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ファザコン卒業した話

「私はファザコンです!」

という言葉を聞いて、

あぁ・・・こいつ、思春期でもパパと一緒にお風呂入るタイプね・・・

と思う方もいるかもしれませんが、

そもそも「ファザコン」は

father+complexの和製英語。

Complexとは・・・英語だと「複雑な」という形容詞。

日本語的によく使われる「コンプレックス」は
ある物事における劣等感・抑圧された気持ちや
苦手意識などを指すことが多いです。

今回私がお話しする「ファザコン」は
まさにそれ。

私は決して父親と仲良し!大好き!
・・・・という関係ではなく、

どうすれば父に愛されるのか、
認めてもらえるのか、
という根深いコンプレックスをもっていました。

そのコンプレックスを15年近くかけて脱却して
無事、卒業することができました。

そんなお話しをしていきます。

まずはコンプレックスになった経緯から。

小4、ディズニー事件

我が家の家族構成は
父・母・私・3つ下の妹

父は仕事人間で幼い頃から
ほとんど家にいなかったです。
(土日もなく、週6~7で働いていたように見えた)
母は専業主婦。

普段は家にいないけれど
たまの休みは公園に連れて行ってくれたり、
みんなで野球観戦にいったり、
クリスマスパーティーもやったり、

子どもながらに
「幸せな家庭だ」「恵まれている」と
そう感じていました。

ところがどっこい
小4の冬。私は10才。

毎年恒例の家族で
ディズニーランドへのお出かけ
の帰り道、

車内で父にこう言われたんです。

全然はしゃいでくれないから、
連れてくる甲斐がねぇなぁ

私は毎年、
この家族ディズニーを
すっごく楽しみにしていました。

確かに「キャー!!ミッキー!!!!」
みたいな
はしゃぎ方はしていないけど
めちゃくちゃ楽しかったのを覚えています。

10才の女の子って自分で言うのもなんだけど
意外とませてるんだよね。
はしゃぐ男児たちを横目に、しっとりと
ディズニーを堪能している可能性もあるのよ。

父のそんな言葉に対して
「そんなことないよ」とは言ったものの
あまりのショックでその先の言葉が出ず・・・
車内は沈黙。

その年以降、
家族でディズニーに行くことはありませんでした(悲しすぎません?)

小学校高学年で父との関係性は大きく変わる

上記のディズニー事件以降、
なんとなく父と私の間には
溝ができてしまった。

相変わらず家にはほぼいない父に対して、
多感な時期の娘が懐くはずもなく。

時々顔を合わせば

「部屋を片付けろ」「リビングで遊ぶな」「勉強しろ」

・・・と言われ。

小学生なので「親に言われる事あるある」なんですけどね。
たまに口を開いた時に言うのがそれか?
学校はどうだとか、週末どこかへ行こうだとか、
そんな話は一切しないのか?

どんどん私の中で
父に対する苦手意識が高まります。

だけど、やっぱり子ども。
親に褒めてもらいたいと
どうしても思ってしまうのです。

高学年にもなると、テストも難しくなったり、
委員会などの責任ある
役割をもつようになったり、

そういったことに関して
一生懸命がんばれば
きっと褒めてくれる!と期待して
とある日、
100点のテストを持って帰ります。

私「今日返ってきたテスト、満点だったんだけど学年で私だけなんだって!」

そのときに父に言われたセリフがこちら。

父「そんなこと自慢げに話すんじゃない」

OMG〜!

そんなこと言う親います?😂
悲しいね〜〜〜!

この時に、私が思ったのは
父うぜぇ〜〜〜ではなくて

なんか私、嫌われるようなことでもしたかな?

