏風絵が中心でした。授業や国語の便覧で目にした記憶がある『源氏物語絵巻』、『百鬼夜行絵巻』、『鳥獣戯画』などもありました。横に長い絵巻物の展示が多かったため、どの作品を見るにもガラスケースの前で長い列に並んで少しずつ進んでいかねばなりませんでしたが、「何百年も前に描かれた本物を見ている」という感慨は深いものがありました。

屏風にはコジュケイ、ヤマガラ、オシドリなど現代の日本でも観察できる野鳥が遊び、現代でも身近な植物が描かれていました。生活様式は変わったけれど、数百年前の日本人も私たちと同じ花鳥風月を見て絵のなかに記録していたのだと思うと、なんだか不思議な気持ちがしました。

2つの展示会場のあいだに位置していたグッズ販売コーナーも充実していて、かわいく実用的な商品ばかりで選びがいがありました。

選び抜いてきたクリアファイル、ブックカバー、しおり。
ブックカバーの小鳥は、『浜松図屏風』に描かれているもの。

もともと日本の絵画の歴史にくわしいわけではなかったので、偶然夫が持っていた『マンガでわかる「日本絵画」の見かた:美術展がもっと愉しくなる!』という本で事前に軽く通史をおさらいしておいたのがとても役に立ちました。この本に出ていた『日月山水図屏風』も、実際に展示されていました。

冒頭の漱石に関する本を読み、文明開化と当時の日本について思いを巡らせていましたが、日本に入ってきた西洋文化とそれ以前の日本美術の双方の実物と接する機会を旅の2日目に得られたことに、不思議な偶然を感じました。


新幹線に乗り込み、きれいな半月がついてくるのを眺めながら、自分のペースで自分の好きなものを味わいつくした旅を反芻しました。自分にしみついた母・妻・翻訳者というすべての役割がはがれ落ち、産後初めて素の自分に戻った1泊2日でした。母であることも妻であることも自分が望んだことであり、翻訳も自分が選んだ仕事ではありますが、こうしてあらゆる役割をいったん脇に置いてひとりの人間に戻る時間は、やっぱり生きていくうえで必要なものだと感じました。家族の待つ街に新幹線で向かうにつれ、その日の夕飯を検討し、帰った後の段取りを考えて、少しずつ母に、妻に戻っていきました。


[追記]
旅0.0(準備編)はこちら。

旅1.0(1日目①)はこちら。

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