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「放課後等デイサービスに四捨五入して約10年勤めての所感〜完〜」

「愛着障害がある子ども」が、「手強い子ども」のぶっちぎり第一位だとお伝えして、これで3日目になりました。
着地点が見えなくなりそうな予感がしてきたので、今宵こそ、「放課後等デイサービスに四捨五入して約10年勤めての所感」〜完結編〜としたいと思います。ちなみに、すずめの戸締まりも、ブレイキング童貞オーディション!も結局見ることができていません。寝ちゃって。大丈夫、今宵こそ完結させます。なんたって、明日は何の予定もない、ただの日曜日なので。今夜わて、余裕あるで。

「愛着障害がある子ども」とは、私なりに「ほしい愛情がもらえていない子ども」と定義づけていることも、お伝えして今日で3日目になっています。

ほしい愛情とは何。
ズボリ、子どもが不安なく安心してすごせるようになるための、実にいろいろなメッセージ、ではないでしょうか。

ミソとお伝えした、「ほしい愛情」とは、ただ単に与えたい一方通行の愛情の場合は含まれません。

つまりのクラシアン、パッと浮かぶ、虐待の類に入るような、毒親ということばがしっくりくるような、そんな態度はもちろんのこと、子どもの個性や、気持ちを度外視した、しつけが厳しい、期待が大きいなど、言いかえると非常に複雑で難解なことばになってしまいますが、スボリ、「子を従える育児」という、よかれと思ってやっちゃっているパターンも含まれてしまうのです。

印象でいうと、虐待、毒親の類は、幼少期から困りごとが多く、従えの類は、幼少期は違和感程度で、年齢が上がるにつれ、困りごとが増える感じを抱いています。

わての育児、どないなんやろ。
スボリ放任主義すぎやしないか。と不安を抱えながら、成長を見守っているところです。

まぁ、わてのことは、今回は引き出しにしまっておきます。

話を戻すと、やっかいなことに、これらの作用が脳の機能にも影響を与えてしまい、発達障害のような症状を呈するうえに、スボリ!アプローチがバリクソ難しいいいいいいんです。

愛情障害がある子どもは、対人関係においても非常に鬱々とした、ネチネチとした、あるいは刃物ちらつかせ系のような感じの、超絶ボディーブローを放ち続けます。

愛情形成は、いつからでも誰でも可能とのことですが、そんなこと、なかなかできるもんじゃないです。私の職場でも、知識人が「キーパーソンを作ろう」との提案をしましたが、担えない、そこまで担いたくない、というのが、お前ら支援者失格野郎の集まりかーっ!!!!!と怒鳴られようが、現場の本音です。(罪悪感はあります。ごめんね。)

ならば最も手強い子どもである、愛着障害がある子どもたちに、私たちは今何ができるのか。

認める、ほめる、受け止める、などのメッセージを送り続けるしかありません。
それでも、問題は解決されないまま人生を歩んでいくことになると思います。おそらくは、その子たちの親がそうだったように。

「子どものとき通ったあそこは、悪くなかった」そう思ってもらえる場所になる。

私たちの役割は、それに尽きると半ば敗北を認めながら、置かれた場所での使命を果たそうと思い、日々をすごしています。

〜完〜

【予告】
具体的なケースをそのうち記します。
「強度行動障害」について思うことをそのうち記します。

【クイズ】
この記事で私は、「ズボリ」って、何回言ったでしょ〜うか(๑˙❥˙๑)


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