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自己肯定感と承認欲求

家庭環境と自尊心はとても関係性は高いと思う。まずは家庭が1番最初のコミュニティだし基本的なルールというかサンプルはまず生まれ育った環境なのだから。どこに生まれても一緒ではない。NYのど真ん中に生まれるのと草原のど真ん中では明らかに情報の量や景色が違いすぎるけど最終的には自分がどう生きていくかと何に自分の幸せを感じるかなのだ。

良いか悪いか
幸せなのかそうじゃないのか
自分主体なのか客観的なのか

それは全部関連しないし
どれだけ自立するのか
どれだけ自分の人生を満喫するのかだと思う。
先日某所で
『生まれてくるの早かったなと思ったりしません?』
と新しい質問をされた。一瞬どう言う意味かホントに解らなくて聞き返したんだけどw考え方とか社会とかがちょっとマッチしないという意味ですとのこと。むしろ私は今まであと10年早く生まれた方がよかったと思う事が多かった。大好きな80年代をしっかり体験したかったし仲良くなるのはその時代を知る人達だし何よりもあと10年早く生まれたら父と10年長く一緒に過ごせたのになと。たらればなので強くは思わないけど全ては私のモノと思ってるので1981年の雪が降る朝に生まれた事は最初のギフトだと思ってる。さておき父はとにかく、とにかく、褒めない昭和な人だった。何をしても褒めない。そして圧倒的なすごさを1番近くで見せつけるもはや教祖のような人だった。この人には何も敵わない。というのをずっと感じる父だった。褒められないと自己肯定感は下がるしモチベーションはなくなる。承認欲求が出てこないぐらいの自己評価の低下はその後の私の『すごいでしょ!』というのは一体何が?何がどうすごいの?すごいって何?というスゴイ!の魔法にはかからないメリットと拗らせの一因になった気がする。そして外部からの父の評価のスゴイ父が私の中ではどうしても素直に受け取れなかったのは私が娘だったからなのかそれとも何者でもないけどただ、ただ、私の大好きなパパ♡のシーンが少しばかり少なかったからなのか。もっとも私もきっと父の最愛の娘でいるシーンがあったかどうかは謎である。少々イビツな家庭環境だったけど私は産みの母以上にハハだと感じる人や兄弟や親族や友人にとても恵まれかつての恋人達には愛を注ぎ注がれやっと熟女にさしかかったあたりから思春期を抜け出せた気がする。何かにいつも怒りを感じるようなパンクな思春期と生まれた時からの反抗期を終えて

わりといつも機嫌の良い熟女

にやっとなれました♪いつも機嫌がよいと機嫌の良い人が集まるし自己完結できる。自分の機嫌は自分でとれるし楽しい。そうなると非常に生きやすい。どんな場所でも窮屈さや退屈を感じなく楽しめるようになる。気になるところよりも良いところから目に入るようになりその時の最適解までショートカット出来るようになるし楽しむ選択肢が無限にある事がわかる。だいたいの事は自分の人生には1ミリも関係ないし宇宙からみたらどうでもいいし♪ぐらいのスタンスだと毎日の就寝時にはリセット出来て新しい朝には新しい自分にで会える。
私が機嫌がよい理由はむやみやたらに他人に首を突っ込まないというのが1番かもしれない。
最適解の導き方はたくさんある。
私が大事にしているのは
最善を尽くす事
勇敢でいる事
継続する事
自分のインスピレーション♪
自分が決めるのだ。誰かに任せたりするような人任せにはしたくないのよ。だって自分の人生でしょ♡
さてさて、今日は夕方5時からだと思ってたらまさかの15時だったという超初歩的なミスがあってヒヤヒヤ。。。さてさていってきますー

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