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コンサータ飲んで自分の生きづらさに気付いた話

初めまして。つきみです。

初めてNote書きます。
とりあえず思ったことを走り書きしただけなので読みにくかったらごめんなさい。


自身のスペックと困りごと

ADHD傾向を自覚していたものの、クローズで入社するも1年でクビに。
そこでやっと医者から軽度のADHDと診断され、コンサータ25mgとストラテラ80mgを飲んでいる。
現在はコンサータ飲み始めて2週間くらい。
WAISの数値は言語理解>作業記憶>>>処理速度>知覚統合で、視覚認知が弱く不注意な傾向がある。
しかし軽度というだけあって、臨機応変をやたらに求められない限りはなんとか仕事そのものはできていた。(実際はそうではないかもしれないが)


私ができなくて1番困っていたこと


私はパフォーマンスの維持ができなかった。
実は最近までその困りごとには気づけていなかった。(詳しくは後述に)

思えば学生時代も月に3、4回休んだりするサボり癖があったり、毎日退屈な授業を受けるのが嫌で不登校になったりした過去がある。
そして学業の成績は決して悪くはなく、不登校になっても単位が取得できる程度には出席し留年回避したことによって、親や先生からは「やればできる子」、もしくは「やればできるのにやらない子」として認識されていた。


サボり癖やパフォーマンスを維持できない理由はなんとなく体調か気分が優れなくてめんどくさくなってしまうからだ。
特に予定が立て込んだり、大きな予定(学校の文化祭など)があったりするとそういった謎の疲れが出たりしてサボってしまったりする。

また、初対面や知り合ったばかりの人に対して明るく振舞うが、そのテンションが長続きせず不愛想になったり一人になろうとすることもあった。
おかげで不思議ちゃんと呼ばれるなど変わった人扱いをされることが多かった。

ちなみに明るく振舞おうとする理由は、アダルトチルドレンの傾向もあって「明るくて完璧じゃないと愛されない」と強く思っていたからだ。
その振る舞いは価値観に対する過剰適応であり、きっととてつもなくしんどいものであった。
一応その傾向を自覚してからは、人目を気にしてテンションを上げすぎないようにすることで、多少は謎の疲れが緩和されてはいたがその工夫だけでは謎の疲れによるサボり癖が治らなかったのだ。

できなかったことを改善出来なかった結果

会社に入ってからもサボり癖は治らず、多いときは月に2,3回休んでしまっていた。
会社側からすれば勤怠が悪く、安定した仕事のできない社員は要らないということで1年で契約を切られてしまった。(当たり前のこと)

当時の自分は「自分なりに頑張っていたのに」という悔しい気持ちと「さすがに怠け過ぎたな」という2つの気持ちが両方あった。
その気持ちはどちらも間違いではなかったことをコンサータを飲んでから知ることになった。

実際にコンサータを飲んでみた

会社をクビになったおかげでようやくADHDと診断されて、服薬する事になった。
特にコンサータを飲んだときは衝撃を受けた。
今まで悩まされてきた謎の疲れが一気に消えたのだ。
例えば、最近今までの倍以上予定を詰めたり日常のルーチンを増やしたのにもかかわらず、自分がやるべき用事を謎の疲れによってサボることはほとんどなかった。
そのことでやっと、今まで悩まされてきたサボり癖は脳内物質の欠如のせいであり、人より脳みその体力が足りなかったせいなのだと気づかされたのだ。

人間が何かをするのには気力、意志力といった脳みその体力を使い、その脳みその体力はドーパミンやノルアドレナリンの量に左右されている。
ADHDはいずれの量も少ないため脳みその体力が少ない。

そして、私はアダルトチルドレンの傾向による完璧主義や過緊張で脳みその体力をかなり多く使っている。
つまり、少ない脳内物質量と消費の激しい精神によって常に疲労状態に陥りながらもサボり癖の改善と完璧な自分という理想の実現を図ろうとしていた。
結局その努力は報われず徒労に終わってしまった。

安定したパフォーマンスを出せないという生きづらさに気づかなかった。否、気づかないふりをしていた。
それは、愚直にも親や先生から言われた「やればできる子」だと自分も信じていたからだ。
だから病的なサボり癖に対しても「私はまだ本気を出していないだけ」と考えたり、
サボり癖を治したいと思いながらも状況が悪くならない程度にサボろうとする横着さを、「私は効率厨だから」とカッコつけた自称することでチンケな自己像を守り、認知的不協和を身勝手な解釈で解消して自分の理想も現実もを見つめ直すことをしなかった。

私は努力こそしていたが、自己像を見つめ直すことにおいてはとても怠慢であった。

本当の私は「できるフリをしてるだけのできない無能」だった。

「完璧じゃないと愛されない、つまり無能は愛されない」と考えていた私にとって、こういった本当の私に気づいてしまうことは恐ろしくてたまらなかったのだろう。

しかし実際は、頑張るための脳みその体力がないと自覚と理解をすることで私は救われた。
服薬という救済措置を得たことと、自分の現状から乖離した理想(完璧主義)に囚われることが減り、そこでやっと現実を知った上で前進することができたから。

もしコンサータを飲まないで生きていたら「やればできる子」の幻想を信じ続け、「やる気があるのにできない無能」という現状に気づかないフリをして、自分に見合わない歪なプライドを抱えて精神力を消費するだけの可哀そうな無能になっていたかもしれない。


最後に

私は障害特性そのものの苦しみもあったが、歪な完璧主義と自己正当化が悪癖を加速させてより自分を生きづらくしてしまっていた。

生きていく中で身につけてしまった歪な価値観や解釈は自分で気づくことはなかなか難しく、それがさらに生きづらさをさらに生んで問題を複雑にしてしまうことがある。

現状に対して自分の価値観と事実と理想を分けて考える癖をつけて、問題を地道に紐解いて工夫していこうとすることが生きづらさの解決のための1歩となるだろう。


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