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涙の数だけ強くなれるのなら、私はとっくにプロレスラー

この変なタイトルは、
遠い過去「作詞作曲ができるようになりたい!」
と思っていた頃に書いた歌詞の一部です。

かの有名な『♪TOMORROW』に対して
めちゃめちゃ対抗意識を剥き出しにしてますねw
(この歌を思い出すたびに、「強くなんかなれねーよオォォ!!!弱くて何が悪いっていうんじゃーーー!!!」と激烈に思っていた……)

その昔、生後数ヶ月〜数年の私は
あまりにも泣きすぎ&癇癪が尋常ではなくて
親戚からけっこう心配されておりました。

幼稚園でも先生から
「みこるんちゃん、そんなに毎日泣いてたら涙なくなっちゃうよ〜」と諭され、

小学校では先生からもクラスメイトからも
「赤ちゃんじゃないんだから……」
もはや呆れられて深〜い溜息をつかれるくらい、
まじで打たれ弱かったです。

それはもう
・ジャンケンに負けたら、泣く。
・転んだら、(ケガしてなくても)泣く。
・ちょっと強い言い方をされたら、泣く。
・イジられたら、泣く。
・ドッヂボールで当てられたら、泣く。
・かけっこで負けたら、泣く。
(※足遅いので毎回負ける=毎回泣く)

・宿題終わらないよ〜!!って、泣く。
・応募した懸賞に当たらなかった!って、泣く。
・友達と遊んでて嫌なことがあったら、「もういい!!帰る!!」って泣き叫んで、本当に帰る。

6~7歳でこれって、結構やばくね……???


そんな私も、小学校3年生くらいからは
「泣くから嫌われちゃうんだ」と思って
どうにかこうにか、泣かない練習をしてました。

泣かないほうが、いじめられない。
泣かないほうが、周りの子が普通に接してくれる。

だんだん「この子ちゃんとした病院でみてもらったほうがいいんじゃないの?」レベルから、
「泣き虫でめんどくさいやつだけど、まぁこのくらいの泣き虫ならどこにでもいるよね」くらいのレベルにはなれました。

ただ、だんだん思春期に差し掛かってくると
泣く理由が「(本人的には)深刻な理由」
になってきまして……

・私がいないほうが、親も先生も楽なのでは?
・私には取り柄も魅力もない、迷惑をかけることしかできない存在なのでは?
・親から見れば私よりも弟のほうが素直に言うこと聞けるし癇癪も起こさないし、可愛いのでは?

中学生になると
・グループに属せない私にとって、学校に行くこと、特に休み時間と教室移動が本当に苦痛だ……
・サボったら怒られる&自分からやるべきことを見つけて動かなければいけない部活の雰囲気が嫌いだ、辞めたい(吹奏楽部でした)

高校生になると
・結局は要領がよくて世渡りの上手い人が勝つ世の中だから、自分みたいな人は永遠に負け組なの?
・だったらなんで私みたいな弱くて生きるのが下手な人間が生まれてくるんだ……

そんな感じで、どんどん「考えなくていいことを延々と考え、延々と泣く人」になっていきました。

そして「大人」「社会人」に近づくにつれ
かなり困ったことは、「キャパオーバーで泣きたくないのに勝手に涙が出てしまう」場面です。

(保育系大学だったので)実習先だったり、
働き始めてからの職場だったり、
真剣な話をする場だったり、
転職相談の場だったり、ときには面接でも……

「泣けば許されるとか思ってません!!違うんです!!涙が制御できないだけ!!容量オーバーで表面張力が限界を超えただけなんです、お願いだから「こいつわざと泣いて許されようとしてやがる」なんて思わないで!!!!!」ということを、泣きながら切実に思っていました。


今でも、仕事とかで一度にいろんなことがいっぺんに起こったり、自分なりに見通しを立てていたことが崩れたりすると泣き叫びたくなりますw

でも最近は、「365日中、泣く日は65日〜50日くらい」に減りました。20代の後半なんて本当にやばくて「365日中、330日以上は泣いてた」くらいなのに!!!

急に楽になれた理由としては、
「守られる存在になろうとしなくなった」
「嫌なことを嫌だと伝えられるようになった」
「相性の合わない人や場所にしがみついたり、追いかけたりしなくなった」
「責任が持てないことに対して、(意識的に)あまり関心を寄せないようにした」

このあたりなんじゃないかな〜と思っています。

「守られる存在になろうとしなくなった」
→ずっと「私はいじめられる側!傷つく側!弱い側!」と思い続けてましたが、それは「傷つけられる側の私が、他の誰かを傷つけるわけがない」という恐ろしい思い込みに繋がっていることに気付きました。そんなわけない。

私も誰かを傷つける可能性が大いにあるし、「被害者側になるように」自分を持っていくのってなんのメリットもないよなぁ……と思ったので、少しずつ「変に下手に出るのではなくて相手を対等な相手として見て、言いたいことも相手に伝えて、人間関係をもっと楽に構築していこう」と考えるようになりました。そうしたら「嫌なことを嫌だと伝えられる」ようにもなって一石二鳥!!やったね!!

(これが結果的には「守ってもらう」スタンスから抜け出して「自分を守ること」に繋がり、ラクに生きられるようになった気がします。
「NO」を伝えられるようになると自分の気持ちを蔑ろにしなくなるし、相手からしても「目の前でウジウジされる」「いきなり泣き叫んで爆発される」ことがなくなるので、「対等」を意識してからは色々と円滑になった気がします。)


「相性の合わない人や場所にしがみついたり、追いかけたりしなくなった」
→どうしても合わなかったり好きになれなかったり、逆に好きになってもらえなかったり。これを「悪いのは自分でも相手でもなく、"相性"!」と思うことで、かなり楽になりました。こう考えれば自分も相手も"らしさ"を失わず、お互いに窮屈な思いをしなくて済むと思うからです。
相性が悪いならもう仕方ないので、もっと相性のよい人や場所を探そう!と思えるようになりました。

「責任が持てないことに対して、(意識的に)あまり関心を寄せないようにした」
→これは主に、政治とか災害とか戦争とか……
考えることをやめてしまうことへの罪悪感がものすごかったのですが、「私という平凡な力のない人間がいくら考えすぎてどんなに心を潰したとしても、状況がよくなるわけではない」と思ったので、あえて辛いことを考えるよりも、好きな物を大切にしようと思うようになりました。私にもっとキャパとか力があれば役に立てるのかなとは思いますが、今のところキャパも狭くできることもないので、自衛に徹しております……

今日はすんごい長く書いてしまいましたが、
結論!「涙を流せば流すほど、紙が濡れてグズグズになっていくようにどんどん心が弱くなる……ので、強くなろうとするよりも「逃げかた」を模索したほうがラクだっちゃ☆」

こんなところで、いかがでしょうか?
毎日ぐちゃぐちゃ苦しんで死にそうになっていた20代の私が読んでくれたら嬉しいなぁ。


#涙の数だけ強くなれない

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