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自分を守る

母親に、思春期のころ私が反発して言ったことばで、ボランティアで受け入れた外国人に悲しい思いをさせてしまったことを、そしてそれに何も言えなかったという母の思いを一方的に告げられた。
覚えてもいない何十年も昔の話を80代になってなお、昨日吐いたことばのように、そしてとても不意に突きつけられた。

私のことばは強くて、母は怖くなって何もいえない自分になってしまうと言う。

思春期、あの家で、強力な共依存関係の両親のもとで、どれだけしんどい日々を送っただろう。
しかも、そこには、家族でない第三者までいた。

両親は、学習塾と英語教室をやっていた。ネイティブの講師を呼んで、毎週末家に泊めていた。
両親の留学時代の友人が、長期滞在することもしばしば。
母は、いつもゲストのことを一番に考え、子どもは犠牲になった。
ゲストがいても、自分の子どもも大事に考えてくれていたら、私の気持ちや態度も違っただろうと思う。
私は、自分の家なのに、安心できる居場所を持てなかった。


第三者もいる家庭の中で、何かがこじれ、一度、父が母に手を上げたことがあった。ゲストがそこに割り込んで、さらにややこしいことになり、兄が言っても収まらず、私が出ていき、父に出ていってよと言った。
母の味方をしたと思われるのは嫌だった。事を収めるために、大好きな父に、言うしかなかった。
わたしは、すぐまた自分の部屋に駆け戻り、鍵を閉めて、布団にもぐって耳をふさいでいた。
ゲストが、私の部屋にやってきて、私の名前を何度も呼んだけど、私は鍵を開けなかった。


しんどいことは、数え切れないほどあったけど、私の気持ちを聴いてくれる大人はいなかった。
私は、自分の感情に鈍くなり、悲しいときに悲しいと泣くことができなかった。
直前まで泣いていても、ゲストと写真を撮るから降りてこいと言われれば、赤い目でカメラに笑った顔を作った。
悲しくて泣くんじゃなくて、時々ガスを抜くように、ヘラヘラと涙を流した。

今回の出来事で、思春期の実家で過ごしたしんどかったころの気持ちを思い出してしまった。

今はちょっと、母とは話せない。

母は、私のことを一番に可愛がってきたのにわかってくれなくて困ったねえ。そのことを考えてたら、昨日は眠れなかったよ、とメールを送ってきた。

母は、私のことを傷つけておいて、自分の気持ちがわかってもらえないから不満のようだ。
いつも自分の気持ちの心配をして、いつも自分に愛情がほしいと要求する病気だ。

今は、気分が悪い。
すこし回復するまで、時間が要る。
自分を大事に、守らなくては。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
どうぞよい一日をお過ごしください。


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