でした。
なんか気に障ることしたかな…。って。

それから私は

褒めてほしい、認めてほしい、
もっと普通に愛されたい。

そう思うようになり、
父に対するコンプレックスが
どんどん形成されていきます。

するとどうなるかと言うと

常に父の動きが気になるようになってくる。

帰ってくる音がわかる。

機嫌がいい時、悪い時がすぐわかる。

機嫌がいい時はそばにいて、
話せるチャンスを伺う。
(まぁ、話せないんだけど)

好きな野球チームが負けた日は
めちゃくちゃ機嫌悪いので
自室にこもるのが正解。
(物がとんできます)

父の様子をみて、
いい子に振る舞って、
どうすれば褒めてもらえるのか、
一緒に笑ってゲームしたり、
くだらない話をできるようになるのか。

そんなことばっかり考えてた。

ちなみに、この頃初めての
彼氏ができます。小5でした。

今思えば、家庭で不足してる愛情を
彼氏という存在で埋めてるとしか
思えませんね。

ちなみに母や妹は?

これね、母や妹がフォローいれてくれたり
父をコントロールしてくれれば
コンプレックスになるまでには
至らなかったと思うんですよ。

そう、家族全員、難あり。🤪笑

母は、仲は良かったですが
とてもマイペースで基本家族であっても
心配しない、褒めない、怒りもしない、
何をするにもめんどくさい。
自分で決めてが口癖。

父とのことには一切関与しませんし、
この人も私のことを褒めるってことをしないので
コンプレックスに拍車をかけています。

そして妹とは昔から相性が悪く、
決して仲がいいとは言えません。

私から見た妹は、賢くて、
立ち回りがうまくて、
父とも同時はマンガの貸し借りをしてたりして
なんで妹だけ…とまた、
コンプレックスにコンプレックスを重ねる形になっていきます。

そして、中学にあがるタイミングで
決定的な事件が起きます。

別居事件

中学にあがった入学式の日。

その日から、突然
父は家に帰って来なくなった。

母に聞くと

もうあんたの顔見たくないんだってさ

と言われた。

そこでやっと、
ああ・・・

私って、愛されてなかったんだな・・・。

と、ショックを受けつつも
なんだか腑に落ちた。

しかもね、

入学式の次の日は
私の誕生日でした。

お祝いも、当然なし。
母はケーキを買ってきてくれましたけどね。

というか、
父の本音を包み隠さず伝える母のことも
当時めちゃくちゃ恨みました。

ちなみに別居生活は
1か月くらいで終わりました。

なにをきっかけに帰ろうと思ったのかは
知りません。

夫婦仲は良い方なので、
母に悪いとでも思ったのでしょうか。

ますます、居心地の悪い私。

帰って来た時は、
お互い一歳会話していません。

中学~22才まで

そしてその後、
22才で家を出るまでの約10年弱
ほとんど父とは会話なし。

高校にあがったタイミングで
突然、「乗ってくか?」と言われ
時々学校まで車で送ってくれる日がありました。

たまたま、
父の職場のすぐ近くの高校に通っていたから
だとは思いますが

これまでの罪滅ぼしなのか、なんなのか。

車内で会話するわけでもなく。

…高校生にまでなってしまうとね

部活、友達、受験、彼氏・・・

親に拘らずに、
自分の中で拠り所を見つけられるんだよ。

もう、父がなにをしても
私の心には響くことはなかった。


どんなに良いことをしようと
してくれてもね、
嫌なことばかり思い出すんです。

「あんなこと言われた」
「怒鳴られた時の声」
「別居したときのこと」

鎖のようにずっと私を縛り続ける。

私は今後も一生、
父に愛されたかったコンプレックスを
抱きながら
生きていかねばならないのか・・・と

高校時代はそんな鬱々とした
思いをしながら過ごし、

他にも要因はあったんだけど
不登校になってしまい、
進学校だったんだけど
大学進学も諦めて
18才は人生のどん底だった。
その時の話はまたいつか。

それからなんとか
専門学校を卒業して
就職。
実家を出ました。

特別父に見送られるでもなく、
離れて暮らしているうちに
少しずつ、

少しずつ、

父のことを考える時間が減ってきた。

でも時々
昔のことを思い出すと
胸が苦しくて、泣きたくなる。

このまま、
こんな歪んだ思いを持ち続けたくない。

そう思って、私はついに行動にでた。

人生初、父とのサシ飲み

25才で結婚をきめた私は

両家で顔合わせをした時
父が来てくれるか心配だったけれど

ちゃんと仕事の都合をつけ、
きてくれた。(今までなかったので驚き)

外面のいい父は、義両親と和気あいあいと
コミュニケーションをとってくれていた。

その姿を見て、

酒を交えれば私も父と会話できるのでは・・・?

