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忘れっぽい天使

谷川俊太郎さんの「クレーの天使」(講談社)の表紙にもいる、
Vergesslicher Engel『忘れっぽい天使』。 

クレーの天使の中で一番好きなこの天使のポスターを、
気に入った色の木枠で、額装してもらいました。
そして、いつも私をみていてもらうのです。


忘れっぽい天使、という詩。

「ああ、そうだったのか。」

と、他界する前にふに落ちる瞬間・・・。
4年半も昏睡状態にあった母と、毎日一緒にいたけれど、
母は、何かを感じた瞬間があったのだろうか?とふと考えます。

忘れっぽい天使
                   谷川俊太郎 

くりかえすこと
くりかえしくりかえすこと
そこにあらわれてくるものにささえられ
きえていくものにいらだって
いきてきた

わすれっぽいてんしがともだち
かれはほほえみながらうらぎり

すぐそよかぜにまぎれてしまううたで
なぐさめる

ああ そうだったのかと
すべてがふにおちて
しんでゆくことができるだろうか

さわやかなあきらめのうちに
あるはれたあさ
ありたちはきぜわしくゆききし
かなたのうみでいるかどもははねまわる

ありは、アートセラピー、ドリームセラピーでは、多忙や目標のために個人の個性を失うもの、と解釈します。
いるかは、幸運のシンボル。楽しげな、美しい自分の側面。人間関係で心配することはなくなる、という意味もあります。

ありが人間社会の営み、かなたのいるかがあの世での幸運であると、私なりの解釈をするならば、天国で解き放たれることを想像して、救われた気持ちになります。

思えば、「管に繋がれて生きるのは嫌だ。」と言っていた母が昏睡状態になった時、「どうか、生きてほしい。」と強く願い、執着をもったのは私の方でした。
倒れた時に手術などせず逝かせてあげられたなら、母はずっと楽だったのではないか・・・。
私のために、長い期間をかけてお別れへの気持ちの準備をさせてくれたのではないか。常に後悔と申し訳なさで自分を責めていました。

脳卒中で倒れ、運ばれた病院では、
「30分以内に手術をするかどうかを決めてください。それがタイムリミットです。回復しても、どこかに麻痺が残ります。植物状態になり寝たきりになる場合もあります。医療費も介護への決意も必要になります。手術を決断されないご家族もおられます。」
そう告げられて、父が他界後の我が家では、私が手術を決めたのでした。
どのような姿でもいい。生きていて!
母は、まだ56歳だったのです。
しかし、それが正しい選択だったのかどうか、植物状態になってしまった母に寄り添い、考えることになってしまいました。

「手術を決断したあなたは勇気があったのだよ。植物状態になったのはあなたのせいではない。患者さんが手術の後でどうなるかは、医者の僕らもわからない。
だから、自分を責めてはいけないよ。」

主治医の先生が言ってくださっても、朝から晩まで病院のベッドのそばで話しかけたり、音楽を耳に当てたり、足を揉んだり・・・。リハビリになることは、なんでもやりました。

いつか、目を開けてくれる、と信じて。

家に連れ帰りたい、と申し出た時には、婦長さんが話に来てくれました。
「病院だって交代で看護をするのです。気管切開に胃ろうもあるのだから、無理ですよ。あなたが倒れたら、お母さんが悲しみますよ。」

私は、母の命に執着していました。
死して尚、私の中に生きている母。死ぬことが終わりなのではない、とその時にはわからなかったのです。


父が他界した時、人工呼吸器を止める決断をしたのは、母と私でした。
人工呼吸器の音が止まり、
「ご臨終です。」
その響きは、事務的な冷たい感触として、私の中に残りました。
人が死んでいく実感を伴わないものだったのです。

その日、都内はめずらしく積もるほどの雪でした。
晴れた日でなくて、よかった。
私が人工呼吸器を止めた・・・。命を、止めた。
それで、終わり。
雪が降りしきる中なら、なぜか、泣いても許されるような気がしました。

脳死と判定された以上、父の回復は見込めませんでした。
だからこそ、母には可能性があるなら、と迷わず手術をする選択をしました。
そして、混沌とした日々が続きました。
母の耳元で思い出話をしました。聞こえていたかどうかはわからないけれど。

母の最期には、涙が出ませんでした。
「充分頑張ってくれて、ありがとう。」という言葉が出ました。

長く病院にいると、仲良くしてくださった入院中の方が危篤になるのは日常でした。
心配で私の顔が強張っていると、回診にきた年配の先生がニッコリと話しかけてくれたものです。
「大丈夫。今、苦しそうに見えるでしょう。でも、もうお花畑にいて気持ちの良い状態にいるんだよ。僕はね、何人もの患者さんに聞いたんだ。誰かの声で意識が戻る前、気持ちが良いお花畑にいたんだ、って。」
先生は、私を見かねてそう言ってくださったのかも知れません。
そうだとしても、死の先の世界を思うと、最期は最後ではないとしたら・・・と、
救われる気持ちになったものです。

今住んでいる世界がせわしない日常であるなら、夢のようにキラキラと水しぶきを上げて跳ね回る、いるかのいる天国へ。
死というものへの恐怖が、少しやすらぎました。
天使が、また皆さんに会わせてくれるはずです。
死を前に、私に優しくしてくれた方々に。


同じ「クレーの天使」の中の
「天使、まだ手探りしてる」という詩には、

わたしにはみえないものを
てんしがみてくれる
わたしにはさわれないところに
てんしはさわってくれる

とあります。
天使がいつもついていてくれると思ったら、
この世の出来事は必然であり偶然はないのだ、ということが信じられます。


「天使の岩」という詩の

うそをしらないから
てんしはほんとうもしらない

という一節は、純粋な方に会うと思い出します。
天使は、一つの真実しか知らないのですね。


「忘れっぽい天使」をはじめ、クレーの描く天使の人間っぽさと、
本質を鋭くついているのに、やさしく感じられる詩の数々。
ことあるごとに開いては、その存在で癒されるのです。

さて、私があの世にいく時には、ふに落ちて、
「ああ、そうだったのか」といえるのか。
感染症の流行で、まさか・・・という悲しい知らせがある中、

さわやかなあきらめのうちに

という言葉を思い出し、「クレーの天使」を読み返しました。



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