と思い

思い切って

サシ飲みに誘ってみた・・・!


初めてLINEするので母親からLINEを聞き出し、
いざ、直接対決。

案外すんなり日程も決まり
いざ行かん。

そして当日

父はただのひとりの人だったと気づいた

久しぶりに一対一で会った父は
歳をとり、痩せたこともあって
なんだか小さく見えた。

初めはぎこちない感じだったけど
お酒を飲みながら
少しずつ昔話をしていく

私はこのサシ飲みで
当時のことをどう思っていたのか
謝る気持ちはないのか
などを問いただそうとしていた

でも、

対話をしていく中で
その気持ちは変わってしまった。

なぜなら

父も、ひとりの人間なんだなと
感じてしまったから。

父は25の時に私(第一子)が産まれ、
飛行機でしか帰れない田舎から
東京に出てきて
友達も、親も、兄弟もいない中
幼い私を営業車に乗せて仕事にでてたとか

そういった話しを
たんたんと、聞いていると

父は父なりに、
孤独さや不便さを感じていて

まあ、それを理由に
思春期の私を蔑ろにしたのは
許さないことだけど

私は私で、
『父』という理想像をつくりあげてしまっていたんだなと思いました。

父なら、褒めてくれるはず
父なら、気を利かせてこう言うはず

って。

もちろん、そうしてくれる親が
ベストではあるんだけど

私の父は、
父なりに父をやっていて
ただ
さまざまな環境や要因で
子どもの目から見たら
不器用で下手くそな父親なだけだった。

彼の当たり前が
私の当たり前ではなかった。

そう、父ではなくて
ひとりの人間なんだ。

って思うと
スッと気持ちが楽になった。

サシ飲みはそのまま
過去の話とか
結婚おめでとうとか
当たり障りない会話で終わった。

それから2人きりで会うことはないけど
1年に1回くらい、実家に遊びに行って
なんとなく話すくらいの関係性です。

今でも
『おい、孫の顔くらい見にこいよ(一度も来てない)』とか
思う節はあるけど

昔みたいに
そこに執着することはなく

ま、そういう人間だもんね。

って流せるようになりました。

そんなんでいいの!?


って両親と関係良好な友だちからは
言われるけど

私としては
過去に比べれば
十分OK!

私の心をざわつかせない、
コンプレックス解消になったのだから。

私、卒業おめでとう

10才のディズニー事件から
約15年間
ずっと父にコンプレックスを持っていた私は

・離れた所に暮らした
・思い切って自分から声をかけた
・自分も家庭をもって、大切な子どもたちができた

ことで

父に過度な期待をしなくなくなり、
無事、
「ファザコン」卒業
することができました。

子どもなんて、みんなマザコン・ファザコン

そう思った方が楽です。
愛されたいって思って当たり前。

でも、それを環境が許してくれない時、
自分でその環境を変えるのが一番いいです。

親・兄弟、
血がつながっていても
所詮他人。

嫌いになるとか、加害してやる!とか
そういうことではなくて

ひっそり離れて自分を守ってください。

時が解決するかもしれないし、
新しい出会いが待っているかもしれない。

でもそれができなくて一番大変なのは
家を出られない未成年だよね。

詳細は省くけど
上記の別居事件の直後くらいに、
家にもどこにも居場所がないと感じて
一度だけ線路に飛び込んだことがある。

結局こわくてすぐ逃げ出したけど
それくらい「家」しか帰れない時って
視野狭くなるし、
人生終わったって思うよね。

だから、周りの大人が
見ていてあげてほしいなって思うし、
可能な限りSOSを出してほしいなと思います。

ひとりでも、家庭に縛られずに
「マザコン」「ファザコン」から
卒業できる日が来ますように。

なんてカッコよく締めちゃうけど
15年かけて卒業できた
元ファザコンの体験noteでした。

おしまい。



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